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ファカルティズ・コラム

2008年06月06日

“評価”の本質

我々は気軽に“評価”という言葉を使いますが、そもそも“評価”とは何なのでしょうか。
辞書を引くと、評価とは
(1)物の善悪・美醜などを考え、価値を定めること。
 「死後に学説の―が高まった」
(2)品物の値段を定めること。また、その値段。
 「土地の―が年々上がる」「―額」
(3)物の値打ちを認めてほめること。
 「―できる内容の本」
             (三省堂提供「大辞林 第二版」より)
と説明されています。
管理職の方でしたら、部下の『人事評価』が身近な例でしょう。
しかしその人事評価、部下に点数をつけたら終わりですか?
そもそも人事評価は何のために存在するとお考えですか?

マネジメントサイクルのフレームワークである、『PDS』や『PDCA』をご存じの方も多いでしょう。
その中の『S(See)』や『C(Check)』を、我々は“評価”と訳します。
そしてSの後には再び『P(Plan:計画)』が、Cの後には『A(Act:改善)』が続きます。
マネジメント“サイクル”ですから当然ですね。
つまりSeeやCheckという“評価”を行っても、そこで終わりではないのです。
評価はそれ自体が目的ではなく、あくまでも手段です。
では何を目的とした手段なのか?
人事評価を例に取れば、ひとつの目的は「処遇の決定」でしょう。
評価に応じて、報酬や昇進が決まるわけですから。
しかしそれ以上に重要なのが、「その部下のパフォーマンス向上(改善)」であり、「個人のパフォーマンス向上による組織のパフォーマンス向上」のはずです。
だから人事評価を行ったら、
「彼のパフォーマンスを向上させるための課題は何か」
を考えなければなりませんし、そのためにも評価を通してその部下の良い点や悪い点を、きちんと把握することが大前提になります。
そう、評価は「その後」の方が大事なのです。
これは人事評価に限りません。
ベンチマーキングという手法も、自分(自社)と他者(他社 ※競合とは限らない)を“相対評価”した後、そこから自分の強みと弱みを把握し、パフォーマンス向上の課題を見つけ出すツールです。
評価に一喜一憂するのは仕方がありませんが、そこで終わるのは愚かなことです。
それが自分自身であれ他者であれ、評価の後に必ず「どこが良くてどこが悪かったのか」を考えることが第一歩です。
次にそこから見えてくる課題を、自分や他者(たとえば部下)に明確に示し、課題の具体的な解決策を考え(考えさせ)ます。
そして解決策の全てを実行するのは難しいですから、実現性や効果性で優先順位をつけ、着実に実行すれば、パフォーマンスは向上するはずです。
しかしながら、パフォーマンスに「これくらいで充分」と枠をはめてしまうのはナンセンスであり、またその向上は一過性でなく継続性が求められます。
もうおわかりですね。
解決策を実行したら、それをまた評価し、そして・・・とサイクルを「回し続ける」ことを忘れないでください。

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