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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2022年04月21日

「がっかり」を考える

あなたは「がっかり」した経験がありますか?
それは何に対してですか?
そしてなぜ「がっかり」したのですか?

何かに「がっかりした経験」がない人などいないでしょう。
・推しのアーティストの新曲や評判の映画に
・初めて行った観光名所に
・信頼していた著名人や上司の発言に
・部下の仕事ぶりに
・子供の成績に

私自身も様々なモノゴトに「がっかり」してきました。
また、今の仕事からプライベートまで、様々な人々を「がっかりさせてきた」ことも確かです。
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できれば誰も、そしていつも「がっかり」させないようにできれば良いのかもしれませんが、それを反省することで自分の行いや組織の取り組み、仕組みなどを改善できれば、「がっかり」させることもまた「良いきっかけ」と言えます。


そもそも私たちが「がっかり」するのは、何かに期待していたのに、実際はそうでなかった、つまり理想と現実のギャップを感じたときです。
理想と現実とのギャップ、そう「問題」を見つけてしまうと私たちは「がっかり」するのです。
そして私たちが何かに「がっかり」するシチュエーションは、大きく2パターンに分けられます。
それは「縦方向のがっかり」と「横方向のがっかり」。
縦方向とは、「もっと面白いと思っていたのに」とか「もっと成果を出せるヤツだと思っていたのに」など、「100を期待していたのに実際は50かよ」という「レベルのがっかり」のこと。
それに対して横方向とは、「なんで大衆路線に行くの」とか「そういう話が聞きたいんじゃなくて」といった「方向性のがっかり」です。

・顧客満足度調査の結果が悪かった
・話している相手が「やれやれ」という顔をした
・リピート率が低かった

といった「目に見えるがっかり」に直面したら、すぐ「なんとか改善しなきゃ」と考えるのでなく、「このがっかりは縦方向か横方向か?」を考えるのが先決です。
だからもしがっかりの理由をヒアリングするなら、それを分けてより具体的に聞くことで、「今回のがっかりの本質」が見えてきます。
そうしたら、改善ポイントもおのずと明らかになりますよね。




しかし、こうも思うのです。
「がっかり」って、させた方でなく「する方」が悪い場合もあるのでは?
そしてどんなに相手ががっかりしようが、変えない方が良い場合もあるのでは?

たとえば冒頭で挙げた「推しのアーティストの新曲」などは、アーティストが目指す方向性と自分の嗜好にギャップがあった、つまり横方向のがっかりである場合が多いと思いますが、アーティストから見たら「余計なお世話」かもしれません。
新商品へのがっかりも、縦方向(レベル)のがっかりだけでなく、「これじゃない」という横方向のがっかりもあります。
こうした横方向のがっかりに対しては、「すみません、あなたは私たちのターゲットではないのです」と言われたらジ・エンドです。
なんで「聞いてほしい」「買ってほしい」と思っていない人の「がっかり」に応えなければならないのでしょう?
さらに言えば、縦方向のがっかりにしても「それはハードル上げすぎでしょ」という場合もあるはずです。
要するに「がっかりする方が悪い」場合もあるし、そんながっかりにいちいち応えなくても良いのです。
だから相手の「がっかり」を縦と横で分析し、その本質が見えてきたとしても、「さあ改善だ」の前に「で、これに応えた方が良いの?」を考えましょう。
不要な改善は効率が悪いですし、全てのがっかりに応えた八方美人の作品や商品、取り組みをしても逆効果です。
ありきたりですが、やはり「選択と集中」が大切です。


さて、最後にもう一つだけ、ここから見えてくることは何でしょう?
そう、私たちは時に「がっかりした自分が悪いのかも?」と考えるべきなのです。
「勝手にハードル上げてたんじゃないか?」
「自分はターゲットではなかったんじゃないか?」
お互いに気をつけたいものですね。

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