ピックアップレポート
2005年01月11日
「時空間情報科学」からみた「観光」
古谷知之 慶應義塾大学環境情報学部専任講師
大河ドラマ「義経」と鎌倉観光
21 世紀型成熟社会における豊かな生活環境を構築する上で,「観光」は一つの鍵といえる.2003年度の国民の旅行消費額が約26.6兆円,付加価値効果が約 28.6兆円と推定される一方で,外国人観光客受入数は欧米の観光大国と比較して低水準に留まっている(訪日外国人の日本国内での旅行消費額は約1.4兆円と推定されている).政府による“Visit Japan キャンペーン”を取り上げるまでも無く,国際交流促進や地域産業創成,歴史・文化の再発見を進める上で,観光立国を目指すことは我が国にとって有益である.
さて,今年のNHK大河ドラマは「義経」である.“タッキー”こと滝沢秀明がどのような義経像を演じてくれるのか楽しみであるが,これを期に,古都鎌倉を観光で訪れようという読者諸氏も多いのではなかろうか.鎌倉市では,近年,観光入り込み客数が減少傾向にあるものの,なお年間約1,800万人のビジターを抱えている.世界遺産登録への取り組みが進められている一方で,特定の観光スポット・ルート周辺での混雑が住民生活とコンフリクトを起こしているとも言われている.年間約60万人と言われる外国人観光客については,どのような回遊行動をとっているかさえ,十分に明らかにされていない.
同市では2006年度中に,具体的なアクション・プランなどを盛り込んだ観光基本計画(マスタープラン)の見直しを完了させることにしている.筆者らは, 2004年後半に外国人観光客を対象とした意向・動態調査を同市と共同で進めるとともに,カメラ付GPS携帯電話での第三者位置情報サービスを活用した観光情報提供実験を独自に実施してきた.調査・実験結果の解析はまだ途中段階であるが,その一端を(中間報告という形で)ご紹介させて頂きたい.
外国人ビジターの回遊行動と観光満足度
筆者らの研究室では,GIS(地理情報科学)やGPS(全地球測位システム)など時空間情報科学(Spatial-temporal informatics)を活用した,都市計画や都市交通計画のための調査・解析・支援システム構築などを行っている.最近では,印刷会社・鉄道会社などとコンソーシアムを組むと共に,自治体などと協力し,産学官連携で新たな観光産業育成に向けた取り組みを進めている.
2004年10~11月には,鎌倉市と共同で外国人観光客の回遊行動履歴調査と意向調査を行った(’04年12月の中間集計時点でアジア系約110名,非アジア系約220名.GPS調査対象者はそのうち約90サンプル,GPS位置情報取得間隔は5分).サンプル数を出来るだけ多く取るため,高精度GPSなどと比較して位置取得精度が相対的に低いが価格の安いGPS端末を,鎌倉観光案内所前で手渡して一日の回遊行動軌跡をとったものが図1である.これに先立ち’04年4~5月に日本人観光客(135サンプル)を対象に同様の調査を行った結果と併せて示すと,(GPS計測誤差等を差し引いて考えも)外国人ビジターと日本人ビジターのアクティビティの違いが理解できる.特に中高年層を中心とする日本人ビジターが,散策ルートや住宅地細街路を回遊して自然や史跡・名勝を訪ね歩くのに対し,多くの外国人ビジターは比較的大通りに面した著名な観光施設(鶴岡八幡宮や長谷大仏など)を訪れる傾向が示された.
もっとも,自国でも寺社仏閣観光を行えるアジア系外国人にとっては,鎌倉は歴史的名所を訪ねるだけでなく,「湘南」の自然風景に親しみ,美術館などの文化施設を訪れ,食事や買い物を楽しむための観光消費スポットでもある.GPS回遊軌跡データからも,七里ガ浜や鎌倉山などを回遊するアジア系ビジターが少なくないことがわかっている.しかし,これらの観光施設に対するアジア系ビジターの満足度は,非アジア(主に欧米)系観光客と比較して相対的に低い.一日の一人当たり観光予算平均額は,アジア系が約7-8,000円であったのに対し,非アジア系は約4-5,000円であり,その差は統計的に有意であった(実際の観光支出金額もアジア系の方が若干高かった).逆の結果を予想しがちだが,特に中国系ビジターの予算額がアジア系全体の平均予算額を引き上げている.欧米系ビジターは,バックパッカーが多いせいだろうか,お金には厳しい.同市の観光担当者との間でも,アジア系ビジターを如何に増やすかを議論する機会が多いが,彼らの観光満足度を高め,ひいては財布の紐を緩めてもらうには,アジア系言語などでの観光情報を充実させ,歴史的名所以外の観光資源を上手くアピールしていく必要があると考えられる.
アジア系・非アジア系ビジターに共通して満足度が最も低かったのは,鉄道駅での誘導サイン表示の不備についてであった.観光案内所のある鎌倉駅東口は市内各地を結ぶバスロータリーとなっており,GPS回遊軌跡からも,鎌倉駅から長谷周辺などにかけてバスで移動していると推定される調査対象者が多く割り出されている.他方,駅周辺での外国語サインが不十分であるため,調査員の学生が外国人観光客にどのバスがどの方面に向かうのかを尋ねるシーンもよく見られた.公共交通機関の外国語対応は,まだまだ不十分だと言わざるを得ない.
