KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2007年01月16日

“2ちゃんねる”閉鎖?

ネット上の巨大掲示板群、“2ちゃんねる(以下“2ch”)”が閉鎖の危機「らしい」です。
この閉鎖騒動、2001年にもありましたが、あの時は膨大なアクセスにネットワーク設備が耐えられなくなり、維持するためには莫大な費用がかかるので閉鎖しか…という経緯でした。その後2chユーザーの有志が負荷軽減のためのcgiを開発し、なんとか閉鎖の危機は免れた(すいません。かなりはしょってます)わけですが、今回はそれとは全く事情が違うようです。
2ch管理人である「ひろゆき」氏が、2ch関連で様々な訴訟を抱えていることは有名ですが、氏が司法からの賠償命令を無視し続けていることに業を煮やしたある債権者が、氏の銀行口座、軽自動車、パソコン、さらに2chのドメイン「2ch.net」までも氏の資産として仮差し押さえを東京地裁に申し立てた、というのが事の発端。
ネット上では「1000万人のネット難民はどこに行けばいいのか?」「ひろゆき氏はどう責任を取るのか」というものから、法律の専門家まで巻き込んだ「ドメインは資産なのか?」「海外のサーバー管理会社にそれが通用するのか?」というものまで、様々な議論が巻き起こっています。
法律論は他の方にお任せするとして、ここでは2chがやり玉に挙げられるときに必ず出てくるキーワードである、“匿名”について考えてみたいと思います。


私自身も2ch歴7年ほどのいちユーザーです。特に常駐している板(掲示板のカテゴリー)はありませんが、いくつかのスレッドを定期巡回し、たまには書き込みもしています。
自分が何かそこで質問することもあれば、誰かの質問に回答することもありますし、単に言いたいことを書き込んで、同好の士とワイワイやることを楽しんだりもしています。
そしてもちろんその中では楽しいことばかりでなく、不快なことや落胆したこともありました。よかれと思ってしたアドバイスに対して、「ウザい氏ね」とレスがついて、脊髄反射的に怒りのレスをするという大人げないことをして、後から自己嫌悪に陥ったこともあります。
「匿名だと思ってホントに好き勝手言いやがって」
と思ったことも何度もあります。
しかしこう考えたことがあるのもまた事実です。
「匿名のおかげで恥かくのがこの場・この時に限定されて助かった」
さて、メディアではこの“匿名”のデメリット面のみが強調されているような気がします。そこでは、
「匿名だから面と向かって言えないことが言いやすい」
 →誹謗中傷することにためらいがなくなる。
 →2ch等で相手を「晒す」ことで多くの人間が知る。
 →相乗りする連中が出てくる。
 →数の論理で大がかりなイジメに発展する。
という因果関係で語られることが多く、こうした状況が“祭り”と呼ばれ、“ブログ炎上”などもこれに該当するわけです。
確かにそこでは、顔が見えないのをいいことにストレスのはけ口を求める、人間のダークサイドと悪意の連鎖が露わになっており、顔をしかめたくなることが多いのは事実です。
しかしこの“匿名”、本当にデメリットしかないのでしょうか?
昨年の『電車男』ブームは、「匿名だからこそ生まれる善意」の存在を多くの人に伝えたはずです。また、放火で焼けた折り鶴を広島平和記念公園に届けた『折り鶴オフ』や、白血病の原因究明にパソコンの使っていない力で協力する『UD Agentチーム2ch』等、2chの一面識もない人々が結集した、“バーチャルコミュニティによるメセナ”とも呼べる活動はいくつもあります。
また、そうしたプロジェクト型の大規模な活動だけでなく、パソコンのノウハウや保険の選び方のような、情報の交換と共有(教え合いという相互扶助)も日常的に行われており、私自身も何度も助けられました。
さて、これらの善意のプロジェクトや相互扶助は、確かに“匿名”が必要条件ではありません。ですが、“匿名”でなかったら生まれなかったプロジェクトや相互扶助も多かったと思うのです。
ネットではない、リアル(現実)な世界でも同じです。たとえば赤い羽根の募金が署名必須になったら、あれだけの金額が集められるでしょうか。「署名が面倒くさい」という点ももちろんあるでしょうが、名乗ることのデメリットとしての「気恥ずかしさ」「個人情報開示リスク」によって、善意を行動に移す人は少なくなるはずです。
「名乗るほどの者ではありません」
これは我々に本日が元々持っていたメンタリティだったはずです。
「匿名を利用して無責任に人を傷つける」ことは無論糾弾されてしかるべきです。
しかし「匿名を利用して無責任に世のため人のためになることをする」ことは、なんら恥ずべき行為ではありません。
ですから、悪意の“祭り”のみクローズアップし、“匿名”をスケープゴートにすることには、私は異論を唱えたいのです。
だいたい、“真の匿名”はありえません。2chにしても、追跡すれば誰がそれを書いたかは判るのです。冗談のつもりだった爆破予告、猫の虐待の実況、すべて個人が特定され、逮捕者も出ています。
重要なのはネット/リアル問わず、また匿名/非匿名問わず、「人を意図的に傷つける行為は恥ずかしい」という当たり前の常識を我々が意識し、そして教育していくことのはずです。
しかし残念ながら、どんなに教育・啓蒙活動を行っても、悪意がこの世から消えることはないでしょう。
だから我々は自己防衛しなければならず、“匿名”はそのためのツールとしても必要なのです。
もし匿名が禁止され、全てのコミュニケーションや取引が実名になれば、間違いなくインターネットビジネスは崩壊し、自由気軽なコミュニケーションのできない、閉塞感に満ちた社会になってしまうでしょう。
それでも「匿名はけしからん」という方にはこうお聞きしたいと思います。
「名乗れば全てOKですか? 相手が偽名でないという保証はどこにあるのですか?」

メルマガ
登録

メルマガ
登録