2015年06月05日
「面接」から「面談」へ
いまだに「圧迫面接」なるものが無くならないようです。
わかりやすい傾向と対策はこちら→『圧迫面接がなくならないワケ – 企業の事情と対策』
ただ、ヒトコトで圧迫面接とは言っても、「どこからが圧迫か」という定義は難しいのも事実。
「結婚の予定は?」とか「何しに来たの?」のような、セクハラ・パワハラとしか言えないものは「圧迫面接だ!」と言って良いでしょう。
「ストレス耐性を見る」などという馬鹿げた理由や、「地方勤務ができるかどうか」を探るためにプライバシーに踏み込むような質問は、時代錯誤と言われても仕方ありません。
しかし「日本には畳が何畳あると思いますか?」のような、臨機応変な対応や思考力のレベルを知りたいから行う質問までも「圧迫」認定するのは、ただの甘えでしかありません。
用意してきた答をすらすら答えさせるだけなら、面接など不要だからです。
さて、ここからは思考トレーニング。
圧迫云々に関係なく、私たちはこの「面接」を経験しないわけにはいきません。
しかし、ここで似た言葉のことも考えてみましょう。
そう、「面談」です。
では、あなたの考える「面接」と「面談」の違いは何ですか?
できればふたつ以上、「定義の違い」を考えてみましょう。
そしていつものように「一度自分の考えを整理」した後、「続きを読む」をクリックしてください。
考えはまとまりましたか?
「(1) 面接は1対1だが、面談はもっと大人数」ですか?
んー、でも就活での面接は1対多の場合が多いですよね。
「(2) 面接は片方が主役だが、面談は双方が主役」
はい、これはなんとなく頷けますね。就職の面接なら求職者が主役ですが、商談における面談なら売り手と買い手、双方が主役と言えます。
「(3) 面接は評価が目的だが、面談は共同での問題解決が目的」
これもわかります。面談の方は、「相談」というニュアンスがありますから。
「(4)面接は、される方が立場が下だが、面談は対等な関係」
あー、これはストレートですが、やはり「うんうん」という感じです。(3)と併せて考えると、確かに「面接する方」が評価する立場になりますから。
・・・ここで話を「圧迫面接」に戻しましょう。
思うに、そもそも就活におけるそれを「面接」と呼ぶことが問題なのではないでしょうか。
先の定義(2)(3)(4)をもう一度見てください。
主役は本当に「求職者」だけなのでしょうか?
あの場は、本当に問題解決の場ではないのでしょうか?
そして採用側と求職者は、対等な関係ではないのでしょうか?
そんなことはありません。
採用する企業は、「使える人材が足りない」という問題(そうでなければ採用など不要)を抱えており、立派な主役です。
そして彼らは内定の辞退を恐れており、学生から評価され、選ばれる立場でもある。つまり関係は対等なのです。
そう、就活におけるあの場は、本来「面談」と呼ぶべきです。
個人的には、今の「面接」という言葉は、上から目線をしたいがために使われているとすら邪推したいところです(笑)
まあ、それは冗談です。呼称そのものが重要なわけではありません。
私が言いたいのは、面接する側もされる側も、あれを「面談」ととらえるべき、ということです。
『就職面接』を、
お互いの「ニーズとシーズのマッチングを行う問題解決の場」と考えよう。
だからお互い対等な立場で評価しよう。
それに加え、相手のニーズに「どう応えられるか」をお互いが提案しよう。
いかがでしょう?
ただの「きれい事」だと思いますか?
私はそうは思いません。
たとえすぐには難しくとも、採用側と求職者双方がこれらを意識すれば、今より何倍も良い「就職面接」になるはずです。
採用する企業が「圧迫面接をしよう」などという馬鹿げた考えを捨て、自社と休職者双方のニーズをマッチングする場としてその場に臨む。
そして求職者側も、変に「気に入られよう」などと考えずに、自分が企業側の何に役立てるのかを提案する場としてその場に臨む。
そして真剣に、協力して問題解決をはかる。
これらを意識するだけで、事前に準備すること、考えておくことが変わってきます。
「就活でやってはいけない10のポイント」のような、一夜漬けの小手先のテクニックなどいらなくなります。
「圧迫面接だ!」と採用側だけを批判するのは簡単です。
しかし変わるべきは採用する企業だけはありません。求職者も、意識の転換が必要です。
それがお互いにとって幸せなことだと思うのです。
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