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夕学レポート

2009年07月13日

覆いを取り去ること  なかにし礼さん

歌謡曲の黄金時代があったとすれば、それは1960年代後半から80年頃までの十数年間になるのではないでしょうか。
私はその時代を小学生から二十歳までの多感な時期に過ごしたので、あの頃の歌謡曲の隆盛をよく知っています。日本レコード大賞に、いまとは比較しようもないほどの権威があり、他局を含めた年末の賞レースは、芸能界の一大イベントでありました。
その年のレコ大の受賞曲は、子供から老人まで、誰もが口ずさむことが出来ました。
今にして思えば、あの頃の主役は、歌い手よりも作り手だったのかもしれません。
なかにし礼さんはもちろんのこと、船村徹、阿久悠、山口洋子、平尾昌晃、三木たかしetc、作詞家、作曲家の名前が次々と出てきます。
歌が時代と共に、そして大衆と共にあった時代でした。


歌謡曲黄金時代の作り手達は、戦争中に生まれ、戦後の混乱期に幼少期を送り、高度成長とともに青年時代を過ごしています。
日本と日本人の劇的な変化を、人生の最も多感な時期に体験した世代です。
だからこそ、大衆のこころを掴むことが出来たのかもしれません。
なかにし礼さんは昭和から平成へと年号が変わるとともに、ポンと音を立てるように作詞への意欲を喪失したと言います。
紅白歌合戦の視聴率が70%を切り出したのもこの頃です。昭和の終わりとともに大衆の時代が終わったのかもしれません。
さて、なかにし礼さんの講演は、人生を変える「出会い」がテーマでした。
「ことばとの出会い」「音楽との出会い」「人との出会い」「絵との出会い」が、なかにし礼という稀代の文筆家にどのような影響を与え、転機となってきたのかを思い出を振り返りながら紹介していただきました。
「お前は自分の力で逃げろ!」
なかにしさんの最初の出会いは母親からの思いもよらぬ言葉でした。
満州から引き上げ列車が、ソ連軍の銃撃を受けた時、母親は6才のなかにしさんを置き去りにして一人で逃げたと言います。幸いにして再び出会えた時、母親がなかにしさんに言った言葉がこれでした。
6才にして、一人で生き延びねばならないという極限状態を知った少年のこころに何が去来したのか。ある種の刹那主義は、その後のなかにしさんの人生に色濃く反映されたのではないでしょうか。
「日本はもうこんなに明るいのか!」
命からがら逃げ延びた満州からの引き揚げ船で出会ったのが『りんごの歌』でした。
生死の修羅場をくぐり、人間の嫌な面をさんざん目にしてきた少年のこころに、『りんごの歌』の無邪気な明るさは、強い違和感として残ったといいます。
この時に感じた日本の流行歌への距離感が、クラシックに傾倒していくきっかけになったそうです。なかにしさんにとって、生まれ故郷満州の広大な大地を想起させてくれるのは、ベートーベンの交響曲『田園』だったとのこと。
九段高校の先輩から教えてもらったシャンソンの衝撃は、文筆家として生きていく転機になりました。シャンソン喫茶のボーイをしながらフランス語を勉強し、シャンソンの訳詞家へと人生を切り拓いていきました。
「お前日本語の歌を作ってみろよ。協力してやるよ」
下田のホテルで偶然知り合いになった石原裕次郎との出会いが、作詞家への扉を開いてくれました。
裕次郎は、上記の約束を守り、なかにしさんのデビューに手を貸してくれました。
やがて石原プロの新人 黛じゅんのプロデュースを任され、彼女が『天使の誘惑』で日本レコード大賞を獲ると、作詞家なかにし礼は、日本を代表するヒットメーカーとなっていきました。
裕次郎の最晩年の名曲『わが人生に悔いはなし』は、なかにしさんが感謝の思いを込めた渾身の作品だったそうです。
「自分とはいったい何者なのか」
裕次郎の死と相前後するように、作詞へのモチベーションを失ったなかにしさんが、ボストン美術館で出会ったゴーギャンの絵は、なかにしさんに、内なる問いかけを誘いました。
『我々はどこから来たんか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
禁断の木の実を食べてしまった人間がその代償として引き受けなければならない永遠の桎梏をこの絵は表現をしていると言います。
なかにしさんにとってこの絵との出会いは、これまで封印してきた自分自信の内面世界に目を向けるきっかけになりました。
兄との確執をモチーフにした『兄弟』、満州の体験と母親への思いをテーマにする『赤い月』といった自伝的小説は、こうして生まれました。
人生を変える出会いは、「感動」との出会いでもあります。
衝撃的な「感動」によって、自分がまとっていた覆いを取り去ることができる。それが「DISCOVER」である。
なかにしさんはそう言います。
自分でも気づかずにいた覆いを脱ぎ去ることで、なかにしさんの人生は変わっていったといいます。しかも何度も、何度も。
「出会いは誰にでもあります。それに気づくか、それを掴めるかの違いです。
講演冒頭で、さらりと話された言葉が、私のような凡人には、改めて重く感じてしまいました。

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