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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2012年08月15日

『いじめ問題』を正しく定義する

問題解決においてまず重要なのは、問題を明確に定義することです。
なぜならば、スタート地点であるこれが誤っていれば、問題解決はあらぬ方向に行ってしまうからです。
たとえば「『体重が減らない』ことが自分の抱える問題だ」と考えたとしましょう。
これから考えるべきことは、本当に「どうやって体重を減らすか?」でしょうか。
『体重が減らない』という事実で、誰がどう困るのか?
それによって『健康を害する』事態になりつつあるのなら、確かに「どうやって体重を減らすか?」を考えるべきかもしれません。
しかし、人によっては『モテなくなる』とか『大きな服を買うコストがかさむ』ことこそ、真の問題かもしれません。そうであれば、真に解決すべき問題は別にある場合もあるはずです。
だから問題を明確に定義する必要があります。
では、どうしたらそれができるのか。

そもそも『問題』とは「あるべき姿と現実とのギャップである」と言われます。
つまり問題を定義するためには、
◆『あるべき姿』の明確化
◆『現実』の正確な把握
が必要です。


前置きが長くなりましたが、私は最近また話題になっている『いじめ問題』について、問題の定義を見直すべきと考えています。
もっと単刀直入に言えば、「問題の定義を間違えているから、いじめによる自殺が起きた」とすら考えています。


さて、教育現場の現状として、この問題はどう定義されているのでしょうか。
まず、現実とのギャップを測るための『あるべき姿』とは?
結論から言えば、私は「いじめが起きていない」状況を『あるべき姿』として設定することがそもそも間違っていると考えています。
なぜならば、残念ながらいじめは程度の差こそあれ、決して無くならないものだからです。
やる方は悪ふざけ程度にしか考えていなくても、やられる方が「辛い」と感じればそれはいじめです。いじめとはやられる方の主観で決まるものなのです。
だからやる方が「あいつの間違った行動を正そう」という意識で行ったことでも、いじめになってしまう場合もあるのです。
もちろんこれは極端な例です。私は決していじめの加害者を擁護したり、「いじめられる方も悪い」と言いたいわけではありません。
ただ、現実として「いじめゼロを目指す」ことは不毛だと言いたいのです。
確かに問題解決において「目の前の問題をモグラ叩き的、場当たり的に解決しようとする」のでなく、そうした問題が「起きないようにする」ことを考えるのは、組織の効率的オペレーションという観点からも重要です。
しかしそれは、そうした個々の問題が起きないようにすることが可能な場合だけ。
いじめのような主観に左右される問題には「向かない」考え方なのです。
そればかりか、「いじめが起きていない」状況を『あるべき姿』とすることは、逆にいじめ問題を深刻化させていると私は考えます。
なぜならば、「いじめが起きていない」状況が『あるべき姿』であるために、現場が「いじめが起きていないように見せかけよう」「いじめが起きていないと思い込もう」とするからです。
そう、これこそ「いじめがゼロ件である」ことが評価基準になっていることの弊害なのです。
だからいじめ問題においては、まずこの間違った『あるべき姿』から変えなくてはなりません。
では、どのように変えるべきなのか?
究極的には「いじめで自殺や転校などが起きない状態」なのでしょうが、それ以前に(残念ながらと言うべきでしょうが)まずは「いじめの件数と個々の状況を現場が正確に把握した状態」を最初の『あるべき姿』として設定すべきと考えています。
そう、いじめ問題における現時点での最大の問題は『いじめの実態が把握できていない』ことなのです。
だからいじめの実態を正確に把握できた学校をまず評価すべきです。
いじめが起きている学校を「よくやった」と評価するのはおかしいと感じるかもしれません。しかしまずはここからです。
この『いじめの実態が把握できていない』問題が解決できてから、次の問題は定義すべきです。
そう、『いじめが減らない』ことや『いじめによる不登校か増加している』など、学校毎、あるいは地域や年代に応じて、より優先順位の高い問題を定義すれば良いのです。
そうして定義された問題に応じて目標数値を決め、その達成に応じて評価する。
これが現実的ないじめ問題における『問題の定義』だと思うのです。


さて、今回は『いじめ問題』を例に挙げて問題の定義について考えてきましたが、これは何も『いじめ問題』に限りません。
ビジネスにおいても、こうした「間違った『あるべき姿』の設定」による問題解決の迷走はしばしば見られます。それこそいじめ問題と同様に「まずは実態の把握だろう」と言いたくなるケースも多いはず。
あなたが今取り組んでいる、あるいは取り組もうとしている問題は何でしょう?
そしてそれは本当に取り組むべき問題ですか?
少なくとも、その問題における『あるべき姿』が間違っていないかどうかを一度考えてみませんか?

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