2015年04月13日
ドーダ!な作家三島由紀夫[第4回]
ほり屋飯盛
ドーダ!な作家三島由紀夫
電車のシートで脚を全開にしている人を見ると、「ドーダ!」しているなと思う。「ドーダ!」とは、「俺はすごいだろう!まいったか!と朝から晩までやってる人」のことだ。
本人は満足かもしれないが、隣の人は迷惑であろう。普通の人は、「迷惑」で片づけてくれるかもしれないが、私のような人間は、そいつの生い立ちまで想像する。
「何らかのコンプレックスを持って育ち、子どもの頃からの満たされない思いがマグマと化して、今この瞬間爆発している」と開脚する意味を考えて納得する。
三島由紀夫について考える時、どうしても「ドーダ!」が私の頭に浮かんでしまうのだ。
貧弱な身体がコンプレックスだった三島は、小説の中で180度の開脚をして「ドーダ!俺はすごいだろ!」と叫んでいるとしか思えないのである。
阿刀田先生による短編小説講座も第四回目を迎えた。
課題図書は『憂国』。作者は三島由紀夫である。
「三島由紀夫は太宰治と対称的な作家です」と、阿刀田先生の言葉で講座はスタートした。
太宰がアンビバレントな作家だったのに対して、三島はユニフォーミティ(統一的)で迷わずに、己の理念に向かって突き進んだ作家だったという。
その生い立ちは、太宰と同じくお坊ちゃまであった。
しかし、太宰は津軽という田舎の金持ちにしか過ぎないが、三島は東京山手出身の生粋のお坊ちゃまである。学習院卒業後、東京大学法学部、大蔵省とエリート街道まっしぐらであった。しかし、身長160㎝と肉体的には恵まれていなかった。そのことに、コンプレックスを抱えて、大人になってからボディビルにはまった。
阿刀田先生がこの講座で、三島由紀夫の小説を選んだ理由は、全体を貫く凛々しさ、間然するところのない文章力だという。そして、彼の恵まれすぎた生い立ちからくる、凡人には無い「この世にはないものへの憧れ」を作品から感じて欲しいとのことであった。
私は、三島作品が好きだった。
『美徳のよろめき』が一番好きで、『金閣寺』や『仮面の告白』『豊饒の海』なども良いと思っていた。
しかし、ある時から気持ちが離れていったのだ。
ものすごく芸術的な文章を書くゆえ、
「お前らにはこんな表現思いつかないだろう」
「俺はこんなに美しい比喩も書ける」
という、筆者の自己顕示欲が作品よりも強いと感じてしまったからだ。
そのことは、阿刀田先生も感じているようで「三島の作品には、芸術とは、文学とはこういうものだと叫んでいる気配がある」と説明してくれた。
今回の課題図書『憂国』は、1936年(昭和11年)に起きた二・二六事件を背景にして、実在した夫婦をモデルにして描かれている。
二月二十八日。主人公で陸軍中尉の武山信二の遺書から始まる。
そこには「皇軍の万歳を祈る」と一言だけ書いてあった。妻麗子の「軍人の妻として来るべき日が参りました」という遺書もあり、二人は死体で見つかる。
武山中尉は、二・二六事件の当日、仲間から決起に誘われなかった。新婚だった為、仲間が気を使って誘わなかったのだ。
彼は天皇陛下から反乱軍とされた皇道派の青年将校たちを討伐せねばならなくなり、「俺には仲間を討伐することは出来ない」と割腹自殺することを選ぶのだ。麗子は夫の決心に「お供をさせていただきとうございます」と、一緒に死ぬことを選ぶ。そして、最期の死ぬ間際まで、愛欲に耽る二人の情景が書き綴られている。
『憂国』という題名とは裏腹、まったく国を憂いていない作品である。
先生によれば、この作品を読む時には三島の最期(市ヶ谷駐屯地での割腹自殺)と重ねてはいけないとのことだ。
私も、読んでみて意外な感じがした。
二・二六事件を題材にしておきながら、事件についてはほぼ触れられていない。
参加者が書いた感想シートからも、読後の戸惑いが感じられた。
皇道派と統制派の争いについては皆無であり、青年将校たちが、このクーデターで目指すゴールも書いていないのだ。
死を目の前にした男女の身体の貪り合う描写が延々と続くのである。以前、日本経済新聞に連載されていた渡辺淳一先生の『愛の流刑地』や『失楽園』のように、昨日も官能的な描写、今日も官能的な描写と話の歩みが遅いのだ。
感想シートには思ったまま「死ぬことに酔っているバカップルに思えた」と書いた。
「バカップル=後がない」ということを、作品を読んで感じたのだ。
以前、友人と電車に乗っていた時、目の前にイチャついているバカップルがいて、「あぁいう人たちは、後が無いから一生懸命に今をイチャつくんだよ」と、その友人が言った。
この時、バカップルも目の前に立っている女二人を「イチャつく相手のいない可哀想なブスたち」と逆に馬鹿にしていたはずなので、お互い様である。
この「後がない」というのは、「次に付き合う人を見つけにくい」ということだ。
『憂国』の武山夫妻にも、違う意味で後がなかった。美男美女であったが、死を目の前にして自分たちの行為に酔う、バカップルになってしまったと思ったのだ。
参加者たちも四回目を迎えて、最初は遠慮がちにしていた感想にも、それぞれの個性が表れてきた。
女性のIさんは二・二六事件の小説ということで、改めて皇道派の青年将校たちのバイブル北一輝を読んだという。同じく女性のKさんからは「自分たちってこんなに素敵なの!というナルシストな登場人物だと思った」という感想が出た。
