2024年12月19日
質問に対して真摯かつ全力で答える
知の共有サイト『QUORA』の「哲学カフェ」というスペースに、こんな質問がありました。
1. 【人間関係において】嘘つきは大して悪影響は無いけど、正直者は悪影響が大きいと思いませんか?
さて、あなたならこの質問にどう答えますか?
ここで「いや、やはり信頼関係の継続を考えると正直であるべき」などと答えても良いのですが、それでは「感想レベル」になってしまいますし、「確かに相手が気分を害さないように小さな嘘はつくことが多い」というのも間違ってはいませんが、これまた単なる「経験則」になってしまいます。
この質問は「哲学カフェ」に投稿されていますから、重要なのは単なる感想や経験則でなく、客観的かつ論理的な「考え方」です。
2. 殺人事件も大きな視点で見れば、事故と同じですか?
これも「殺人と事故は違うに決まってる」と単純に断じてしまうのでなく、その答えよりも「答え方」と「考え方」が重要です。
「唯一の正解のない問いに対して考え抜く」という「哲学すること」を意識して考えてみてください。
さて、私はこの2つの質問に対して以下のように答えました。
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1. 【人間関係において】嘘つきは大して悪影響は無いけど、正直者は悪影響が大きいと思いませんか?
質問者様は、嘘つきと正直者のどちらも「人間関係において悪影響はある。しかし比較すると正直者の方が悪影響が大きい」とお考えなのですよね。
質問の解釈がそれで正しいとして、次に明確にすべきは「嘘つき」と「正直者」の定義です。「嘘つき」は文字通り「嘘をつく人」であり、「正直者」は「嘘をつかない人」です。
ポイントは「嘘つきは、いつも嘘をつくわけではなく、真実や本音も言う」というところです。「嘘しかつかない=生涯で真実や本音を一度も言わない人」なんて世の中には存在しません。
しかし「正直者」は「生涯で一度も嘘をつかない人」という定義なのです。
皆さんは、待ち合わせに遅刻してきた相手にイライラしていても、相手が「ごめん!」と謝ってきたら、本音を隠して「いや自分も今来たとこ」といった「嘘」をついたことはありませんか?
嫌いな得意先の部長に心にも無い「いつもお世話になっています」という「嘘」をついたことはありませんか?
特に「人間関係」を構築/維持するためには、仕事であれプライベートであれ、「嘘」は必須です。
それこそ「馬鹿正直」に自分の過ちや相手を罵倒する本音を誰に対しても話したりぶつけていたりしたら、人間関係など上手くいくわけもありません。
よってご質問に対しては「はい、その通りです」と…
…答えたいのですが、「生涯で一度も嘘をつかない人」などいないのですよね。
なので大変申し訳ないのですが、私の答えは「正直者は世の中に存在しないのでこの質問は成立しません」となってしまいます。大変申し訳ありません。
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少しふざけた回答に見えるかもしれませんが、私は大真面目です。
思考のプロセスによって答えは二転三転する、という例でもあります。
また、「嘘つき」と「正直者」の定義を変えると、思考プロセスと答えも違ってきます。
たとえば辞書の定義とは異なりますが、現実的には
嘘つき:他人より明らかに嘘をつく頻度が高い人
正直者:他人より明らかに嘘をつく頻度が低い人
という定義でも良いはずで、そうすると答えは当然違ってきます。
では、次の質問に対する答えはどうでしょう。
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2. 殺人事件も大きな視点で見れば、事故と同じですか?
前提として、「殺人」を法的な定義でなく、文字通り「人が殺された」という状況と定義させてください。
というのも法的な殺人の定義である「殺意の有無」は単純かつ定量的に○×で判断することはできないからです。
では、ここからはあくまで「ロジック」として順を追って考察してみます。
「大きな視点で見れば同じ」ということは、「殺人事件」が「事故」に含まれるか、「事故」が「殺人事件」に含まれるかという包含関係が存在する、ということになります。
まず後者の定義は「全ての事故は殺人事件の一部である」ことを意味するので、人が死なない事故も確実にあることから「んなわけない」と否定できます。
そして前者は「全ての殺人事件は事故の一部」となり、ここで問題になってくるのが「事故」の定義です。「事故」を辞書で引くと「思いがけず生じた悪い出来事」とありますから、ポイントは「思いがけず」です。
では「誰」にとって「思いがけず」なのか。
殺した側から見て「まさかあれで死ぬとは」なら「思いがけず」ですし、殺された側から見ても「まさか自分が死ぬとは」も「思いがけず」と言えるでしょう。
ここから「全ての殺人事件は事故の一部」と言いたくなりますが、「相手が死ぬとわかっていて」」かつ「「自分がいつか殺されるかもと思っていて」というケースもありますから、これを反証とみると「全ての殺人事件は事故の一部」は否定されます。
しかしもう少し視野を広げてみましょう。
殺した側、殺された側の家族や知人の立場から前述の反証を見た場合、「まさかあの人が人を殺すとは」あるいは「まさかあの人が殺されるとは」という「思いがけず」のケースは確実に存在しますし、反対に全ての家族や知人が殺す/殺されるのを予見していたケースがあるでしょうか。まず無いと言えますよね。
ようやく決着です。「誰から見て事故(思いがけず)なのか」と考えると、「全ての殺人事件は事故の一部」です。
…いや、全ての家族や知人が殺す/殺されるのを予見していたケースは「まず無い」でしょうが、本当に過去、そしてこれからも「100%無い」とは言い切れません。
さて困った。
なのでご質問に対する私の答えは「わかりません!」です。
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これまた屁理屈に見えるかもしれませんが、1.と同様に答えが最後にひっくり返っています。
そればかりか、「わからない」と言っているわけで、回答としては「無責任」と言われるかもしれません。
しかし、「わからない」も立派な答えです。
論理的に考えたら「どちらもアリ」というケースは存在しますから、時には「わからないということがわかる」のも意味があり、よっぽど責任ある答えとも言えるのです。
さて、いかがでしょうか。
もちろん私の答えと考え方が「正しい」わけではありません。
しかしこのふたつの質問に対する「考え方」の共通点は、このコラムで何度も触れている「言葉の定義」です。
「嘘つき」「正直者」「殺人」「事故」の定義が違えば、考え方も答えも違ってきます。
今回はネット上での「質問→回答」でしたから、質問者がどの言葉をどのように定義していたかは知るよしもありませんが、日常での相談事や会議、商談などでは「自分の定義と相手の定義のすりあわせ」はできるはずです。
それが「相手から見たおかしな答え」や「かみ合わない議論」を防ぐことにもなるのです。
…と書いていたら、私の上記2つの回答が「質問に対して真摯かつ全力で答えた回答」をシェアするスペースに転載されていました。とても嬉しいです。
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