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夕学レポート

2024年11月15日

一條 和生氏講演「新・両利き経営の時代:AIと人間の知識創造の連鎖」

一條 和生
IMD教授
一橋大学名誉教授
講演日:2024年10月30日(水)

一條和生

一條和生教授に聴く、人間とAIをつなぐ鎖

経営者教育に特化した世界トップクラスの経営大学院であるIMD。毎年19,000人の世界の経営者が学ぶそのIMDで唯一の日本人教授である一條和生教授が、オライリー&タッシュマンの「両利きの経営:既存事業の深掘りと新規事業の開拓」に倣って言うのは、「新・両利きの経営:人間による知識創造とAIの活用」の時代の到来である。

低迷する日本経済の「失われた三十年」と言われた時代から漸く潮目が変わろうとしている。世界が地政学的な不安定さを増す中で、成長著しいアジアにあって安全で清潔で自由で公正な国家としての日本の価値は相対的に高まりつつある。
だがこの間、日本企業の効率性が上がったわけでもなければ経営者の実務能力が高まったわけでもない。潜在力への世界の評価と顕在化できている実力との差を縮め更には逆転しない限り、世界の変革を主導するようなリーダーシップは発揮できない。日本企業は、ただでさえ世界に遅れているAIの活用を進めて生産性の向上を実現する必要がある。

経営者がまず行うべきは、どこで/何で勝つかを考えた上で「良い戦略」を立てること。
ここで一條教授がスライドに映し出したのは経営学者ロジャー・マーティンの“A plan is not a strategy”という言葉。彼が「事業計画は戦略ではない」と説くYouTubeをIMDで見せると多くの経営者がショックを受けるというが、それはいかに多くの企業が管理可能な「計画」ばかり掲げて不確実性に賭ける「戦略」を描けていないかということだろう。“Not knowing for sure isn’t bad management. It’s great leadership.” というマーティンのメッセージには、リーダーシップの本質が見え隠れしている。

続いて一條教授は自身の師であり知識創造理論の提唱者である野中郁次郎氏の言葉を引く。一年前の日経記事『企業の失敗、野生喪失から』で失われた三十年の真因について問われた師は「プラン(計画)・アナリシス(分析)・コンプライアンス(法令順守)がオーバーだった」と答えている。「行動が軽視され、本質をつかんでやりぬく『野性味』がそがれてしまった。野性味とは我々が生まれながらに持つ身体知だ。計画や評価が過剰になると劣化する」とも。野生のリーダーシップを育む「良い戦略」は、知識創造の起点なのだ。

「新・両利きの経営」の片側、「人間による知識創造」のキーワードが「賭け」「戦略」「野生」だとすれば、もう片側の「AIの活用」を体現するのはどんな言葉だろうか。

「ChatGPT」。それまでのAIから格段に進化した生成AI。そのガイドブックとして一條教授が示したのは理論物理学者スティーブン・ウルフラムの書籍『ChatGPTの頭の中』だった。OpenAIのCEOでありChatGPTの生みの親であるサム・アルトマン本人が「最高の解説書」とお墨付きを与えた本書から、AIにできることとできないことを読みとってみる。

Chat GPTは人間の脳をモデル化したパターン認識のアルゴリズムであるニューラルネットを持つ。それによりウェブや本など人間が作成したテキストを土台に「意味ある人間の言葉」を創る。人間には決して真似のできないほどの超高速で膨大なテキストを生み出す様には圧倒されるが、いかにも人間のものらしく見えるその文章は、あくまで「人間ならこう答えるだろう」という言葉の羅列であり、問いに対する正しい回答を必ずしも保証するものではない。そしてAIの学習リソースが人間の常識や社会通念である限り、その常識を創造的に破壊して新しい価値を生み出すこと、つまり真のイノベーションをAIに期待することは難しい。

対象物を立体的に捉えるには確かな両眼視差が必要だ。一條教授が“Must Read”として提示したもう一つの書物は、AIでなく人間の学びに焦点を当てた認知科学者・今井むつみ教授の『学力喪失 認知科学による回復への道筋』だった。その中でChatGPTは次のように評されている。
「ChatGPTは、解決に至る道がひとつに決まらないオープンエンドな質問ほど、パフォーマンスが低くなり、人間の思考とは離れていく」
「しかし、人間が実世界で取り組みたい(あるいは取り組まなければならない)のは」
「オープンエンドの極のほうに針が振れている問題である」
「ゴールさえぼんやりとしか見えない場合も多く、人によって『正解』が異なってしまう場合さえある」
「複雑すぎて何から始めたらいいかわからない場合でも、ゴールのあるべき姿と進む方向性について、なんらかの直観(イメージ)があれば、最初の一歩を踏み出すことができる」
「ChatGPTに欠けているのは、このような全体を見通して、問題の本質を把握するための直観力なのだ」。

