夕学レポート
2009年01月21日
「守りながら、再創造する」 渡辺保さん
正月に国立劇場の「初春歌舞伎公演」に行ってきました。白血病治療のためしばらくお休みしていた市川團十郎丈の復活公演とあって、満員御礼の盛況でした。
今年の正月は、東京では、歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場、浅草公会堂の四劇場で同時に歌舞伎公演が行われ、いずれも多くの観客で賑わい、歌舞伎ブームの隆盛が伝えられています。
しかしながら、渡辺保さんは、現状にある種の危機感を抱いているそうです。
「観客が育っていない」という問題意識です。
「客が芸を育てる」ということは落語をはじめとして多くの芸能で言われるところです。厳しくかつ的確な評価眼を持った良質な観客の評価によって、芸は磨かれるという側面があります。
「ブームに乗った客はやがて歌舞伎を離れていく。その時の歌舞伎が心配である」
良いものは良い、悪いものは悪い。歯に衣着せぬ率直な演劇評論で知られる渡辺さんならではのご指摘かもしれません。
歌舞伎に限らず、全ての伝統文化は「不易流行」だと言われます。
守るべきものと変えるべきものの二つの側面を持っているわけです。
歌舞伎の場合、守るべきものは「規範」である、と渡辺さんは言います。
単なる決め事や不文律として捉えるのではなく、信念をもって守ろうとするものが「規範」です。
例えば名人と言われた六代目中村歌右衛門は、とりわけて「規範」に厳しい人だったとのこと。
元禄期の二代目団十郎が残したという「役者は素顔をさらすものではない」という「規範」を頑なに守ろうとして、役者がテレビに出ることやトークショーに顔を出すことを強く戒めたと言います。
では、再創造すべきものは何か。
渡辺さんは、これもまた「規範」であると言います。
「規範」は不変ではなく、時代と共に変化するという宿命を併せ持っています。時代の風を受けて「規範」を再構築する感受性が必要だとのこと。
例えば、先述の歌右衛門丈は、演技においても多くの「規範」を持っていた人ですが、実は多くの「規範」は彼自身が時代に合わせて創り成したものでした。
守りながら(守るつもりでいながら)再創造する。
守ることは再創造することに通じ、再創造することは守ることにつながる。
それが歌舞伎における「規範」です。
出雲の阿国の歌舞伎踊りに発祥したと言われる歌舞伎は400年の歴史を持っています。
渡辺さんによれば、生まれながらに投機的な性格を帯びていた歌舞伎は、いつの時代も経済の影響を強く受ける運命にありました。
享保、寛政、天保と改革のたびに厳しい弾圧を受け、衰退を余儀なくされました。しかしながら、その都度復活し、隆盛と危機を繰り返しながら、今日に至っています。
400年を通して、歌舞伎の通底に流れ続けている本質的な魅力は何だったのでしょうか。
渡辺さんは「官能性」であると解説してくれました。
諸国を流浪する巫女であった阿国は、場面と相手に応じて、男と女を演じ分けたとそうです。
男から女へ、女から男へ。その変身が生む「色気」が人々を陶酔的な熱狂へと誘ったと言います。
「歌舞伎はその時すでに、官能性という本質的魅力を有していた」と渡辺さん。
その後、男が女形を演じるという形式に固定した歌舞伎ですが、性倒錯が生み出す独特の「色気」は、いまも歌舞伎ならではの魅力です。
三味線の音色も歌舞伎の「官能性」を喚起する装置的な効果を生んでいるそうです。
三味線は特異な楽器で、楽譜もないし、調律師もいない。演奏者個人の「色」がそのまま出てくる。だから官能的な響きになるとのこと。
確かに三味線の音色には、しっとりとした独特の世界観があり、日本的な叙情性が伝わってきるような気がしますね。
さて、およそ全ての芸能は神事に源流があると言われています。
芸能は、折口信夫が「まれびと」と呼んだ客神を招き入れるための儀式から生まれたものです。
中世以降、神性を失っていった芸能は、その性格を変容していきます。寺社の庇護を失い、放浪を余儀なくされた芸能者が自活のために身につけたのがエンタテイメント性ではないでしょうか。
エンタテイメントは時代の色を映します。その変化に適応できなかった芸能は、ある意味の社会的使命を終えて、文化財として保護される道を歩みました。
歌舞伎は、エンタテイメント性を失うことなく、発展しつづけてきたほぼ唯一の伝統芸能ではないかと思います。
伝統文化の格式を有しながら、事業として成り立つ稀有のエンタテイメント産業です。
100年後、歌舞伎の何が変わらず、何が変わっているのか。
守りながら、再創造することで、どんな歌舞伎が登場しているのか。
歌舞伎を観ながら、そんな未来の思いをはせるのも楽しいかもしれません。
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