KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2008年11月11日

「土俵を守るために学ぶ」 内館牧子さん

今だから言えることですが、内館さんにお会いするまでは、少しばかり緊張をしておりました。
横綱審議委員として、朝青龍を舌鋒鋭く批判するお姿をマスコミを通じて見ておりましたので、勝手にイメージを作ってしまい、粗相でもあったらどうしようかと気を揉んでいた次第です。
実際にお会いした内館さんは、実に明るく、ざっくばらんな方です。
「ちょい悪オヤジ」達と飲み屋で毒舌を交わしながら楽しく過ごしている姿が似合いそうな魅力的な女性でした。


そんな内館さんが大学院で学び直そうと決意した理由は、「土俵を守るため」だったそうです。
相撲が始まって千数百年、現在のような土俵の形が定まって四百有余年。大相撲の土俵は一貫して女人禁制を守り続けて来ました。
20年ほど前からその伝統が揺らぎはじめてきたそうです。男女平等意識の醸成や、女性の社会進出もあって、土俵の女人禁制に正面から異議をとなえる女性政治家や官僚・学者が登場しはじめました。
長年の大相撲ファンであり、好きが高じて、女性初の横綱審議委員にまでなった内館さんにとってそれは、「ちょっと待て」と言いたい事態だったそうです。
男女共同参画社会に意義はないけれど、伝統文化として古来の神事を守ってきた大相撲の歴史をよく調べもしないでモノを申すのは如何なものか。このままではいけない。「ハイヒールの女性達から、土俵を守らねばならない」。そのためには、まず自分が学問として大相撲を究めておく必要がある。
それが大学院で大相撲を学ぼうと決意した理由でした。
講演では、東北大学大学院を選んだ経緯、受験勉強、受験の様子、入学、大学生活、修士論文研究等々 「院生 内館牧子」の3年間をお話いただきました。
分かりやすい情景描写に加えて、面白い逸話や再現会話が巧みに入り、それぞれの場面での内館さんの姿がありありと目に浮かぶようなお話でした。
私なりに内館さんの魅力を整理させていただくと次の2点でしょうか。
ひとつは、腹と腰は据わっているけれど、肩に力が入っていないところです。
「若い人達と友達になろうなんてムリです!」
「キャンパスにセンチメンタルな青春の残像があると思ったら大間違い!」
「若い人と一緒にいるだけで若返るはずがない!」
大人が大学(大学院)に入る際に、よく言われるステレオタイプな幻想を、バッサリと切って捨てます。
青春時代を取り戻そうなんぞという気負った姿勢で土俵にあがると、あっさりとはたき落とされることをよくわきまえていたようです。
また、脚本家らしい人間観察・心理洞察の鋭さも魅力のひとつでしょう。
ムリをして媚びを売ろうとしても嫌われるだけ。でも若い人はしっかりと大人を見抜いていて、自分にないものを持っている大人に対しては素直にリスペクトする。
そんな若者の実像を冷静に見抜いています。
ムリをして若者の輪に入る意味はありませんが、いざという時に頼れる程度の友人はやっぱり必要です。
そのために内館さんがやったことが、いかにも内館さんらしくてサイコーでした。
「喜び組」の組織化です。
同じ研究室の中で、人の良さそうな男子学生を数人選んで言ったそうです。
「あなたはきょうから私の『喜び組』の一員よ。私を助けたり、喜ばせたりするのがあなたのお務めよ。 きょうから私を将軍様とお呼び。...」
「喜び組」組合員証として、某ソープランドチェーン社長からゲットした秘蔵テレカを手渡す仕掛けも入念に用意していました。
内館さんの上から目線に心を掴まれてしまった「喜び組」は、その後の内館さんの学生生活を陰に陽に助けてくれる、欠かせぬ存在になったとのこと。
この逸話は、いつかきっと、ドラマの脚本で使われるのではないかと思うほどいい場面でした。
「東北大学大学院 宗教学修士」という学位を手にした内館さんですが、大人の学び、大学・大学院にこだわる意味はまったくないと断言します。カルチャーセンターも大いに結構(もちろんMCCも!)。
むしろ重要なのは、何のために学ぶのか、学ぶ必要性を認識しているかどうかだといいます。
これは、日頃わたしが考えている「大人の学び観」とまったく共通したものです。
この話を聞きながら、いま読んでいる『論語』の一節を思い出しました。
「如何(いかん)、如何と曰わざる者は、吾れ如何ともすること末きのみ」

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