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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2020年02月28日

こんな時こそ感情でなくロジックで動こう

新型コロナウイルス騒動。
私としても、かなり危機感を覚える状況になっています。
ただ、それは自分の命やパンデミックに対する危機感ではあれません。
世間の「騒ぎ方」に対しての危機感です。
デマに乗せられたトイレットペーパーやティッシュの買い占めに至っては、呆れるばかりです。
はっきり言って「騒ぎすぎ」です。
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厳然たる事実として「すべての医者が正しいことを言っている」わけではなく、また「お上が言うのだから間違いない」ということもありません。
そして病気にかかる/かからないには「運」も作用するのが現実です。
さらに言えば、子どもの感染例はあっても、重症化の事例はありません。「子供たちを守りたい」のは総意でしょうが、全国の幼稚園・小中学校を閉じることのリスク(親の就業補償など)を考えれば、それに見合ったリターンがあるとはとうてい思えません。
厚生労働省Webサイトによれば、インフルエンザへの感染が直接的/間接的な死因である死亡者数は、日本で毎年約1万人と言われています。
また、同じく厚生労働省の試算では、受動喫煙による死亡者数は年間約6800人とのこと。
「子供たちを守りたい」のであれば、まずはタバコの全面禁止…とまではいかなくとも、受動喫煙の撲滅の方が効果は高いはずです。
「希望者が検査できない!」と言っても、検査そのものの精度が低い(30-50%、70%という調査も)ですし、陽性であっても安静しか手立ては今のところありません。
「不安」はどちらにせよ解消できないのです。
また、学校閉鎖だけでなく、コンサートの中止やスポーツの無観客試合など、全国で自粛ムードが高まっています。
観光客も激減し、ホテル・旅館などの大型キャンセルも相次いでいます。
この騒動によってどれほどの経済的打撃があるか…
2%の消費税増税どころではないのは火を見るよりも明らかです。


明確な治療法がない新型コロナウイルス。
不安になるのは当然です。
しかしだからと言って、不安をほんの少し軽減させるために経済に打撃を与えるのは、「悪手」と言わざるを得ません。
こういうことを言うと、「命と経済と、どちらが大事だと思っているのか」と言う人が必ず現れます。
しかしそうした批判こそ、典型的な「誤った二分法」と呼ばれる『詭弁(屁理屈)』です。
命と経済、どちらも大切に決まっています。というか、経済が破綻したら多くの人が死にます。実のところだいたいの命は、「金さえあれば救える」のです。
付け加えると、先の「命と経済と~」という意見は、「感情に訴える論法」という詭弁でもあります。
「感情に寄り添う」のは大切です。人は理屈だけでは動きませんし。
しかし「不安感」や「不信感」といったネカティブな感情に寄り添いすぎるのも、他の大きな悪影響を生んでしまいます。
だから今こそ、「事実に基づいたロジカルな考察」が必要です。
メディアはさかんに危機感を煽ってきますが、「ミ○ネ屋で言ってた」などと鵜呑みにするのも、またネットやLINEのデマに踊らされてトイレットペーパーを買いに走るのも、ただの思考停止であり愚の骨頂です。
先の震災、もっと前ならオイルショックから、私たちは何を学んだのでしょうか。
感情的に「ふざけるな!」「何やってんだ!」「どうしよう!?」となりそうなのをぐっと堪え、まずは事実をしっかりつかむ。
そして「これらの事実から何が言えるのか?」と自分なりに考え、「自分はどうするか」を自分で決める。
このブログを読まれている方々であれば、それは可能のはずです。


ちなみに我が家では来月京都への旅行を計画していますが、中止などは全く考えていません。観光客が減っているのなら、微力でも貢献したいと思っています。
…そして空いているのも好都合です。思いっきり楽しんできます!

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