夕学レポート
2019年01月22日
今と私を離れて 小林慶一郎先生
受験勉強でも健康診断でもまず現在の状況と立場を知ることから始まる。前者では模擬試験等で現在の学力を把握することが、後者では血液検査などの詳細な数値を計測し、算出されたデータをチェックした上で必要があれば再検査を行い、生活指導など必要な措置を取る。小林慶一郎氏の話を聞きながらなぜかこうした手順を思い出していた。日本の経済、財政状況についてはどのような話になるのか。小林慶一郎氏の講演は日本経済の現状と趨勢の分析から始まった。
ここで医師ならば「検査結果はこうでした。そこから言えるのは…」などの言い回しで患者に今後について話す訳だが幸先が明るくない場合には当然どう伝えようか考える。暗い話と明るい話のどちらから始めるか。小林氏は全体の構成を日本経済の現状と趨勢、日本の財政問題について、経済成長の状態、フューチャー・デザインの4つに分け、初めの3つは暗いが最後のフューチャー・デザインは明るいと予告する方法を取った。
詳細なグラフが次々と紹介される。解説によると日本経済は足元を見ると良くなってはいるものの、長期的に見ると悪くなっている。労働人口当たりの成長率は他国と比較すると劣ってはいないが高齢化に伴う労働人口の減少という問題がある。何だかシーソーのようだ。そして大変暗い話になる。政府の粗負債の名目GDP比は主要7カ国中で飛び抜けて高い。つまり毎年赤字が出ている。純負債の名目GDP比となると他6カ国と比較して少し高い程度になるが負債は7カ国中で最多である。
ではどうするか。現行制度を前提として考えると、GDP比14%程度(約70兆円)の財政収支の改善をすることができれば長期間での安定が可能らしい。しかし100兆円の国家予算の国へ30兆円に縮小せよといってもまず無理だろう。無策のままでは30年後くらいには海外の投資家に買い支えてもらわないと持ち堪えられなくなるが、その前にギリシアのように金融危機になるだろうと怖い話をされた。では消費税率を上げるか。消費税を1%上げると2.5兆円の税収増加になるそうだが、これでも2100年に債務比率60%にするためには安定しない。成長1%程度を考えた場合には消費税率60%超という説まである。暴動が起きるか、多くの人が海外移住をするかになりそうである。
「さすがに消費税率35%は無理なので」と小林氏も前置きをした上で「とりあえず2050年までを面倒見よう」という考えに基づいて、消費税15%で債務比率を2050年<2020年にできる「消費税率15%にする政策パッケージ」を紹介、施策として働き方改革(女性の正規雇用比率と賃金水準を男性並みに、医療・介護財政の改善)、年金改革(受給開始年齢の引き上げ、年金の10%削減)、医療・介護改革(本人負担を2割に)などを挙げたが、それでも論争を呼びそうなことは小林氏も認めるところである。
なぜこれまで財政改善ができなかったのだろう。現代が抱える税負担や環境などの問題は世代を超えて続くが、近代の民主主義や独裁主義ではそうした世代を跨ぐ問題は想定されていないからだ。近代以前は非合理性(宗教や伝統文化)が世代を超える協調を実現させる役割を担っていた。現代に世代間協調を機能させる手段として西條辰義氏が提唱するコンセプトがフューチャー・デザインである。「将来世代の利益代表」の役割を担った人達を政治の場に出すという一種のロール・プレイイングである。岩手県矢巾町における2060年のビジョンづくりに導入した時、水道事業について通常の現在世代グループは現状の課題の延長での議論と結論を出したのに対して、将来世代グループは将来の理想像から遡及して現在の課題を議論し結論を出し採択される。
「仮想将来人」の自己認識と思考様式は「現代人」と異なる。現代人は現代人としての私から客体としての将来世代を見るが、仮想将来人になった時、現代人としての私と将来世代としての私を俯瞰する「考える私」がいて、その「考える私」は現代人の私と将来世代の私を総合的に考える事ができるのだ。これを政策決定の場に組み入れる制度改革ができれば「世代間利他性」を高める事ができるのではないかというのが小林氏の主張である。面白い取り組みで様々に応用可能だと思う。
フューチャー・デザインを紹介する時に小林氏が「今の立場を離れることが必要」「現在のしがらみを一旦外して将来世代の立場から(俯瞰して)考える」と話すのを聞き、この人も同じことを言っていると思った。これまで夕学五十講を聞いていて「現在のしがらみを一旦外して見る」ということを何度か聞いていたからだ。藤田一照、濱口秀司、山口絵里子の各氏の講演で、新しい局面を迎えるためには一度既存の知識や認識、常識から離れる必要があると。もちろん知識や経験の蓄積があることは大事なことだけれども、一度離れないことには新しい何かは見えないというのだ。知識や経験がある人ほどそれができない。夕学五十講でこの言葉を何度も、それも新しい局面をつかんだ人達から聞くということがとても興味深い。おまけに濱口氏と山口氏は「矢印を変える」、小林氏は現在と将来を往復する矢印の絵を使用して3人とも矢印の方向について言及しているのだ。何だかゾクゾクしてくる。つまりは現状を打破する改革者に必要な要件なのだろう。
さてこれに気づいたからには実践しないことにはもったいない。私は自分の中の何にこれを適用させるか考え始めている。
太田美行
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