夕学レポート
2009年01月30日
「万葉の<われ>、現代の<われ>」 佐佐木幸綱さん
奈良のみやこは、平城遷都1300年を来年に控えて、「せんとくん・まんとくん」騒動を含めて何か話題の多い年を迎えました。
平城遷都が行われた710年は、万葉集が編まれた中心の時代です。編さんに関わったとされている柿本人麻呂、大伴家持らが生きた時代でもあります。
それから1300年。佐佐木先生は国文学者として、万葉集の研究に力を注いできました。
佐佐木信綱氏(祖父)、佐佐木治綱氏(父)と三代続く近現代短歌の歌人でもあります。
万葉のうたと現代のうた。その1300年の隔たりをつなぐ紐帯のような存在かもしれません。
万葉と現代をつなぐ鍵は、<われ>にある。つまり自我をどう扱うかにある。
佐佐木先生はそう言います。
佐佐木先生によれば、万葉の時代、歌は作るだけでなく、声に出して詠じることに意味があったそうです。「言霊」の力を信じていたからです。
言葉には力がある。生命がある。神と繋がることができる。古代人はそう考えていました。
31文字からなる和歌の形式は、「言霊」が最も発現しやすい形だとされていました。しかも、口に出して詠じることで「言霊」の力はより一層強く発揮されると信じていました。
熟田津に、船乗りせむと、月待てば、潮もかなひぬ、今は漕ぎ出でな (額田王)
白村江の戦いへの出陣を詠ったとされる額田王作の歌を、船出に際して、実際に声に出して詠んだのは、斉明天皇だったとのこと。
朝鮮半島での戦勝を祈念する大王としての意思=<われ>を歌にし、声に出して詠じることで、勝利を呼び込もうとしたのではないかと佐佐木先生は言います。
歌は、状況を詠むものではなく、意思を言葉にすることで、その力によって状況を変えることを願うものだったのです。
万葉集の総歌数4500のうち、<われ>をよんだ歌の数は1780。39.5%に達するそうです。
万葉集には、天皇から名もなき庶民まで、あらゆる階層の人々が詠んだ歌が編まれています。
つまり、万葉のうたは、<われ>を詠うものでありました。
平安時代を迎え、和歌の意味づけは大きく変わっていきました。
和歌は、大衆性を失い、公家・貴族など上級階層の嗜みへと洗練されていきます。
それに伴い、<われ>は姿を消していきます。
古今集、新古今集における、<われ>を読んだ歌の数は、1割程度に減少しているそうです。
作者と作中の主人公<われ>は別人格化し、自我がない歌が増えていきました。
この時代、和歌とは、言葉の最も美しい姿を実現するものだという考え方が主流となりました。状況描写や心情発露ではなく、言葉の正確性、抽象性が求められ、和歌は普遍主義化しました。
平安期に、「歌のいえ」として確立した冷泉家の伝統を800年間守っている冷泉喜美子さんによれば、冷泉家に伝わる和歌の精神は、普遍性を歌うもの。つまり「あなたもわたしも」同じように理解し、感ずる美の共通世界を表現しようとするものだそうです。
上級知識人が、歌会に集まり、ひとつの共通テーマを与えられて歌を詠む「題詠」という歌会システムも盛んに行われました。
古典漢籍についての知識・教養や本歌取りなどの歌詠み技術を競いあう雅やかな知的ゲームであったわけです。
この時代が、明治まで600年以上続きました。
明治維新は、自我復活の契機になりました。
藩閥制度のしがらみの中で、「家のため」「藩のため」に抑圧されてきた<われ>の精神が歌に詠まれることになりました。近代短歌はこうして発生しました。
近代短歌では、その人ならではの世界、主観を詠うこと、感情を詠うことが主流になっていきました。
われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子 (与謝野鉄幹)
動詞を一切使わずに、ひたすら<われ>を言い表す代名詞を連呼するこの短歌を、佐佐木先生は、近代短歌の<われ>のこころを代表する歌として第一に紹介されました。
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり じっと手を見る (石川啄木)
啄木の有名な歌には、薄給の暮らしの中で、病弱な家族を抱えて苦悩する啄木の私的生活が赤裸々に詠い込まれています。
かつての四畳半フォークのように、自分の身の回りの情景と心情を扱うスモールワールドが短歌の世界になっていきました。
しかしながら、近代短歌はやがて行き詰まります。
佐佐木先生の言葉を借りれば、「自分のことばかり話す人の話がつまらないように、<われ>への追及が行き過ぎることで、短歌そのものがつまらなくなってしまった」とのこと。
この状況は打破しようとして生まれたのが前衛短歌運動でした。
その担い手は、福本邦雄、寺山修司等の新しい感性でした。新しい<われ>の模索が始まりました。
突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼 (福本邦雄)
卵が割れる情景にかつての戦争体験を重ね合わせた歌です。
事実をそのまま伝えるのではなく、時代性や社会性を持った観念を掴み取ったうえで、そこに<われ>との関係性を縫い込んで詠ったのが現代短歌でした。
70年代以降、豊かになる社会の中で、新しい自分探しの時代へと変わっていきました。それはやがって「サラダ記念日」に代表される新しい短歌観につながっていったのでしょう。
31文字の形式を守りながら、その時々の風を受け、中身を変容させてきた和歌・短歌の文化。伝統と革新を繰り返しながら繋がれてきた日本の伝統文化の典型例を見ることができます。
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