夕学レポート
2007年06月18日
窮地に陥った時は「仮説力」 竹内薫さん
夕学にも来ていただいたことがある人類学者の中沢新一さんが、南方熊楠について書いた『森のバロック』という大作があります。
南方熊楠は、世界的な博物学者であり、異能の天才として知られた存在ですが、40歳を過ぎて、故郷の紀州山中において、のめり込んだのが「粘菌」の生態研究でした。
中沢さんは、熊楠が粘菌研究にはまった理由を、粘菌がもつ「あいまい性」に惹かれたのではないかと言っています。
粘菌とは、動物的な特性と植物的な特性を併せ持つ不可思議な生物で、極めて特異な生態を持つのだそうです。
粘菌が持つ、動物とも、植物とも、言えるようで言えない「あいまい性」、茂木健一郎氏流にいえば、「偶有性」は、民俗学や神話学の書物に耽溺してきた熊楠から見ると、原始の人間が持っていたであろう不可思議な特性を想起させる研究対象だったのではないかと中沢さんは分析しています。
さて、きょうの夕学導入部で、竹内さんが説明された「粘菌ロボット」の話。
上記のような「粘菌」の特性を思い出しながら聴くと、竹内さんが説く「仮説力」の、シンプルなようで、深淵な本質がみえてくるような気がします。
竹内さんの「粘菌ロボット」は次のようなものでした。
粘菌には、光を当てると反対側(暗い方)に逃げるという特性がある。この特性をロボットの制御装置に反映させた「粘菌ロボット」がある。
光と反対方向に移動するメカニズムが働くことになる。
ところが、この「粘菌ロボット」に四方八方全てから光を当てるどうなるか。
光から逃げるという粘菌の特性に従った行動では制御できない窮地に追い込むと「粘菌ロボット」はどうするか。
なんと「粘菌ロボット」は、ある方向に突如として突進しだし、光源を突き抜けてしまうことで窮地を脱していく....
竹内さんが説く「仮説力」とは、「粘菌ロボット」のように、いままでのやり方が通用しない状況になった時に、大胆な発想転換や切り返しをすることで窮地を乗り切る能力を意味します。
柔軟さ、強靱さ、臨機応変、備え、可能性、想像力などの言葉で説明できる概念です。
思考のしなやかさ、柔らかさのようなものでしょうか。
さて、この話、冒頭の話に関連づけて考えてみると、「粘菌ロボット」の仮説力は、粘菌が持つ「あいまい性」「偶有性」効果によって発揮されたことがわかります。ある程度の法則性を持ちつつも、いざとなったらその法則を無視して、柔軟にやり方を変えることができる。「あいまい」で「偶有」だからこそ可能になることです。
茂木健一郎さんは、昨年の夕学で、「人間の脳は本来的には、偶有性を好む性質をもっているものだ」とおっしゃいました。それが人類の進歩を促してきたといえるのかもしれません。一方で、「人間の脳は、過去の経験から学習・蓄積した枠組みをつかって、新たな現象を理解しようとする」という性質もあります。これまた人類の進歩に決定的な要因となったものです。
後者の働きは、人間が無意識に行っているものなので、時には前者の働きを制御する傾向があります。それが「常識に縛られる」という現象です。
「粘菌ロボット」のように、通常時には、過去の学習経験に基づいた常識や法則に従って、効率的に行動する。でも、そのやり方が通用しない非常事態があることもよく認識しておいて、その時には、過去をすっぱりと捨てて、大胆に発想転換する。
人間はそうやって、進歩してきたのかもしれません。
さて、竹内さんが、講演の最後に「この話は一般に人向けにはほとんどしないのですが...」と前置きして話された、量子重力理論の話。
実は、玄侑宗久さんのお話とよく似ていました。
時間や空間の拡がりでさえ、物理学的には存在しない。時間も空間も人間がそう認識するから存在しているように感じているだけである。全ては、関係性の中に存在しているに過ぎない。
玄侑さんによれば、これが仏教でいう「無常」=常ならんものであり、その「無常」を許容できる知性が「もうひとつの知」になります。
物理学と宗教、常識に従えば、もっとも対称的で遠い関係にある二つの世界が、突き詰めていくとまったく同じ「あいまいなもの」に行き着いているようです。
そして「あいまいなもの」にどう対処するのかが、現代の我々に求められている最大の課題であることは間違いありません。
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