KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2024年07月25日

「言葉」とは何か

ここで何度か紹介した「知の共有サイト」QUORA。
そこで回答リクエストをもらった問いにこんなのがありました。

「言葉とは一体、何なのでしょうか? (辞書のコピペではなくあなたの考察を是非聞かせてください。)」

いやあ、思考トレーニングのお題としてもなかなかそそられるテーマです。

既に様々な答が投稿されていましたので、私が「なるほど」と思った回答をダイジェストでいくつかご紹介します。

ただ、ここから先を読む前に、ぜひあなたもあなたなりの回答を考えてみてください。

1. 「社会人間」になる為の「基本となる道具」
2. 他者に物事や要求、状況、気持ちなどを伝えるための「ツール」
3. 物理現象である音波に、意思や想いといった情報を乗せた、物理情報複合体
4. ある意味発する人の潜在的なものを映し出す鏡

いかがでしょう。
それぞれ「なるほど、上手いこと言うな」と思わせる個性的な「定義」ですね。

そうした回答で、私がハッとさせられたのが以下の回答でした。少し長めに引用します。

5. 言葉とは,人類の生存のための巨大な暴力である。
人類が個々人は弱いのに,繋がり合って1つの巨大な脳となり,地上でのさばるための最大の武器。

人類がこの地球でのさばるための暴力!

特撮オタクとしては、ウルトラセブンの「ノンマルトの使者」を思い出してしまいます。
「種」としての人類は、確かに言葉によって他の種にはできなかった「具体的な思考」を行う力、そしてより「精度の高いコミュニケーション」を行う力を獲得しました。

だからこそ物理的な力は貧弱なのにも関わらず、他の種を駆逐、あるいは屈服させ地上で最も繁栄を遂げた。これは疑いようもない事実でしょう。

さて、私自身の答えもこれに近いものです。

私は、言葉とは人間の「文化と文明を発展させた、思考とコミュニケーションのエンジン」だと考えます。

人類が言葉を持たなかったら、「考える」という行為はどうやって行えば良いのでしょう。
また、ボディランゲージや表情といった視覚情報と声のトーンや高さなどの聴覚情報だけでは正確に何らかの状況を他者に伝えることなどできはしません。

…しかし、ここでこう議論を呈することもできるでしょう。

ボディランゲージなども「言葉」ではないのか?

そう、本来は「言葉そのものの定義」を最初に明確にしておくべきです。
「顧客満足度を上げるには」をテーマとした会議で、どうにも議論がすれ違ったりかみ合わなかったりするのは、「顧客」の定義が明確でないことが多いのと同じです。

ここでは「言葉」を「言語化された情報」と定義して話を戻したいと思います。

先の5.の定義では、人類の競争戦略(だから「暴力」という表現)という視点でしたが、私は言葉による成果物の視点で「エンジン」というメタファーを使いました。(当初は「部品」としようかと思いましたが、部品の中でも最重要ということで)

言葉がなければ解像度の高い思考とコミュニケーションが行えませんから、様々な道具や道具を駆使した発明(自動車やスマホのような成果物)は生まれず、今の文明はなかったでしょう。

音楽や文学作品という成果物によって構築される「文化」もまた、言葉がなかったらここまで発展していません。

この「成果物」の視点で私は「文化と文明を発展させた、思考とコミュニケーションのエンジン」と表現しました。

正直QUORAの醍醐味である「知的大喜利」の答としてはイマイチだと思いますが(笑)

さて、あなたならどのように「言葉」を定義するでしょうか。
良い定義が思いついたら、ぜひQUORAで回答してみてください。

最後になりますが、私のも含め多くの回答でメタファーが使われているのに気がつきましたか?
言葉を「道具(ツール)」「暴力(武器)」「鏡」「部品(エンジン)」と、別の何かに置き換えて説明しています。
このメタファーによって、閲覧者が「直感的にイメージしやすく」なるわけですね。

その意味では、以下の定義に対しては座布団をあげたくなりました。

6. 言葉とは「完成形が定まっていないジグソーパズルのピース」

うーん、これもまたイメージしやすいメタファーですね。

そう考えると、言葉とはメタファーという技法によってより高性能な道具・武器・エンジンになると言えるのではないでしょうか。

 

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