ファカルティズ・コラム
2015年03月27日
不毛な「批判自体を目的とした批判」
週刊文春の林真理子氏のエッセイが物議を醸しています。
少しだけ引用してみます。
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「お母さんがもっとしっかりしていたら、みすみす少年は死ぬことはなかったはず」
「ふだんから子どものことはかまってやらず、うちの中はぐちゃぐちゃ。そして恋人がいたという」
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要するに、「川崎少年惨殺事件は被害者の母親にも問題があった」という主張です。
同様の主張は、小林よしのり氏も自身のブログで行っています。
それに対して、「最も悲しんでいる被害者の母親を批判するとは何ごとか!」という感情論から来る批判、そして「シングルマザーの現状をわかってない」という社会論的批判が巻き起こっています。
しかし反対に、「その通り。正論だ」という支持の意見も、少なからず寄せられています。
さて、私の意見は、「確かに林氏も、そして小林氏も、間違ったことは言っていない。しかしそれを言って何が変わるの?」です。
本文にもあるように、両氏ともに「個人批判をしたいのではなく、社会への注意喚起をしたい」のでしょう。それは理解できます。
「こんな悲惨な事件を起こしたくないから発言した」 それもわかります。
しかし、本当にそれで「そうか、母親は子供を優先すべきなのか。知らなかった」と反応する人がどれだけいるでしょうか。
「子供を大事にしなきゃいけないのはわかってる。でも…」というのが、ほとんどの「子供を不幸にしてしまう親(父親も当然含む)」だと私は考えます。
つまり、「わかっている人間」に「教えてやる」と言っても、行動が(教えられた通りに)変わる可能性はとても低い。
つまり、不毛なのです。
これは今回の件だけではありません。
親が子供に、上司が部下に、「相手もわかっていることを今さら教える/批判する」のは、単に「自分が言いたい/批判したい」場合がほとんど。
言い方を変えれば、「批判自体を目的とした批判」なのです。
そこにどんなに「お前のためを思って」という親心や親切心があったとしても、「相手が変わらなければ意味がない」のです。
しかし、ひょっとするとこんな反論があるかもしれません。
「いや、これは本人に対してではなく、周囲の人に「だから見て、注意してあげて」と言っているのだ」
しかしそれに対しても、私はこう再反論します。
「つまりそれって、確信犯に対して社会で監視・指導し、仕方なしに行動を変えさせよう、ということですよね?」
子供や新入社員の「しつけ」ならそれも方向性のひとつとしてあるかもしれません。しかし、今回の問題で考えてみれば、「しょーがねーなー。イヤだけど子供の面倒見るか。周りがうるさいし」という思考で育てられる子供の立場で考えてみてください。
そんな親に育てられたいですか?
また、「周りがうるさいから」という理由で、無理をすれば、下手をすれば一家心中という事態も十分想定されます。
現に私たちは、「自分が責任を持って育てなきゃ」→「でもやっぱり無理」→「一緒に死のう」という実例を、いくつもニュースで見てきたはずです。
再度言います。
どんなに親切心や正義感がベースになっていたとしても、「そんなことは百も承知」の人に対する批判や指導は「不毛」です。
仕事でもプライベートでも、私たちは「批判自体を目的とした批判」をしようとしていないか。
それを一度立ち止まって考えるべきでしょう。
さて、最後に林氏の発言に対する「炎上」の論点となった「親の責任」について、私の意見も言わせていただきます。
社会にとって重要なのは未来を創る子供です。
であればそろそろ私たちは、「親は子供をしっかり育てる責任がある」という『常識』を捨てても良いのではないでしょうか?
子供の優先順位が低い親は、残念ながら一定数存在します。
そうした親(しつこいようですが父親も含む)に、何が何でも責任を取らせるより、親から子供を離し、社会で育てる方が、よっぽど子供にとって良いように思います。
これには確かにコストがかかります。しかし、その効果が期待できる確率は、単なる指導・啓蒙や、経済的援助に比べ、格段に高いと考えます。
これは「親の責任」だけではありません。「子供には老いた親の面倒を見る責任がある」という常識もまた、捨てても良いのではないかと思っていますし、実際、こちらは徐々にそうした流れになってきています。(「無理な在宅介護はやめよう」のような)
であれば、親の責任についても、そろそろ考え直しても良いのではないでしょうか。
もちろん、「責任を持って育てたい」のであれば経済的、心理的に応援する仕組みも、合わせて必要でしょう。
親になるのに明確な資格などありません。
しかし、自分で育てるためには経済力とともに心技体の点からもクリアすべき条件があるのは確かです。
だからその条件が整っていない親が子供を育てるのは「無理」と割り切る。
そして社会で育て、この社会に貢献してもらえばよいと思うのです。
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