夕学レポート
2019年12月16日
万葉に輝く 里中満智子さん
和歌の世界。百人一首は誰でも一度は学校で習うけれどどうも平板になりがちで当時の社会情勢や人間関係、歌が詠まれた状況を知らないと「ふ~ん」で終わってしまう。子供の頃、百人一首を漫画で解説する本と出会ったおかげで和歌は私の中で生き生きとしたものになる。さらに里中満智子さんの『天上の虹』『女帝の手記』『長屋王残照記』のお蔭で、万葉集の歌のみならず持統天皇を中心とした時代がより立体的なものとなった。皇子の名前一つ見ても「ふ~ん」ではなく「ああ、あの意気地がなくて密告しちゃった皇子様ね」、何ともリアルになっている。その作者による講演なのだ。万葉集の人達がどのように語られるのか今回の夕学五十講を大変楽しみにしていた。
意外なことに講演は歴史的な、それ以上に外交的な観点から語られる事が多かった。重要な歴史書である日本書紀は外向き(外交用)の歴史書として、古事記は内向き(国内向け)の歴史書として作られたものだと。なぜそのような面倒なことをしたかというと、当時の日本を取り巻く国際情勢があった。白村江の戦いで壊滅状態になった危機感。そして大国を間近にする後発国の日本は、ともすれば「お前の所は未開の地で遠く離れているから気づかないだろうが実は我が国の一部なのだ。」と正統性を主張されかねない。そのためには独自の歴史書を持ち自らの正統性や根拠の主張が必要という、現在の領土問題と変わらぬ状況だったらしい。国内向けには各氏族についての記述が必要などの事情がある。こうした中で2種類の歴史書が編纂された。
万葉集といえば万葉仮名も同様の観点から取り上げられたようだ。巻一、二と後半とでは当て字の法則が異なる。これは大伴旅人、山上憶良らが大和言葉を正しく伝え広めなくてはと決めて整えていったはずだからで、そうしたことを語った場があの令和で有名になった大宰府の「梅花の宴」であったのだと。いわば当時の感覚での「国語」を意識したということだろう。歌の存在理由も当時は単なる心情の吐露ではなかった。公式行事でも行う重要な意味をもつものであったのだ。人と人との心の繋がりを詠み、良い言葉を使い亡き人を褒め称えるなどの意味をもつ。こうした背景を踏まえた上で歌の説明に入った。丸の内の聴衆を意識してのことか、あるいは和歌に疎い一般人にはそこから入らないとわかってもらえないと思われたのか。和歌や万葉集のもつ意義がよくわかる素晴らしい構成だ。
それにしても万葉集の詠み人達は生き生きとしている。一度は別れた夫婦がお互いを想う気持ちを堂々と詠み合うし、不倫の歌もある。太政大臣の妻が夫以外の人に会いに行った時の歌(どうしてその時の歌と判明したのか謎)などハラハラドキドキものだ。身分の低い女性が高位の男性からの恋心を断ったりもする。里中さんは、女性が私有財産や職業を持てた当時の社会の在り方が女性を自由にさせ、純な恋心を歌わせたと主張する。当時の働く女性の長時間労働への訴えや大仏建立に私財を出した光明皇后など紹介事例も具体的だ。
「大夫や(ますらおや)片恋ひせむと嘆けども醜の大夫なほ恋ひにけり」
「嘆きつつ大夫の恋ふれこそわが髪結の漬ぢてぬれけれ」
(立派な男子たるものが片恋などしようかと思い嘆くけれど不甲斐ない男子は恋に苦しんでしまうのでしょう)
(思わず嘆きながら恋をされてしまうから、私の結った髪も濡れて解けるのね)
『天上の虹』ではこの二つが当時流行した人気の歌として紹介される。若い娘が「私の髪も解けやすいように結って頂戴」というように、誰かの熱い心情の吐露としてだけでなく、人々に愛され歌われて広まる流行歌のような存在としても描かれた。葬儀の場での挽歌も亡き人を称えるだけでなく、その存在を振り返る場としても描かれている。そのようにして描かれたシーンを見る度に私は学校教育での和歌の取り上げられ方の限界を感じてしまう。里中さんの講演は社会構造や政治、外交、経済の土台がしっかりとあり、だから描かれる作品はもとより歌を紹介されても取り上げられ方の切り口に広がりがある。その一つひとつに奥行きがあり、現代へ繋がるものがある。演題こそ「万葉に輝いた女性達」だが女性にだけ限った話では決してない。
新(あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
本当にね。今も昔も新春に願う事は時代を越えて同じらしい。吉事がいっそう重なりますように。あなたにも私にも。
(太田美行)
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