学びの体験記
2007年06月12日
人生の正午
藤原信次郎
NECエレクトロニクス 人事総務部長
この度縁あってこのコーナーに寄稿することになりました。慶應MCCとは2002年5月から10月にかけて実施された『自立型人材を育てる「キャリアアーキテクチャー論」』に参加することから関係が始まりました。
この研究会は神戸大学金井壽宏先生がコーディネータとなり、毎回違う先生をお迎えして実施されました。例えば花田光世先生、高橋俊介先生、清家篤先生、守島基博先生、渡辺美枝子先生、渡辺直登先生という一流の方々がそれぞれのテーマでお話をされ、金井先生のコーディネーションで議論を深めていくというものでした。金井先生のブログでは「MCCでの幻の研究会」として紹介されています。このようにキャリアについて勉強することから慶應MCCとの関係が始まりましたので、この場も「キャリア」というテーマで書いてみたいと思います。
まずは簡単に自己紹介します。私は1957年生まれで、今年の誕生日で50歳になります。金井先生の研究会で勉強していた頃は45歳で、ミドルエイジとしてこれからどういう自分になりたいのか、模索していた時期でした。そういうこともありこの研究会で最も記憶に残ったものが、ユングの「人生の正午」と「生涯発達」という言葉でした。ユングは40歳を「人生の正午」と形容し、午前中に影だったところに陽があたり、そこをどう統合化していくかという課題が出てくると示唆しました。また「生涯発達」については、人は何歳になっても発達し、ミドルにはミドルとしての発達課題があるということを教わりました。
私の先輩の中に、それまでバリバリとやってこられた方が40歳代になって急にくたびれたりする方がいるのを見てきました。自分がその年代になった時、当然元気なミドルでありたいと思っていましたが、ただ単に体力で勝負しても若い人には敵いません。休日フルに遊ぶとやはり翌日は堪えます。ちなみにメンタルヘルスの面でも肉体の疲れは精神の疲れに通じるため、35歳を越えるとリフレッシュのためにと目一杯遊んでしまうのは逆効果とのことです。
さて話を戻すと、40歳代を中年と形容するとくたびれたイメージですが、「人生の午後」と表現するとぐっとイメージが良いですよね。しかも午前中に影だったところの課題をどう統合化するかという、ミドルの存在意義を感じさせる意味の深い言葉です。高齢の経営者の方でまだまだ「青春」ということをおっしゃる方もいます。それもいいけどその年齢における発達課題を理解した「大人」を感じさせる方が私は好きです。
それではミドルの発達課題とは何でしょうか?研究会では自分のことだけではなく、周囲の人を育てたり、慈しんだりするという課題が出てくるということを学びました。若い頃を振り返ると、親の保護や職場の上司・先輩の指導の下、自分のことを中心に精一杯やってきました。その後、家庭を持つと妻や子供のことをどのように考え、どうやっていくのか、部下が出来ると育成や指導をどうしたら良いかを考えなければいけなくなりました。
このようにそれまではあまり考えずに済んだことが、だんだんと求められるようになってきました。まだ自分のことを中心に考えていきたいと思う反面、周囲のことに時間が取られてきて、焦りが出てきます。自分にとって必要だと思っていたことを諦めて、周囲のことに取り組まざる得ない時、葛藤が生じます。このような時、自分と周囲とのバランスをどのように取っていくのか、これがミドルの発達課題ではないかと感じています。ただ私はこれが出来ているのかと問われると、お恥ずかしい限りです。ミドルの発達課題を研究会で教わっても、疲れて家に帰ると妻の話を上の空で聞いていたり、頭で理解していることと実行は別だと改めて痛感しています。
さて中年に達している皆さん、肉体的衰えを感じている方もいるとは思いますが、我々は「人生の正午」という人生の中でも貴重な時を生きています。元気を出して、ミドルにふさわしい生き方をしていきましょう!!
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