KEIO MCC

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2015年01月13日

女の見た目と短編小説[第1回]

ほり屋飯盛

【女の見た目と短編小説】

阿刀田先生には申し訳ないが、今回の課題図書『春が来た』は、講座当日丸の内に向かう電車の中で読んだ。
頭の片隅には「早く読まないと」という気持ちがあったが、数日前に、友人のT君から「ほり屋さん『世界から猫が消えたなら』という小説読みましたか?素敵な話なので、ぜひ読んで感想を聞かせて下さい!」とメールが来たのだ。
T君は23歳と、私より10歳以上若い上に、超絶かっこよい男の子である。だから、私はメールを受け取ると同時に本屋に突っ走り、そちらを先に読んでしまった。若くてカッコいい男の子が、おすすめしてくるから仕方ない。どうすることも出来ない。
小説は「どの本をすすめられたか」よりも「誰にすすめられたか」が大事なのよねと、まさに今回の講座「阿刀田高さんと楽しむ【短編小説と知的創造】」のテーマを実感した。
 
阿刀田先生は『知っていますか』シリーズの著者として、これまでagoraで古事記やギリシャ神話などの講座を開いてきた。私は源氏物語に引き続いて2回目の参加だが、全7回、阿刀田先生のおすすめ短編小説を読み、皆で語り合うこの講座には「阿刀田先生がおすすめする小説なら」と参加されている方も多く、本を読む動機が一緒で安心した。阿刀田ファンも常に参加していて、非常にアットホームな雰囲気の講座だ。
 
講座は、はじめに先生が課題図書と著者の話をした後に、一人ずつ感想を述べ、質問をしていく流れである。同じ小説を読んでも、皆それぞれ感じることが違うので話が脱線することも多いが、思わぬ出会いがある。
 
今回の短編小説『春が来た』の著者向田邦子さんと阿刀田先生は、年齢差6歳と同時代を生きている。阿刀田先生が直木賞を受賞した翌々年に、向田さんも直木賞を受賞した。
エッセイストとして活躍していた向田さんが、小説を書き始める時に、新潮社の編集者の方にどうやって書けばよいのかと相談したところ、「阿刀田さんみたいに書けばいいのよ」と言われたそうで、だから先生が向田さんの作品を読んでいると、「少し盗んだな」と思われる作品もあるらしい。
 
この『春が来た』は、先生が向田作品の中で一番好きな小説だそうだ。
私はというと、向田作品を読んだことがない。なぜなら向田邦子という人が写真で見る限り、そこそこ美人だからだ。美人だと日常生活でもチヤホヤされて、いい思いばっかりしているから、人の妬みとか恨みという感情がわからないんだろうなー、という偏見を持っていて、イコール小説がつまらないと思っている。なので、林真理子や瀬戸内寂聴を愛読している。さすが女の腹黒さや、薄汚い感情がよく描けていると感心するのだ。
 
さらに、向田さんと猫とのツーショット写真をよく見かけるからだ。私のなかでは、猫を溺愛する女は、男には優しいが、女性に厳しいという性悪な先入観があるので、今まで向田作品には触れてこなかった。
阿刀田先生によると、向田さんは「人たらしの男たらし」だったそうで、あながち私の分析も間違ってなさそうだ。マンションのエントランスでバッタリ出会うと「この前の小説読みました~!」と駆け寄って来る人だったそうだ。美人な上に、愛想が良いとはムカつく話だ。
 
阿刀田先生によるレクチャーの後には、参加者からの読んだ感想&質問タイムが設けられている。発言は長くても短くても良い。小説のストーリー展開や、登場人物の行動や心情に対して自分がどう思ったかを発言する方が多いので、その流れで小説の話をしよう。
 
『春が来た』の主人公直子はお嬢様育ちで、良い家に住んでいる。お父さんは会社の重役で、お母さんもお嬢様育ちで行儀作法に厳しい人である。
というのは嘘で、直子は恋人の風見に見栄を張っているのだ。

実際は貧乏で、ボロイ借家に住んでいて、父母ともにガサツ&ほぼ下着姿で部屋の中をウロウロしているような人たちなのだ。直子は全くの庶民である。家柄ロンダリングも甚だしい。
感想&質問タイムでは「なぜ直子が嘘をついてまで見栄を張るのかわからない」という感想が、主に女性から多くあがった。

しかし私は、世の中では老若男女、多かれ少なかれ見栄を張って生きていると思う。
以前、レストランで食事をしていると、隣の席から「わたし、お寿司ってカウンターでしか食べたことなーい」と女の猫撫で声が聞こえてきたことがある。20代前半のカップルで、男のほうはひたすら「すごいね」を連発していた。まぁ、見栄だろう。

男だって見栄っ張りだ。例えば聞いた話では、お見合いサイトでは、男性のプロフィール写真の背景に実に海外の写真が多いらしい。それも一目でパリとか、フィレンツェだとわかる建造物と一緒に写っている。写真に一言「5年前、パリの写真です」とかなんとか書いているというのだ。人生の大半を日本で過ごしているのに、わざわざ海外行った時の写真を使うなんて見栄を張っているとしか思えないし、お見合いサイトで5年前の写真を使うなんて詐欺だ。
世間は”少しでも自分をよく見せたい”と思う人だらけだ。
 
