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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2006年11月27日

奥-井ノ上3rdメモリアルフォーラム 日本の外交戦略への提言

きょうの「夕学五十講」は特別編でした。
3年前の11月29日にイラクで凶弾に倒れた二人の外交官、奥克彦さん・井ノ上正盛さんの遺志を受け継ぐべく、サントリーラグビー部監督の清宮克幸さんをはじめ、生前お二人と親しかった方々が立ち上げたNPO法人「奥-井ノ上イラク子ども基金」の主催する「奥-井ノ上3rdメモリアムフォーラム」を夕学の一環として開催したものです。
開催の経緯は、7/5のブログ(清宮さん登壇の回)に書かせていただきましたが、二人の外交官が命の代償に残した、平和への願いをこめた「志」を受け継いだ素晴らしい企画だったと思います。
「奥-井ノ上3rdメモリアムフォーラム」は毎年一回、お二人の命日に時を合わせて、日本の外交戦略について議論を深めることを目的に開催されています。
今年は、イラクへの自衛隊の復興支援活動がとりあえずの収束をみたこともあって、イラクが残した課題をどう考えるべきかを主眼に企画されたそうです。
毎回フォーラムでは、一方の意見を声高に主張する場ではなく、できるだけ多面的な議論が展開できるように、さまざまな立場の論客をパネリストに招いています。
今回は、第一部で、現役自衛官の本音の意見もお聞きできましたし、第二部では、市民・財界・政府と異なる三者の立場を代弁するお三方の熱のこもった議論もありました。
司会の黒岩祐治さんのメリハリの効いたプロフェッショナルな進行もあって、聞きにくいこともズバリと聞いていただき、パネリストの方も飾ることなく、本年をぶつけ合っていただいたと思います。
多角的な議論を行うというフォーラムのねらいは十分実現できたのではないでしょうか。


政治においても、経営においても我々の活動の指針となる明確な「理念」が必要です。
またその「理念」を、我々を取り巻く環境の中で滞りなく具現化するためには「制度・きまり」が不可欠です。
更には、それを実際に担う人々の「運用力」も求められます。
「理念」「制度・きまり」「運用力」の歯車が上手く噛み合っている時は問題ありませんが、我々を取り巻く環境が時代とともに変化するうちに、不変であることを旨とすべき「理念」と環境とのズレが広がり、「制度・きまり」の間尺が合わなくなることはよくあることです。
その時にこそ、環境との接点の位置する現場の人々の「運用力」が試されるといわれています。
奥さん・井ノ上さんは、現場情報の収集を担う外交官として究極の「運用力」を発揮して、その任にあたっていました。
佐藤隊長、山中隊長もサマワで現地の人々協力関係を築きながら、復興支援業務を遂行するには、自衛隊の任務を超越した「運用力」が必要だったと言います。
NGO出身の伊勢崎賢治さんは、国連の一員としてアフガンをはじめ世界各国の内戦後の武装解除活動に携わってきました。多国籍組織にあって、現場を動かすのは、時に属人的な「運用力」であったに違いありません。
田中均さんは、北朝鮮交渉の際には、小泉首相の特命を受けた裏交渉の当事者としてハードなネゴシエーションを独力で担い、結果的に批判の矢を一身に受ける苦い経験をされた方でもあります。
皆さん、想像を絶する厳しい現場を担い、「制度・きまり」と環境との不適合を身体を張って防いできた「運用」のプロの方々です。
奥さん、井ノ上さんは命を落とす結果になりました。
佐藤隊長、山中隊長も伊勢崎さんも田中さんも、自分がいつそうなっても不思議ではない、ギリギリの経験をしてきたに違いありません。
そんな当事者の意見は、ずっしりと重く、本質的なものでした。
イラク派兵問題は、平和憲法という理念を具現化するはずの集団的自衛権に対するこだわりが、国際社会の一員として日本に求められる役割と不適合を起こしていることに起因していることは間違いないでしょう。
現場を経験してきた点では共有されるパネリストの意見が、集団的自衛権や9条改正論議についての見解ではきれいに二分されました。
現場で起きている不適合を論拠に、上流に遡って「制度・きまり」の再構築や「理念」そのものの再定義が必要だとする立場と、その前に「運用」で出来ることをやり切っているのかと問題提起する立場、どちらも信念に基づいた責任ある意見でした。
我々に求められているのは、黒岩さんが最後におっしゃったように、傍観者ではなく、当事者としてこの問題を考えることだと思います。
民主主義社会では、我々ひとり一人の意見の集積が政策に反映されるはずです。多くの人にゆるぎない持論を形成していただくためにも、このフォーラムを継続していただくことを切に祈る次第です。

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