経営学者、理論物理学者、そして認知科学者の知見を総覧した上で、一條教授は「AI時代の知識創造」を次のようにまとめた。
・現段階では人間にしか暗黙知は創造出来ない
・AIとデジタルが取り扱えるのは形式知のみ
・共通の体験を積めば暗黙知も共有できる
・形式知化を怠ると共有が適切に行われず過去の成功体験が繰り返される

「AIの徹底した活用」→「徹底した効率化の実現」→「人間の暗黙知を源とする知識創造」→「イノベーションの実現」。デジタルに関する「両利きの経営」はこの流れで達成される。身体を持ち、身体知という暗黙知を持つ人間が、形式知の取り扱いに長けたAIを活用して知識創造のサイクルを回し、AIが持ちえない直観力を涵養していく。AIを育てつつ自らをも育てていけるリーダーを、世界と日本は渇望している。

予期せぬ変化に遭遇してもそれを乗り越え以前より高いパフォーマンスを達成するのを「レジリエンス」とするならば、今の日本はそれが可能なチャンスのステージにいる。グローバリゼーションの新段階が到来する中、日本は自らの暗黙知の豊かさを自覚し、魅力的で期待される国としての可能性を世界に向けて開けばよい。
リーダーシップの本質は、必ずしも人の上に立つことではない。課題解決の先頭に立ち、知識創造を通じて世界をリードする、そんな日本型のリーダーシップが世界を変えるかもしれない。

…と、ここまでは一條教授の講演に比較的忠実に書いてみた。生成AIならもっと速く、もっと上手にまとめてくれるのだろうが、今のところ事務局は人間である私のほうにレビューを発注してくれている(来期はわからない)。「へえ、この頃はまだ、人間が手作業でレビューを書いてたんだね」なんて後世の人々に言われるのも、悪くはない。

生成AIはチャンスでありリスクである。
ChatGPTが世に現れたとき、IMDの教授陣は同僚でありAIのビジネス活用の第一人者であるアミット・ジョシ教授に勉強会をしてもらったという(豪華な賄い飯だ)。最高の教師の下でChatGPTの可能性と限界を知った教授陣は「自分たちの仕事はAIにとって代わられない。むしろますます存在意義が高まる」と自信を深めたという。答えを教えるだけの教育機関なら講師の地位は早晩AIにとって代わられるだろう。しかし「正解は教えない。正解を見つけるのを助ける」のを旨とするIMD(DはDevelopのDだ)の教育は、AIには決して真似できない、と。

なるほど、と思う。同時に、でもそれって今のChatGPTを前提にした話だよな、とも思う。
身体を持たず、従って身体知を持たないAIだって、人間と人間の間に割って入ってお互いの身体知を疑似的に共有させることはできるようになるかもしれない。従来は人間のベテラン講師が担っていたその役割を、代わりにAIが地球規模×超高速=半ば無限の組み合わせで連結させはじめたら、もはや一握りのエグゼクティブが知を独占できる時代ではなくなり、AIが総合商社よろしく私たち人の間のあらゆる情報を仲介するようになるのではないか。

AIの進化が現在地点で終わるはずはなく、むしろこの先も加速度的に進化を遂げるなら、緩慢な進歩しか重ねられない人間は、やがて主客逆転の時代を甘受しなければならない。
鎖を手に、繋がれた子犬との散歩を楽しんでいたはずの飼い主は、急成長する犬の暴走に、逆に鎖で引っ張られる存在に落ちぶれてしまうかもしれない。

今回の演題は「新・両利き経営の時代:AIと人間の知識創造の連鎖」だった。
AIと人間の間でチェーン・リアクションよろしく知識が創造され続ける未来を、私も期待したい。でも同時に、進化したAIが私たち人間を鎖で繋ぎ、チェインギャングな労働力として利用するディストピアな未来もありそうな気がしてならないのだ。

…という私の直観が、どうか杞憂でありますように。

(白澤健志)


一條 和生(いちじょう・かずお)

一條和生
  • IMD教授
  • 一橋大学名誉教授

1958年東京生まれ。一橋大学大学院社会学研究科、ミシガン大学経営大学院卒業。経営学博士(ミシガン大学)。専攻は組織論(知識創造論)、リーダーシップ、企業変革論。
知識創造理論に基づいて、リーダーシップ、企業変革に関する教育・研究活動を進める一方、現在、日本ならびに海外の一流企業のリーダーシップ育成プロジェクト、コンサルティングに深くかかわる。日米の数多くのリーディング・カンパニーで長期的な経営者育成プログラム、企業変革プロジェクトを設計、指導している。グローバルに行っているエグゼクティブ教育が評価され、同分野では世界トップと評価されているビジネススクールIMD(スイス、ローザンヌ)の教授に日本人として初めて就任(2003年)。一橋ビジネススクールでの教授としての活動と並行して客員教授としてIMDで教えていたが、2022年4月に13年ぶりにフルタイム教授としてIMDに復帰し、グローバルなエグゼクティブ教育に携わっている。
現在、株式会社シマノ、株式会社電通国際情報サービス、ぴあ株式会社の社外取締役を務めるほか、IFIファッションビジネススクール学長も務める。

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