KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2009年03月19日

『時間にルーズ』な人々

先日ある若手対象の研修で、いつものようにグループ演習をやってもらったところ、制限時間がきても全く終わる気配がありません。
それどころか、誰も時間を気にしていないのです。
事務局の方もあきれ顔でした。
正直このような経験はこの時だけではありません。
これ、若手対象の研修でよく見られる光景なのです。
人事の方とお話しすると、やはりしばしば「若手に時間にルーズな人が多い」と嘆く声が聞かれます。
もちろん全ての若手が時間にルーズなわけではありませんが、なぜこんなにも時間にルーズな人が最近多いのでしょうか。
いつものように少し分けて考えてみましょう。

「なぜ若手に時間にルーズな人が多いのか?」というイシューを、その上位と下位、つまり時間を守ることの目的(Why)と手段(How)に分けて考えてみました。
(1)他人の都合を考えない
時間を守ることの大きな目的は「他人に迷惑をかけない」ことですが、その意識が薄いような気がします。
その背景には、「他人を待たせることへの罪悪感の薄さ」と「自分の都合を最優先させる」という傾向が見えます。
また、そもそも論として「他人が待っていることに気づいていない」というアンテナの鈍さもあるでしょう。
(2)計画性の無さ
時間を守るためには「無駄を省いて効率的に進める」ことが必須ですが、そのためには事前の計画、つまりダンドリが何より大事です。
ところがなんでも行き当たりばったりに始めてしまう人が多いのです。
ではなぜ計画性が無いかと言えば、「無駄な時間」という概念が薄い、つまり「コスト意識の低さ」が挙げられるでしょう。
我々は自分の時間を提供する対価として報酬を得ているとも考えられますから、何も成果を生まない無駄な時間があるということは、人件費のそれこそ無駄遣いだからです。
また、もうひとつの理由として「時間の優先順位が低い」ということも挙げられます。
もちろん前回のエントリーでも述べたように、何らかの活動にはQCDの優先順位があるはずですから、時間をオーバーしても良い成果を出すことが重要な場合もあります。
しかしながら、その場合でも「あと○○時間待ってください」というお願いが必要なのは言うまでもありません。
さて、こう考えていて私に一つの仮説が生まれました。
これら「人の都合を考えない」「計画性の無さ」という傾向が生まれた背景に、『携帯電話の普及』がありはしないだろうか? という仮説です。
今の若い人は学生時代から携帯電話に触れています。
主たるコミュニケーション手段がケータイという人も多いでしょう。
待ち合わせに遅れそうだったら、途中で相手のケータイに一報を入れれば事足りる。
だから待つ方も、「遅いなあ」とイライラすることも少なくなりました。「今どこ?」と電話すれば良いのですから。
これはこれで便利になったわけですから、別に悪いことではありません。
しかしその便利さが、仕事や生活をする上で必要な意識を薄れさせているのではないでしょうか。
「相手を待たせてイライラさせることがない」という安心感が、「他人を待たせることへの罪悪感の薄さ」に繋がり、「好きなときに連絡を取れる」という安心感は、「自分の都合を優先させる」ことに繋がっていると。
私の知人がこぼしていました。「なんで今の若い奴は、ケータイに電話してきて『今お電話大丈夫でしょうか?』って言えないんだろう」と。
また、計画性の無さもやはりケータイの影響ではないでしょうか。
私の若い頃は仕事であれプライベートであれ、待ち合わせについては入念にダンドリしていました。時刻表や地図を調べ、「地下鉄の7番出口を出て○○の看板の下で6時に」という具合です。
しかし今は「新宿の○○という店で7時ね」でOK。
迷った人がいてもケータイで誘導できるし、話ながら迎えにも行ける。
確かに無計画でもなんとかなります。
私の娘は、父親の影響もあって無計画なことが大嫌いなのですが、以前友達とディズニーランドに言った後にこう言っていました。
「なんでみんな行き当たりばったりで、好き勝手なところに行こうとするんだろう?」
どうも「ケータイがあるから」という理由で、みんなで計画的に回るのではなく、途中で何度もグループが分裂(乗りたいアトラクションが違うから)し、また連絡を取って合流したりするものだから、時間のロスが多くて結局いくつかのアトラクションには乗れなかったらしいのです。
かなり昔のエントリーでも書きましたが、計画性の無さは単に効率だけではなく効果にも悪影響を及ぼすのです。
いろいろ述べてきましたが、私は単に携帯電話をやり玉に上げているのではありません。
その便利さは理解していますし、今さらケータイの無い生活が無理なのも事実です。
しかし、少しだけ自問自答してほしいのです。
「ケータイでのコミュニケーションに慣れたことで、人の都合を考えなくなっていないか?」
「ケータイに依存して、モノゴトを計画的に進めることを面倒くさがっていないか?」

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