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夕学レポート

2018年02月06日

「人間天皇」としての矜持 片山杜秀先生

photo_instructor_907.jpg2016年夏に発表された天皇陛下の「おことば」を最初に聞いた時、そちらの方面の知識もなければ関心も低い私は、「80歳を過ぎて大変なのは当然でしょ。天皇だって早めに引退させてあげなさいよ」と思ったものだった(不謹慎な発言ならすみません)。
それだけに、発表後「天皇の生前退位なんてもってのほか」という論調が出てきた時には、「ひどい人もいるもんだなー。高齢なんだから認めてあげなよ。法律が問題なら変えればいいじゃない。時代も違うんだし…」くらいに感じていたし、最終的に生前退位が認められる段になった時には「ま、当然の帰結だな」と、特に強い興味も持たずに来た。
しかし今回、片山杜秀先生のお話をうかがい、私はこのテーマに初めて興味を持った。そう簡単な話ではないのである。
片山先生いわく、「これは単なる高齢化問題ではなく『思想問題』である」とのこと。
以下、私が理解した範囲で解説しよう。


皇室典範では「天皇が、精神・身体の重患か重大な事故により、国事行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」と規定されている(皇室典範第16条)。つまり、今回のように、天皇が高齢で(それが「精神・身体の重患か重大な事故」に当たるかどうかという議論はあるだろうが)国事行為ができないのであれば、摂政を置けば良い、というのが現在の法律の枠組みだ。
ところが「おことば」によると、今上天皇は摂政を置くことを望まれてはいない。なぜか?
片山先生の見立てはこうだ。
1946年に出された(昭和)天皇のいわゆる「人間宣言」。
原文には、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。」とある。
天皇と国民とは、終始、相互の信頼と敬愛とによって結ばれている関係なのである。今上天皇は、この「人間としての天皇」の理想を、原理主義ともいえるほどに実践しようと努められてきたのだと片山先生は説明された。
これには、皇室にさほど関心のない私でさえ、確かにそのとおりと頷かざるを得ないものがある。
それは不幸にも、大きな災害に見舞われた平成という時代の特殊事情とも絡んでくる。
雲仙普賢岳の噴火以来、多くの自然災害に見舞われたのが、悲しいかな平成のひとつの特徴である。そのたびに皇后さまと共に被災地に赴かれ、被災された人々の手をとり、腰をかがめたり膝をついたりしながら目線を合わせ、自らの言葉で励ましてこられた天皇の姿を何度も見た。それはまさに「国民と共にある」天皇の姿であり、「人間天皇」としての象徴的な姿であったのだと、今回の講演を聞いて合点がいった。
天皇は「いるだけで尊い存在」なのではなく、国民と共にあるための不断の努力、実践があってこその天皇だ、というのが今上天皇の思想である。そして、だからこそ、摂政ではダメなのだ。
摂政を置くということは、その背後には依然として天皇がいることになる。国民と共にあるための実践を摂政が代わりにやり、天皇は何もしないならば、それはもはや天皇ではない。天皇とは国民と共にあるもの。逆の言い方をすれば、国民と共にあることができる者が天皇であるべきで、できないならば退くべきだ、というのが今上天皇の思想だと片山先生はおっしゃった。
何か、凄まじいまでの天皇の思いが聞こえてくるようだ。
天皇とは、国民の喜びも、悲しみも、自分のものとしなければならない。天皇である限り、そのための実践をし続けなければならない。そんな今上天皇の固い信念。それができない自分は退くのだ。今度は皇太子が、「人間天皇」の役割を果たしなさい―――。
平成がスタートしたのは1989年。当時、私は中学3年生だった。
昭和天皇に比べてなんとなくインパクトの薄い天皇だな、と思ったのが最初の印象だったし、その感想はその後もしばらく続いた(失礼極まりない発言で本当にすみません)。
しかし徐々に変わっていった。被災地で人々を励まされるお姿に加え、かつての戦場を訪問されたいわゆる「慰霊の旅」で、何十秒もの間深々とお辞儀をされるお姿を見ているうちに、胸打たれるような思いになった。この人、尋常じゃない覚悟だな、と。
どこまでも穏やかそうな微笑みをたたえ、ゆったりとした口調で話される今上天皇の胸の内は、いろいろな葛藤があり、苦しみがあり、様々な思いもあり、それでも揺るぎない意志があり、情熱もあったのだろうと想像される。そして今回の生前退位もまた、あらゆる要素を考えに考え抜いたうえで、最善の方法として「おことば」の発表に至ったのだろうと思ったら、拍手を贈りたいようでもあり、どこか気の毒なようにも思われた。
そして、天皇ないし皇室への感情というのは、かくも複雑なものなのかと自らを省みてちょっと驚いた。憧れのようでもあり、可哀そうなようでもある。感謝の気持ちもあるが、なにか申し訳ないようでもある。私たちを守ってほしいというよりは、この人たちを守ってあげたい、という感覚に近い。神々しい反面で、どこか弱さを感じる存在である。敬愛の気持ちと、憐れむような気持ちが混じるのはなぜなのか。
そこには奥深い何かがありそうな気がするが、分析できていないのでそれを探るのはまたの機会にしよう。
さて、この先の天皇家がどうなるかなどということは、私のような人間にわかるわけがない。戦後、憲法で「象徴」とされた天皇の位置づけはいかにも曖昧だ。また男系の皇族が減っているのは事実だし、皇室と国民との距離感は徐々に開いてきているように感じるし(私と親の世代では全然違うだろうし、私と息子の世代でも全然違うだろう)、少なくとも、これからもずっと安定しているとは言い難い状況だ。
それでも、今上天皇の思いというのはとても尊く、高尚であり、それは現在の我が国の財産であると思わずにはいられなかった。どうか皇太子さまにはその思いが受け継がれますようにと願ってしまうのは、一国民の勝手な願いというものか。
松田慶子

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