KEIO MCC

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夕学レポート

2009年02月09日

「組織の不条理を克服するために」 菊澤研宗さん

経営学をかじったことがある方ならご存じの名著に『失敗の本質』という本があります。
一橋大の野中郁次郎先生が、防衛大学に籍を置いていた当時の同僚の方々との共同研究がベースになったもので、「日本軍の組織論的研究」という副題が付いています。なぜ、旧日本軍は失敗したのか。その原因を経営学の理論フレームワークを使って分析したものです。
防衛大の後輩筋にあたる菊澤先生は、あたかも『失敗の本質』を発展的・批判的に継承するかのように、「組織の不条理」を研究しています。
『失敗の本質』を含む通説によれば、日本軍の失敗は、無知と非合理性にあるとされています。
戦略のグランドデザインもなければ、戦術として選択できるオプションも少ない。属人的な意思決定構造で批判を許さず、過度な精神主義がはびこっていた。「だから日本は負けた」というものです。
菊澤先生は、この支配的な見方とは違った視点で研究を進めてきました。
旧日本軍上層部には、当時最高の知的エリートが揃っていた。愚かであったはずがない。だとすれば、合理的だったにもかかわらず失敗する別の理由があったのではないか。
それは、現代頻発する企業不祥事のメカニズムを説明することにもつながるはずだ、という問題意識です。


菊澤先生が主張されたキー概念は、「限定合理性」「取引コスト」の二つでした。
「限定合理性」は、反対語である「完全合理性」という概念とセットで理解するとわかりやすいでしょう。
標準的な経済学理論で仮定される「全ての情報が公開され、規制のない自由な市場で健全な競争がなされること」が完全合理性です。
これに対して「限定合理性」は、「人間は全ての情報に精通し、あらゆる選択肢を論理的に分析したうえで判断するわけではない」という前提に立つ考え方です。
人間を「限定合理的」な存在と見なすと、組織に発生する不条理に説明がつくと菊澤先生は言います。
全ての情報に精通できない不完全な人間が、限られた情報の中で合理的に判断しようとした結果が「組織の不条理」であるというわけです。
利害関係のない外部の人間が、後付の知恵をもってみれば「なんであんな馬鹿なことをやったのか」「なんと無意味なことを続けているのか」という不条理はどこの会社にもあるものですが、当人達にとっては精一杯合理的に考えたうえで実行しているのではないかと菊澤先生は考えています。
この典型的な事例が旧日本軍であり、象徴的な失敗として詳しく解説してくれたのがガダルカナル島の敗戦でした。
もうひとつの概念「取引コスト」も経済学の理論だそうです。
曲解だと叱られることを覚悟のうえで、私なりの理解でいうと、「路線修正コスト」「変革コスト」とでも言った方が分かりやすいのではないでしょうか。
これまで常識とされていた方法、文化を変える時に生じるマイナスコストです。過去に投入してきた膨大な費用、しがらみや関係性を断ち切る時に生じる精神的負担、頭の固い人達を説得するのにかかる時間と労力。それらはすべて「取引コスト」になります。
「取引コスト」は「組織の不条理」がなぜ起きるのかを説明するもうひとつの概念になります。
つまり、全ての情報に精通できない不完全な人間が、限られた情報の中で合理的に判断しようとする時に、「取引コスト」の大小が、意思決定に影響を及ぼしてしまうということです。
社会的に害悪となることでも、意思決定当事者が背負う「取引コスト」の方が大きいと考えれば、それを実行することが合理的な判断になると菊澤先生は説明してくれました。
ガダルカナル島において、米軍の近代兵器を前にしながら、無謀な白兵戦を三度に渡って繰り返した理由を考えてみると、まず「白兵戦こそ日本陸軍を代表する戦法である」とする日露戦争以来の規範的価値観がベースにありました。文化的な「取引コスト」と言えるでしょう。この白兵戦第一主義のもとに、戦車の開発、銃の改良、兵隊の訓練、戦術の組み立て、評価制度等などあらゆるシステムが構築されており、白兵戦を止めることは「日本陸軍が日本陸軍でなくなる」に等しいほどの巨大で、見えない「取引コスト」を覚悟することでした。
優秀な参謀達は、「取引コスト」の大きさを読み込んだうえで合理的に判断して、白兵戦を繰り返し指示せざるを得なかったということです。
企業不祥事が起きるメカニズムも同じことでしょう。
不正は悪いと認識しながらも、いま止めれば売上が落ちる、利益が減少する。給料も減るし、雇用にも影響する。バレなければいままで通りでいける、だったら隠し通そう。
ここにも「限定合理性」のもとでの「取引コスト」に基づいた合理的な判断があったはずです。
では、私たちは「組織の不条理」の呪縛から逃れるためにどうすればよいのか。
菊澤先生は、カントの人間観にヒントがあると言います。
カントは、人間は「他律的行動」「自律的行動」の二つの側面を持っているそうです。
誰かに言われたから、皆がやるから、こちらの方が儲かるから…
外からの力が原因で行動するという人間の一面が「他律的行動」で、カントは「未成年」と呼んだそうです。
一方で、外からの圧力や誘惑に打ち勝ち、自分の意思で別の行動を取る「自律的行動」の側面も私たちにはあります。カントは「啓蒙された人」と称しました。
人間が生まれ持つ「他律的行動」と「自律的行動」という二つの側面。なにやら先週堂目先生にお聞きしたアダム・スミスの「weak man(弱い人)」と「wisdom man(賢者)」とよく似ているお話でした。
「他律的行動」に立って、「組織の不条理」を防ぐとすれば、「取引コスト」を少なくする工夫をすることだと菊澤先生は言います。
しがらみのない人間を招いて大改革を任せるやり方、例えばゴーンの日産改革がそれにあたるでしょう。
「自律的行動」を重視すれば、「取引コスト」をものともせずに突き進む強いリーダーに指揮を委ねる道があります。中村会長による松下(現パナソニック)改革はこの例かもしれません。
もうひとつ、自律的な集団の叡智を信じるとすれば、建設的な批判を許容する組織文化をつくるという選択もあります。
硬直的な機械的組織ではなく、ゆるやかでソフトだけれども柔軟で変化に強いフロー(流れる組織)を目指すというものです。
「言うは易く、行うは難し」の最も難しい道ではありますが、それが王道であることは間違いないでしょう。
先生ご自身もお話されていましたが、「組織の不条理」の研究はまだ発展途上です。
不条理発生のメカニズムを理論的に説明することは出来ましたが、どうすれば不条理を防止できるのかは抽象的な概念を提示する段階です。
とはいえ、フローな組織の概念を更に突き詰めようと野中先生との共同研究も考えているという菊澤先生。
『失敗の本質』から『成功の本質』へのブリッジを架けていただくことを大いに期待したいと思います。

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