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2018年12月27日

『ボヘミアン・ラプソディ』という波

お久しぶりです。
1ヶ月以上空いてしまいました。早いもので2018年ももう終わりですね。
そして本年ラストに取り上げるのは…
映画『ボヘミアン・ラプソディ』です。
興行収入は既に60億円を突破し、81億の『ジュラシック・ワールド』、75億の『スターウォーズ』に次ぐ、本年第3位の成績ですが、まだ公開中であるであることを考えると、スターウォーズ超えもあるかもしれません。
私も既に観てきましたが…本日、2度目の鑑賞、それも「応援上映」に行ってきます!
応援上映とは、「大声出しても歌ってもいい」上映形態で、過去も『アナ雪』や『シン・ゴジラ』で話題になりました。ペンライトもOKです(笑)
本日は、今夜の応援上映に向けてはやる心を抑えつつ、この「ボヘミアン・ラプソディという波」について私なりに考察してみます。
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大ヒット中の本作、その特徴は「リピーターの多さ」です。
現に私も2回目の鑑賞ですが、「自宅でDVDで観る」とか「昔観た映画をもう一度観る」でなく、同じ作品を観るために間を開けずに映画館に足を運ぶ、ということはほとんどありません。
さて、リピーターの多さ、という点で共通する作品に上でも挙げた『シン・ゴジラ』があります。
慶應MCCのメルマガ「てらこや」で、2年前私は『「シン・ゴジラ」をマーケティングの視点で考察する』というエントリーを書きました。
その中で私は、「シン・ゴジラ」のヒットの要因の一つとして「考えさせる作劇」を挙げました。
ちょっと引用します。
————————
一般的なドラマや映画の作劇は、わかりやすさを重視するために、「愛って素晴らしい」といった大前提を提示し、それに様々なエピソードを重ね合わせ、「だからこうだ」という演繹的な論理展開が多くなります。
ところが庵野監督の場合は、エヴァンゲリオンでもそうだったように、この大前提を提示しません。
そればかりか、「主人公は逃げない」という大前提すら、エヴァンゲリオンで否定しました。
その代わりに彼が提示するのが、圧倒的な量の「情報」です。そうしておいて「これらから何が言えると思う?」と、解釈やその後を観客に委ねます。
そう、彼の特徴のひとつが、一般的な「演繹的論理展開」よりも「帰納的論理展開」を多用した作劇です。
そしてそれが、本作のターゲットに「ドンピシャ」と刺さりました。
————————
「シン・ゴジラ」は、観客に「自分なりの解釈や展開」を考えさせる。
そしてそれを(主にネットで)発信・拡散させ、それを読んだ人たちが「なんかすごそうだ」と観に行く。さらに一度観た人も見落とした情報を確認に行き、リピーターが大量発生する。
『考えのシェア』が「シン・ゴジラ」のリピート率のポイントだったのです。
では「ボヘミアン・ラプソディ」は?
私は、それは『想いのシェア』だと考えています。
私のような「クイーンど真ん中世代」で、かつ彼らの音楽を愛していた人間であれば、それは曲に対する想いであり、またクイーンというバンド、フレディというヴォーカリストへの想いです。
また、当時の思い出に対する想いもあるでしょう。
ラストのライヴエイド、私はリアルタイムで会社の寮で観ていましたし。(トシがバレますね)
そんなオジサン世代でなくても、昨今話題のLGBTも含め、性別・世代を越えて多くの人々の「様々な想い」に、この映画は「刺さる」のです。
「シン・ゴジラ」が『アタマを刺激する』映画だとしたら、「ボヘミアン・ラプソディ」は『ココロに刺さる』映画なのです。
そしてこの映画が、他の多くの「心に刺さる」映画と一線を画している要素、それが音楽、そう「数々のクイーンの名曲」です。
特に「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」「リヴ・フォーエヴァー」は、単なるサウンドトラックというより、「フレディの台詞」として聞こえてきます。そう、ある意味この映画は「ミュージカル映画」とも言えるのです。
また、エンドタイトルで流れる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」「ショウ・マスト・ゴー・オン」は「どんなことがあろうと立ち止まらない」というフレディの、そしてクイーンというバンドの決意表明でもあるのです。
これで泣かない人がいるでしょうか?!
…すいません、少々熱くなりました(笑)
こうして考えると、この作品は「奇跡のようなバンド(とそのメンバー)の曲と歩みから生まれた奇跡のような映画」なのでしょう。


それをこれからまた観ることができる!
それも応援上映で!
ペンライトもムスメから借りてきました!
発声練習でもしておこうか。
「エーーーーーー~~オ!」


皆さんも良いお年を!!

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