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夕学レポート

2008年03月17日

天理にそむく罪 『海舟が見た幕末・明治』第一回

「夕学五十講」から生まれた新企画 夕学プレミアム 半藤一利 史観『海舟が見た幕末・明治』(全10回)がはじまりました。
「夕学五十講」と同様にブログでその概要をご紹介していきます。
きょうは、その第一回「ペリー来航 ~“終わりの始まり”告げる号砲」からです。
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東京湾を地図で見るとお酒の徳利をひっくり返した形をしています。湾岸の埋め立てがはじまる前は、今よりも徳利のお腹の部分がはっきりとした形状でした。
口元のくびれた部分、東京湾の一番狭いところを、東京湾フェリーが就航しています。三浦半島の久里浜港と房総の金谷港を35分間で繋ぐ高速フェリーです。
久里浜側のフェリー乗り場のすぐ横、小さな白い砂浜に面して、ペリー公園があります。
嘉永6年(1953年)の6月9日(太陽暦で7月18日)、この地にペリー提督率いる米国海軍の小隊が上陸したことを記念して作られた小さな公園です。
公園の真ん中には、伊藤博文の筆になる「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と刻まれた大きな石碑が建立されています。
東京湾に直面し、周囲を睥睨するような威圧的な姿は、150余年前にペリーが見せたという尊大な交渉態度を彷彿させるものがあります。
夕学プレミアム 半藤一利 史観『海舟が見た幕末・明治』は、ペリー来航から西南戦争に至るまでの、幕末・明治の激動の時代を舞台に、作家の半藤一利さんが全10会合で語り下ろす連続歴史講義です。
第一回目は、上記の上陸日をはさんで、ペリー艦隊が浦賀沖に姿を見せた6月3日から、目的を達成して揚々と引き上げていった6月12日までの、9日間の混乱の様子が語られました。
半藤さんの名を高めた名著「日本の一番長い日」流に言えば、「徳川幕府の一番長い9日間」と言えるのかもしれません。
歴史の教科書では、「1953年、浦賀に黒船が来航する」と一行で終わる事件ですが、この9日間から日本の近代がはじまる、大きな出来事でした。


浦賀に投錨したペリー艦隊は四隻。旗艦のサスケハナ号を含む2隻は、総体鋼鉄張りの蒸気船で40挺近い大砲を備えており、残りの2隻も武装した大型帆船でした。
大統領フィルモアから託された国書を、日本の将軍に手渡すことを主張し、応接した浦賀奉行配下の役人達を相手にしません。
半藤先生によれば、実は幕府は、オランダから長崎経由でペリー来航の情報を早いうちから掴んでいたそうです。
時の老中 阿部正弘をはじめ、一部の幕閣は、10余年前の阿片戦争で中国が被った屈辱もよく知っていました。
「外国が、強力な艦隊を率いて日本に開国を迫ってきたらどうすればよいか」
それは幕府内に共有された危機認識のはずでした。
にもかかわらず、ペリー来航の報を聞いた幕府の周章狼狽は目を覆うばかりだったといいます。
半藤さんは、この優柔不断振りを日本の指導者層が持つ通癖だと言います。
「起きて困ることは起きない」「起きないことにしよう」「起きないと信じよう」
起きるべき危機に目をそらして、いたずらに時間を消費し、発生した時には手遅れになってしまう。
先の大戦のソ連参戦への備えにはじまり、現在の年金問題や財政危機に見られる「先送り主義」は、この時にその萌芽が見られたとのこと。
さて、容易ならざる事態に幕府が出した結論は、まずは国書だけを受け取って、返答は後日としようという先延ばし戦術でした。
しかし受け取ってしまえば、事態は間違いなく進みます。翌年、再度姿を現したペリー艦隊との正式交渉は、終始米国ペースで進み、安政元年(1954年)3月3日に日米和親条約が締結され、250年に及んだ鎖国政策は終わりを告げることになりました。
また、ペリーの主張にも、現在の米国の外交姿勢に相通ずる「原理」が見て取れます。
彼は「天理にそむく罪」と日本を糾弾します。
「世界各国が互いの通商を営むとき、貴国のみがこれを拒むは天理にそむく。拒むのであれば、砲門を開いて、天理に背く罪を問うまでのこと」
それは、ブッシュの「悪の枢軸国家」発言やイラク侵攻の理屈立てに繋がる、「米国の論理」に他なりません。
アメリカもまた、本質は150年前と変わっていないということでしょうか。
一方で、日本人のしたたかな商魂やシニカルなユーモアを伝える記録もたくさん残っているそうです。
ペリー来航から5日もしないうちに、浦賀沿岸には、黒船をひと目みようという見物客殺到。彼らに湯茶や甘酒を売る屋台が軒を連ねたそうです。
戦に備えて武具の修理や手当に急ぐ武士のお陰で、鍛冶屋や武具屋は大忙し。江戸を逃げだそうとする人々のための駕籠屋や車力も大儲けしたとのこと。
戦後、いち早く立ち直ったのは、焼け跡にできた闇市だったことを想起させます。
また、幕府の混乱振りを皮肉った狂歌や落首には、昨今のお笑いブーム顔負けの風刺のセンスを感じます。
はたして、我々は歴史の教訓から何を学び取ってきたのか、あるいは、歴史が教えてくれるのは、人間の本質は容易に変わらないという事実でしかないのか。
次回の『海舟が見た幕末・明治』(3/21)が楽しみです。

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