KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2008年01月18日

最大の戦略は正直であること 山岸俊男さん

地方育ちだった私が、大学進学で都会に出る時、心配性だった祖母が何度も言っていました。
「都会には、いい人もいるが悪い人もいる。くれぐれも騙されないように注意しなさい」
いまも昔も、地方出身者は多かれ少なかれ、このような注意を受けて都会に送り出されます。同じように、海外に留学する(旅に出る)若者も、同様の心配をされることが多いのではないでしょうか。
個人主義的な西欧社会や社会的な成熟度が低い途上国に比べると、日本は古くから和を尊ぶ「信頼社会」である。
そんな前提常識があってのことです。
山岸先生は、「この常識は間違いである」と断言します。


各種統計機関が行った意識調査や山岸研究室が独自に実施した行動実験の結果からは、日本人は欧米人に比較して「他人への信頼感が低く」、実際の行動場面でも「他人を信頼しない」という結果が表出するそうです。
意外なことに、中国人や台湾人と比較してもまったく同様の結果が出るとのこと。
日本人が資質として他人を信用しやすく、他者のことを配慮して行動するという常識は誤りで、逆に、日本人は資質としては疑い深く、自己中心的な人間であると言えるそうです。
では、「日本は信頼社会」という常識はなぜ存在してきたのか。
山岸先生は、その理由を「信頼社会」「安心社会」の違いを理解することで説明できると言います。
「信頼」と「安心」は似て非なるもので、まったく異なる概念だそうです。
「信頼」とは、たとえリスクがあっても、相手を信じること。
「安心」とは、リスクがないから、相手を信じること。
「信頼」とは、相手が自分と良好な関係を築きたいと願っていることを前提にしているのに対して、「安心」とは、自分を裏切ると相手自身が損をするから大丈夫と考えているという違いがあります。
従って「安心社会」とは、リスクを排除する仕組み(裏切ると痛い目に合う仕組み)を組み込んだ社会ということになります。
山岸先生はゴム取引と米取引の違いを例に説明します。
ゴム取引は特定の生産者と特定の仲買人に間で閉鎖的な取引形態が続いているのに対して、米取引は比較的オープンに、不特定多数間の取引が行われています。
ゴム取引は「安心社会」の典型で、リスク排除システムとして取引相手の固定化・閉鎖化を行うことで「裏切りを生まない(損をする)」社会を作り上げていると理解できるそうです。
日本は典型的な安心社会で、集団主義的な文化・習俗の中に、リスクを排除する仕組みを巧みに織り込んできたに過ぎないということです。
言い方を変えれば、「相手が信頼できるか否か」を意識しなくてもよい社会であったと言えます。
合理的なシステムだけが生き残っていくという経済学の原則に則れば、「安心社会」が存続してきたのは、その方が便利で利便性が高かったということも言えます。
確かに「安心社会」は、「相手が信頼できるか否か」を調べるコスト(取引コスト)を低く押さえられるという利点があります。
しかしながら一方で、「もっとよい取引相手がいるかもしれない」というチャンス(機会コスト)を失っているという側面もあります。
社会全体が肥大化・複雑化し、グローバルに開かれてくると、「安心社会」を続けたままでは、機会コストはどんどん高くなり、また関係固定化のための取引コストも逓増していくでしょう。非合理性が高まってしまいます。
現在の日本が直面しているのが、この状態で、「安心社会」から「信頼社会」への転換を迫られているというのが、山岸先生の認識です。
ではどうすれば「信頼社会」を構築できるのでしょうか。
山岸先生は、「まず人を信じること、正直になること、嘘をつかないこと」という大原則を確認したうえで、二つの方向性を示唆しています。
ひとつは個人の能力を高めることです。
講演では深く触れませんでしたが、『安心社会から信頼社会へ』という著書には、「社会的知性」という概念で「相手が信頼できるか否か」を感じ取る能力について解説をされています。
「社会的知性」とは、相手の立場に共感することができ、その立場になって考えることができる能力を意味します。相手を理解することが、相手の行動を予測することに繋がり、結果的に「相手が信頼できるか否か」を判断する力に繋がります。
これはMCCのプログラム「戦略的交渉力」のコンセプトと同じです。
是非一度お試しあれ。
もうひとつは、信頼し合える仕組みを作ることです。
山岸先生が行った実験の結果からは、出来るだけ情報を公開し、情報流通を促進することで信頼度合いが高まることが言えるそうです。特にポジティブ評判が流通する仕組みの構築がポイントになるとのこと。
また、その際には「評価」が重要な意味を持ちます。他者に対して正しい評価をすることが評価する人本人にプラスになるようなインセンティブを社会全体に組み込むことです。
いわば社会そのものが「見極め能力」を進化させるために装置をつくるという発想です。
こちらは、概念はよくわかりますが難しいですね。
我々はまだ山に登り始めたばかりというところでしょうか。
山岸先生の研究もまだまだ続きそうです。

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