夕学レポート
2011年07月12日
日本の失敗 アレックス・カー氏
「日本は近代化に失敗した」
「日本は日本ではなくなった」
アレックス・カー氏が9年前に上梓した『犬と鬼』には、日本人には耳の痛い辛辣な言葉が並んでいる。
日本をロクに知らない嫌日派の戯れ言であれば聞き流せばよい。しかし、五十年近い日本在住歴を持ち、日本文化をこよなく愛する、とびっきりの日本通が呈する苦言だけに、胸にトゲ刺す思いがする。
いったい、日本のどこが失敗なのか。何をもって日本が日本でなくなったのか。
講演では、”景観”という観点から、失敗の具体例を紹介してくれた。カー氏が日本をくまなく歩いてカメラに収めた「現在の日本」の姿である。
護岸をコンクリートで覆われた清流、電柱で電線が煩雑に交差する町並み、「夢」「~トピア」「人にやさしい」というキャッチが冠せられた観光スポットetc。
正直に言うと、信州の田舎で育った人間である自分には、何が失敗なのか、すぐに分からなかった。
地方に車を走らせれば、どこにでもある、当たり前な光景ばかりである。私はすでに、そばにあり過ぎるものを見えなくなっている。
「景観のテクノロジー」 この発想と技術が、日本にはない。
カー氏は、そう指摘する。
欧州の都市・地域開発であれば、伝統的な家屋、古い街並み、自然の山と川を残しながら新しいものを作る。
電柱を地中に埋める技術、家並みや屋根の色を統一しようという思想、コンクリートは最低限にしておこうというこだわり、看板を規制する法律等々。
古いモノを残しつつ、新しいモノを加える「景観のテクノロジー」がある。
日本の開発思想はまったく逆である。
「山も谷もアスファルト、ランランランラン、素敵なユートピア」
1950年(昭和25年)旧建設省が制定した「ユートピアソング」なる省歌には、戦後日本の開発思想が見事に歌い込まれている。
日本はなぜ、失敗したのか。
その答えは、先日の夕学で田口佳史氏が説いてくれた「見えないものを見る」という日本の精神性(日本らしさ)と、講演のタイトルでもあった「犬と鬼」という言葉の意味を並べてみることで浮かび上がってくる。
「犬」とは、そばにあり過ぎて見えない存在の象徴である。当たり前のもの、ありふれたものの価値は見えにくい。だから「鋭い感性と深い洞察」が必要になる。いずれも「見えないものを見る」ことに秀でた、かつての日本人の精神的特質であったものだ。
いまは、それが失われた。
「鬼」とは、想像の中にしか存在しないがゆえに、誰もがイメージし易いものの象徴である。怖いもの、恐ろしいものは見え易い。だから感性が鈍感で、洞察を加えずともよい。
「犬」を見ずして、「鬼」ばかりを追いかける。
ありふれた日常の光景を壊し去って、奇抜なモニュメントばかりを作ろうとする。
「日本の景観」の失敗は、日本らしさの喪失を意味している。
いま失敗に気づけば、間に合うのだろうか。「日本の景観」の失敗は取り戻すことが出来るのだろうか。
カー氏の話には、一縷の望みも紹介された。
例えば、「篪庵トラスト」の活動
あるいは、「岡山県新庄村」の街並み保存
さらには、「長崎県小値賀島」のツアーアクティビティ
「鬼」に目を奪われずに、目の前のある「犬」の魅力精一杯引きだそうという観光活動である。
日本の至る所に「犬」はまだ生きている。
この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/7月12日-アレックス-カー/
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