今月の1冊
2024年02月13日
よしながふみ 著『きのう何食べた?』22巻
「変わっていくこと」について考えさせられる作品です。
『十年一昔』とはよく言いますが、変化の激しい現代においてはもっと短いサイクルで人の考え方・感じ方は変わっていくのかもしれません。この22巻を読んで、強くそう感じました。
この作品は週刊モーニングにて2007年から連載されている、よしながふみさんの漫画です。よしながさんと言えば男女逆転版の『大奥』がNHKドラマ10枠で放映されており、同作品は2010年・2012年にも二宮和也さんと柴咲コウさん、堺雅人さんと多部未華子さんで映画化されていますので、こちらでご存じの方も多いのではないでしょうか。謎の疫病によって、江戸時代における男女の役割が逆転していたという大胆な設定はありつつも、史実をベースとしながら3代将軍家光~大政奉還までを描いたまさに大河ドラマ的作品です。
一方で今回ご紹介する『きのう何食べた?』には、そうした大きなドラマは一切ありません。弁護士のシロさんと美容師のケンジ、主人公二人のゲイカップルの食卓を中心とした日常がただひたすらに描かれています。もちろんその中で様々な問題は生じますが、そのスケールは国家や社会とはまったく関わりがなく、あくまで私達と同じ個人の生活範囲の中での物語です。
それにも関わらず、こちらも連載開始から17年が経過した現在も続く長寿作品となっており、テレビ東京でドラマ化・映画化までされている人気作品となっています。
主人公をはじめとした登場人物たちが魅力的であったり、実際に使えるレシピが詳細に記載されていたりと、人々を惹きつける様々な要素があると思いますが、私は人の変化の様子がリアリティを持って描かれている点に強く惹かれています。
この作品はいわゆる「サザエさん時間」が適用されているわけではありませんので、主人公をはじめとした登場人物たちも緩やかに歳を重ねていきます。そのスピードは現実世界と完全にリンクしているわけではありませんが、第1巻の時点では40そこそこだったシロさんとケンジも、現時点での最新22巻では50歳を過ぎて仕事における立場や価値観も変化してきています。
この最新22巻では、シロさんとケンジは友人のゲイカップルの結婚式に出席します。そこでシロさんは友人代表としてスピーチをします。
私は今まで職場の同僚やゲイでない友人に自分が同性のパートナーと暮らしている事を伝えた事が無いので…なのでこういう晴れの席に彼と私が一組のカップルとして招待されたのは人生で初めてでして。知りませんでした。こんなにうれしいものだとは思わなかった。
小さくない決断だったと思いますが今日の披露宴はあなたのパートナーの大策さんだけでなく、私と私のパートナーにも幸せな経験をさせてくれたんです。こういう席を設けてくれて本当にありがとう。お二人ともどうぞいつまでもお幸せに。
これだけでも充分に感動的なスピーチではあるのですが、シロさんの変化と合わせてこの巻を読むと、より感慨深いものがあります。
実はシロさんは連載当初の1巻では、自分のあずかり知らないところで美容室の顧客に自分たちの関係を話したケンジに対して激高していました。
俺はお前と違って職場にそういうことは言ってないし、知らない人間に俺がゲイだって分かられるのも嫌なんだ!!今度同じことがあったら、お前この部屋から出てけッ!!本気だからな俺は!!
並べてみるととても同じ人の発言とは思えませんが、だからこそ作品時間の10年ほどでシロさんが大きく変わったことを象徴しているシーンではないでしょうか。
この1巻から22巻までの間には、2人で一緒にカフェに行くことを気にしなくなったりするなど、シロさんの中でのささやかな変化が時間をかけて描写されています。
一方で、社会における同性愛の受け止められ方の変化もまた丁寧に描かれている様に思います。初期の話では、シロさんとケンジの二人がカフェでいちゃついているところを、周囲の客から奇異な目で見られる様なシーンもありますが、最近の話ではそうしたことはほとんどありません。先の結婚式場でも、別の話でペアリングを買いにいったジュエリーショップでも、二人の存在はごく当たり前のものとして受け止められています。こうした些細な表現からも、この10年あまりの間に社会がどのように変わったのかが見て取れます。
ここまでを書いて、懺悔の気持ちとともに個人的な昔話を思い出しました。
ふた昔前、私は男子校の運動部員でした。LBGTQ等という概念は一般にはまだ存在しませんでした。常日頃から強い言葉が飛び交う環境でもあり、私自身練習に後ろ向きなメンバーに対しては「女みたいにウダウダ言うな!」「おまえはホモかうっとうしい!」といった怒声を発したこともあります。
今でこそこれが「考えられないこと」であり、「配慮を欠いた」発言だったことがわかりますが、当時はそれがスタンダードだと思っていましたし、そうした発言が少なくとも自分の周りでは受け入れられている様にも感じていました。
きっとそうではなかった、自分の視野があまりに狭かったと当時を振り返ることが出来るのは、自分自身の精神的な変化はもちろんですが、社会における同性愛やLGBTQへの受け止め方の変化が大きな影響を与えているのは間違いありません。
この『きのう何食べた?』は日々の生活を丁寧に描いている長寿作品だからこそ、そうした現代社会の変化を追いかけることの出来る、貴重な作品の様に思います。
私も連載当初のシロさん、ケンジに手が届く年齢となりました。『四十にして惑わず』と説いた孔子には申し訳ない気もしますが、到底その境地には至れそうもありません。一方で、そのことをあまりネガティブに捉えてもいません。シロさんの様に、自分も世界も当たり前の様に変わっていくものだということを、知っているからです。
次の10年で社会は、自分は、そしてシロさんとケンジはどのように変わっていくのか。彼らと一緒にその変化を楽しみながら生きていきたいと思います。
(石井雄輝)
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