KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年12月26日

そんなに待つことと寄り道が嫌いですか?

早いもので2008年ももう少しで終わりです。
今年も公開セミナーに研修にと走り回っていたらもう年末、ということで個人的にもあっという間の1年でした。
こうして振り返ってみると、講師としての幅も予定通り広げ、深めることができた(もちろん完璧ではなく反省も多いですが)ように感じますし、念願の著書も出すことができました。
なかなか充実した1年だったと思います。
これもひとえに多くの受講生や企業の研修担当者、そして慶應MCCのスタッフとこのブログの読者である皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
さて、本年最後のエントリーは、最近ちょっと危惧していることについて書いてみたいと思います。(ちなみに本エントリーは記念すべき100番目の投稿です!)
インターネットやパソコン、そして携帯電話の普及に伴い、本当に便利な世の中になりました。
シームレスにいつでも・どこでも・誰とでも繋がることができるユビキタス社会がほぼ実現したと言えるでしょう。
しかしこの便利さが「アタリマエ」になったことで、様々な弊害が出ていることも確かです。
私が特に気になるのは、社会全体が
◆のんびり、あるいはじっと「待つ」ことができなくなった。
◆ぶらりと、あるいはウロウロと「寄り道する」ことができなくなった。
ように見えることです。

携帯電話の普及で、待ち合わせの風景は一変しました。
以前のように、「おかしいなあ。場所と時間は間違ってないよなあ」とイライラしながら、しかしながら時にはドキドキしながら長時間待ち続ける人は今やいなくなりました。
遅れても「GPSで直接お店に行くよ」と連絡している人までいます。
確かに便利です。
しかし、「いつでも繋がる」「どこでも繋がる」「誰とでもつながる」というのは、裏を返せば「いつでも構わない」「どこでも構わない」というルーズさ、「誰でも構わない」という危うさを秘めていると思うのです。
またインターネットの普及に伴い、「思い出せないことでイライラする」こともなくなりました。
ちょっと気になったことがあれば、以前のように「明日これに詳しい○○さんに聞こう」ではなく、GoogleやWikiで調べれば一発でわかる時代になったからです。
これまた「待たなくても良い」時代になったと言えるでしょう。
しかし、この「待たざるを得ない」から「待つ必要がない」への転換は、「待つのなんて馬鹿馬鹿しい」という意識を生み、そこから結果的に『我慢する』という意識さえ薄れさせたように感じるのは私だけでしょうか。
待つことで高まる期待感もあるはずだし、何より「待つ」ことを許さない姿勢は、「今すぐなんとかしたい」という意識を助長し、中長期的視点をないがしろにする危険性さえあると思うのです。
生きていれば追い風が吹く時もあれば向かい風にさらされる時もあります。経済も同じで、時には体を丸くしてじっと待つことが必要な時もあるはずです。
ちょっと風向きが悪いからといって、性急にバタバタするのではなく、じっと我慢して待つことが正解の時もある。
こんな単純な真理も我々は忘れてしまったのでしょうか。
そして現代は、この「待つ」ことと併せて、「寄り道をする」ことも“無駄”と考える傾向が強くなっているように思います。
これはやはりGoogleをはじめとした『検索文化』と、掲示板サイトを中心とした『教えて文化』の影響でしょう。
知りたいことがあったら「○○とは」と検索するか、2ch他の掲示板サイトで聞けばよい。
確かに手っ取り早く知りたい情報を得ることができます。
しかし一直線にほしい情報にたどり着くことが、本当に良いのでしょうか。
そしの方が効率的なのは認めます。
でも、わからないからあっちに行ったりこっちに行ったりする。時間はかかるが、その寄り道の中から思いもかけない別の有意義な情報を見つける。
そうした喜びも我々は知っていたはずです。
たとえば知り合いに電話して聞きまくる。
その過程で目的とは異なっていても面白い情報を得たり、結果的に旧交を温めることもできたりする。
あるいは新聞を目的もなく読む。
その過程であまり興味のなかったジャンルで面白い、または役立つ情報を得る。
こんな経験は誰しもあったはずです。
つまり“検索”して一直線に目的にたどり着けることがアタリマエになったことで、“探索”してウロウロすることの意外な効果や楽しさを、我々は忘れかけているのではないでしょうか。
タイムマネジメントも研修領域の私ではありますが、「なんでもかんでも効率化」という風潮には違和感を感じます。
タイムマネジメントの本でよく語られているような、「自分の夢を日付を明確にし、それをブレークダウンして明日の行動を決める」という考えは、確かに効率的だと思います。
しかし私はやりたくない。
たとえ非効率的であっても、寄り道の中から面白いことを見つけ、次の道を選択していくという楽しみを、そのやり方は奪ってしまうからです。
我々は今一度「待つ」ことと「寄り道する」ことの意味を考えるべきではないでしょうか。
私もこの一年はかなり効率重視で突っ走ってきました。
そのスピードはたぶん落とせないでしょう。(ウチの営業もうるさいですから(笑))
しかし、来年はなんとか時間を作ってみたいと思います。
一喜一憂せずに、そして焦らずにじっと「待つ」時間を。
あえて目的を持たずに、ウロウロと「寄り道をする」時間を。
それが次の“糧”となると信じて。
年末年始はちょうど良いタイミングです。
皆さんも、自分なりの来年のコンセプトを考えてみてください。
そして時には「待つ」ことと「寄り道をする」ことも試してみてください。
では、良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。

メルマガ
登録

メルマガ
登録