カメラ付GPS携帯電話を使った観光情報提供
ここ数年,いくつかの観光地や商業地でPDAや携帯電話を使った観光情報や施設情報を提供し,ビジターのナビゲーションの有効性を実証しようとする社会実験が実施されている.また,AUのEZナビウォークでは,GPS携帯電話の地図画面上で目的地までのリアルタイムナビゲーションが可能である.これらは,利用者が必要に応じて情報を取得する pull型サービスと呼ばれる.しかし,混雑時などは携帯デバイスの小さな画面上に示された地図を見ながら移動することは容易ではなく,ガイドマップやガイドブックなどの従来型メディアが有効な場面がまだまだ多い.だからといって,携帯端末による人ナビゲーションが有効でないかといえば,そうではないと考えている.散策路や飲食店の混雑情報やバーゲン情報など,高い更新頻度が要求される時空間情報への利用ニーズは高いし,海外では観光情報を音声で携帯電話に配信するサービス1)や外国人ビジター向けに同時通訳を携帯電話で提供するサービス2)などが見られる.
筆者らは,日本人ビジターの多くがカメラ付 GPS携帯電話を持ち歩いていることに着目し,第三者位置情報サービスを活用した人ナビゲーション・サービスの実験を試みている.ここでは,予め電話番号が登録されたGPS携帯電話保有者の位置情報を,インターネットGIS画面上に表示できるナビッピ .com3)のシステムを用いている.オペレータがビジターの移動軌跡を画面上で把握していることを前提に,携帯電話での対話とメールを通じて,ビジター(ユーザ)はオペレータに情報をリクエストし,オペレータはユーザの位置情報をもとにビジターに情報提供をするという, pull & push 型サービスを基本としている(図2).
実験では,鎌倉駅を起点に観光を行うことを想定して,被験者にカメラ付GPS携帯電話を持って自由に観光してもらった.オペレータの情報提供作業を簡便にするため,独自の観光施設データベースを構築した.移動中での再スケジューリングへの影響を検討するため,サービスを利用するグループと利用しないグループとに分け,更に前者は,自身の観光スケジュールを事前にオペレータに知らせるグループと,スケジュールを事前に知らせないグループとに分けた.スケジュールを事前にオペレータに携帯メールで知らせておくと,オペレータはそのスケジュールとユーザの位置情報を見比べながら,次のアクティビティに必要と思われる情報を,適宜メールでユーザに通知できる.
被験者からのリクエストとして最も多かった情報提供内容は,観光スポット,特に昼食時の飲食店での混雑に伴う目的地変更に関する再スケジューリング情報であり,情報提供サービスを利用しない被験者と利用する被験者との間で,観光満足度に大きく差が見られたのも,混雑情報提供の有無に関してであった.興味深かったのは,現在位置から目的地までの経路情報を,地図情報として送るのではなく,音声情報や曲がり角の目印地点と方向を示しただけの文字情報として送って欲しいとの要望が多かったことである.これは,混雑した状況で携帯電話の画面を見ながら移動するのが容易でないためである.
カメラ付GPS携帯電話を使うことで,ユーザ(被験者)が携帯電話で撮影した写真を,撮影箇所の緯度経度にHot linkされた情報としてGISデータベースに取り込み,ユーザ間で共有できるようにすると共に,オペレータが他のユーザへの情報提供にも活用できるようにした(図3).データベースに登録されていない観光施設の情報が送られてくると,オペレータが当該施設の情報を書き加えることで,他のユーザと情報共有できるメリットがある.ガイドブックに掲載されていない住宅地の細街路の画像がビジターに魅力的な空間として送られることもあるが,住民の生活環境とコンフリクトを生じさせないよう,十分な配慮が必要である.
政策支援ツールとしての時空間情報科学
本稿で紹介した,調査・解析結果は,今年3月末までにとりまとめて発表する予定であるため,十分に説明しきれていないことも少なくなく,その点をご容赦願いたい.しかし,インターネットGISやGPS といった時空間情報科学のツールを使えば,観光政策立案や観光マーケティングに向けての新しい視点を提供することが出来ることの雰囲気を知っていただけたのではないか.
時空間情報科学を観光研究に応用することで,ビジターのアクティビティや観光ニーズを詳細に把握することが出来るのみならず,その動的な位置情報を基に,ビジターがより高い満足度を得るための仕組みを作っていくことが可能だと考えている.今後,位置取得精度や被験者のプライバシー保護など,残された課題を一つずつクリアしていく必要がある.
従来の三次元上の空間情報科学に時間軸を加えた四次元空間を扱う時空間情報科学は,近年発展途上のフロンティア・サイエンスの一分野であり,慶応大学 SFCは国内外でも最先端の研究・教育プラットフォームとなっている.我々は,単なる時空間現象の解析にとどまらず,政策立案・支援ツールとしての時空間情報科学の確立を目指していきたい.
最後に,本稿と話題は異なりますが,筆者らの研究室では,今年3月20日(日)~27日(日)の期間,JR藤沢駅北口サンパール広場にて,国土交通省オープンカフェ社会実験を行います.既存道路空間を活用して,オープンカフェという装置を使い,まちの魅力度を向上させることが狙いです.SFCの建築系学生らがデザインしたカフェブースで藤沢市の名産品を味わっていただくことが出来ます.是非一度足をお運び下さい.
参考文献:
1) http://talkingstreet.com/
2) http://japanese.tour2korea.com/01TripPlanner/Transportation/taxi.asp?kosm=m1_4&konum=6
3) http://www.navi-p.com/
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