さて、見栄を張っていた直子だが、ある時、実際住んでいる場所や家族のありさまが風見にばれてしまう。しかし、風見はそんな直子に「見栄はらないような女は、女じゃないよ」と言い、毎週末に家に通い、夕飯を食べて帰るようになるのだ。

ここでもまた「見栄を張る女を、男は可愛いと思うのか?」という疑問が女性からあがった。参加者の半数を占める男性からの回答はなかったが、きっと「可愛い人は見栄を張っても可愛い」あたりが、皆さんの意見ではないかと思う。
 
風見が直子の家に通いはじめると、母は化粧をしはじめ、家に花を飾り、じきに家の中が明るくなってくるのだ。情けない父も男らしくなり、この家族に小説の題名通り『春が来た』のだ。しかし、直子やまわりが結婚をほのめかすと、「自信がない」と風見は言って、家に来なくなってしまう。この風見の態度には、皆さん納得がいかないようだ。「結婚を考えていないのになぜ家に通うのか?」「男としてどうなのか?」という参加者の意見が盛り上がる中、阿刀田先生は風見のことを”まれびと”と表現した。

“まれびと”とは、民俗学者の折口信夫が用いた言葉で「異郷から来て人々に祝福を与えて立ち去る神的存在」という意味だ。テキトーな男も小説家にかかると神的な存在になってしまうのが憎い。しかし、それでも風見に対しては、「納得いかないなー」と言っている男性参加者もいて、先生の笑いを誘っていた。
 
小説の中では、風見が去っていくことへの直子の感情が全く書かれていない。フラれたけど「幸せをありがとう」みたいな、ほんわかしたムードで終わっている。ここでも、向田さんが美人だから書かなかった(なぜなら美人はフラれても、すぐ次の相手が現れるから)のではと私は思った。

普通の女性作家だったら、自分が実生活でフラれた恨みをここで晴らしたいと考えるのではないか。だって、風見の直子の家への扱いって、どうみても近所の定食屋としか思えない。しかも、お金を払って食べてないわけだから「食い逃げ」だ。直子と別れた後に、風見には車に轢かれるとか、表社会で生きていけなくなるとか、どん底の不幸が襲ってくるとベストなのだが、向田さんは書いていない。
 
阿刀田先生によると、向田作品には”モチーフ”が無い、つまり「この小説の中で作家が主張したいこと」が無いのだ。例えば、井上ひさしの『父と暮らせば』のモチーフは原爆に対する強い反発だ。松本清張は、推理小説というトリックの面白さに「殺す人には、殺す理由あり」というモチーフをつけた。

私は、松本清張が大好きだ。あの分厚い唇と、置物のようなルックスからくる世の中への激しい恨みを感じる。女性嫌悪というか、小説の中で、いやーな感じの女がたくさん出てくるのも、たまらなく面白い。彼のコンプレックスが小説のモチーフを生み出していると感じるのだ。
その点、向田さんは美人だし、モテそうだし、コンプレックスが無さそうなのだ。小説もストーリー展開重視で、さっぱりしているものが多い。阿刀田先生の言葉を借りると「つらいけど、ほのぼのと明るい」話を書いているのだ。
 
前回『源氏物語』の講座で、阿刀田先生は「登場人物の感情より、ストーリー展開のほうに興味がある」と仰っていた。まぁ、阿刀田先生もモテる人なのだろう。講義後の懇親会でも、お酒が入り饒舌になったところで「向田作品はテレビドラマっぽい」という意見が多く出た。私も場面展開の早さがドラマっぽいと感じていたが、そこが向田作品の魅力なのだろうなと感じた。

冒頭に書いた『世界から猫が消えたなら』という小説も、すごくドラマ向きで、来年には映画化される。23歳の美男子は「余計な説明がなくて、スラスラ読めるのがいいんですよね」と言っていた。だから、こういう作品は好きな人にとっては、すごく魅力的なのだろうなと感じた。参加者の中にも、向田作品の大ファンだという女性がいもいた。

しかし、私は今回『春が来た』を読んで、やっぱり向田作品は読まないなぁと思った。なんだか、不幸な話にも、隠し切れない幸せがにじみ出ている気がするのだ。

阿刀田先生によれば「向田さんがもし長生きしていたら、マンネリで飽きられていた」だろうとのこと。読者に「また、このパターンかよ」と思われてしまう作家になった可能性が高いのだ。でも、そんな向田邦子が書く小説なら読んでみたいと私は思った。
人気脚本家・エッセイストとして生きてきて、小説家に転身したら直木賞受賞というイケイケな女性が書く小説ではなくて、落ち目作家が皺だらけで、白髪を振り乱して書く小説なら読みたい。面白そうだ。ただその場合、風見のような男は翌日轢死体で発見されるかもしれないが。
 
次回は夏目漱石と芥川龍之介の師弟コンビだ。取り上げる作品は『夢十夜』と『藪の中』で、一作品15分あれば読めるので、興味がある方は『春が来た』と合わせて読んでみて欲しい。
第2回レポートへ続く

講座詳細:阿刀田高さんと楽しむ【短編小説と知的創造】』  講師:阿刀田高

ほり屋飯盛
1980年生まれ。小田嶋隆先生曰く底意地の悪い文章を書く人。文学好き。古典好き。たびたび登場する10歳下のT君に夢中。「夕学リフレクション」のレビューも執筆している。

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