しかし、「素晴らしい!」と手放しで大絶賛している人たちもいた。
全員、男性の参加者である。
Fさんからは「愛とエロスの美の極み!」「愛の行為の表現は美しい!」という感想があがった。夫に従順な美しい妻。夫と身体を重ねるごとに、より美しくなっていく妻。夫を心から愛している妻。その辺りに萌えるのだろう。ある意味で、男の理想を描いている小説なのだと感じた。
この感想を聞いて、自分が三島から気持ちが離れて行ったのは、自分が大人になったからだと感じた。
多くの人がそうだと思うが、子どもの頃は理想を追い求めていた。しかし、大人になって現実には上手くはいかないことを知る。むしろ、悲しいことや苦しいことが多く、三島の描く世界が夢物語にしか思えなくなった。
そして、私の場合は三島を卒業し、私小説を読むことに嵌っていった。車谷長吉や西村賢太、久米正雄など現実に基づいた小説が好きになったのだ。
今回、改めて三島を読むことで、自分のこれまでの人生と読書遍歴を重ねて考える機会となった。
阿刀田先生は、『憂国』は三島が「愛とエロスを最も美しく描けたと、満足できた作品だったのでは」と分析した。しかし、現実離れしすぎていると。
そこで、Sさんからは先生に「小説は自分に重ねて読むべきか、それとも現実と引き離して読むべきか」という質問が投げかけられた。
先生は「三島の小説と自分を重ねると危ないです。常人の域では無いですから」と答え、「自分に重ねて読むとしたら、やっぱり太宰です」と続けた。
三島のように現実離れしている小説を読むことは、自分と重ねると危険だが、生きるためには有益だという。先生は、とあるカルト集団を例に挙げ、「あそこの信者たちは小説を読んだことがなかったのでは?」と思ったという。「あんな清潔感のない見た目の人、明らかに怪しいってわかるでしょ」と言った。
現実離れしている出来事を普段から小説で読んでいれば、理解できると小説の重要性を語ってくれた。「カルト集団の教祖Aは彼らが初めて出会った小説である」という名言が阿刀田先生の口から生まれた。
私は、前回は太宰、前々回は芥川、今回は三島と小説家の自殺について考えさせられることが多かった。
「三島や太宰が若くして自殺する気持ちはわかるが、川端康成はなぜあの年齢で自殺しなければならなかったのか?」という疑問が湧き、阿刀田先生に質問した。
「作家は自分が書くものが常に一番だと思っている異常な人たちなんです。」と先生は冗談交じりに答えてくれた。作家という職業を選ぶ人は、他人をライバルだと思わない。なぜなら、自分が書くものが一番であって、他人が書くものは駄作だからである。
「比較対象は常に過去の自分だけなんです。」と力説した。
三島の文章にはかなりの自己顕示欲を感じたが、作家はそれが普通の人より強いのだと、話を聞いていて思った。
しかし、小説は作家にとって自己表現の場であるのに、自己顕示欲が強すぎると読者は鬱陶しくなる。非常にさじ加減が難しい。大変な職業だと小説家を目の前にして思った。
作家は現在の自分の作品を読み、「昔はもっと書けたのに」と絶望して自殺するらしい。素人から見れば、川端はノーベル賞も受賞したし、隠居して余生を過ごせばいいじゃないのと思うが、そうはいかないそうだ。
しかし、先生によると、書けなくなった後も、自殺せずに図太く生きる作家もいる。
石原慎太郎がその典型だという。常に一番でありたい石原慎太郎は、作家として超一流になれなかったから、次は政治家に転身し一流を目指したそうだ。
阿刀田先生は常にわかりやすい例を挙げてくれるので、参加者たちも大いに納得したようだ。Tさんは、今回の講義で、もっと三島由紀夫とその思想について調べてみたいと思ったと語った。また二・二六事件についても詳しく知りたいと。
全員が感想や考えたことを発表して第四回は終了した。
今回は、2015年初めての講義だったので、場所を変えて新年会が開催された。もちろん、阿刀田先生にも参加だ。いつもは、先生は2時間ぐらいで帰られるのだが、今回は最後まで4時間位飲んでいて、かなりお酒がまわったようだった。
「なぜ村上春樹はノーベル文学賞を獲れないのか?」という話題になり、元日本ペンクラブ会長である阿刀田先生の貴重なご意見が聞けた。
理由を説明してくれた後、「だから、私はこの5年間村上春樹はノーベル賞を獲れないと予言したんです!」と、いつの間にか予言者になっていた。お酒の力はすごい。
講座の延長で、二・二六事件の話になった。
「『二・二六事件のバカップルたち』という題名で本書きなよ」と、阿刀田講座の常連であるTさんに言われたが、そんなことしたら街宣車に突撃されるだろ、と思った。
次回は大江健三郎の芥川賞受賞作『飼育』だ。
彼の政治思想や難解な文章が特徴的だが、阿刀田先生のガイドなら、理解できるだろうと期待している。
講座詳細: 『阿刀田高さんと楽しむ【短編小説と知的創造】』 講師:阿刀田高
ほり屋飯盛
1980年生まれ。小田嶋隆先生曰く底意地の悪い文章を書く人。文学好き。古典好き。たびたび登場する10歳下のT君に夢中。「夕学リフレクション」のレビューも執筆している。
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