夕学レポート
2009年10月05日
「動的平衡」という生き方 小黒一三さん&福岡伸一さん
福岡伸一さんのベストセラー『生物と無生物のあいだ』は、アンサング・ヒーローズ(unsung heroes)、「歌われることのなかったヒーロー達」の物語である。
生命科学の分野で、今世紀最大の偉業と謳われるのが、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックによる「DNAの二重ラセン構造」の発見であった。
彼らの発見は、生命が自らの中に、自己を複製する機能をもった、25,000種の遺伝子からなる高性能コピーマシンであることを証明した。
ワトソンとクリックは、紛れもないサング・ヒーローズ(sung heroes)、称賛されるヒーローであった。
『生物と無生物のあいだ』は、二人のヒーローの陰で、結果的に彼らの研究を下支えすることになったにもかかわらず、陽の目を見ることのなかった何人かの科学者の人生を、福岡さん特有の美しい文章で詳述している。
ワトソンとクリックの発見が、アルプス登頂の偉業だとすれば、山の裾野で藪を刈り、道を拓いた名もなき人々の作業に、温かい眼差しを向けるように。
アンサング・ヒーローズの中で、とりわけ福岡さんが愛しむのが、ワトソンとクリックへの称賛を知ることなく世を去った、ひとりのユダヤ人学者 ユドルフ・シェーンハイマーである。
きょうの主題である「動的平衡」論は、シェーンハイマーが明らかにした生命理論であった。
(詳細についてはこちらのブログを)
「生命は、絶え間ない流れの中にある動的なもの、絶妙なバランスを保ちながら同一性を維持し続けている」とする、この理論は、シェーンハイマーの提唱から70年近くを経て、福岡さんという語り部を通してよみがえり、“福岡ブーム”とも呼べる現象の主役概念として脚光を浴びている。
福岡さんが、アンサング・ヒーローに関心を寄せたのは、彼自身の半生とも無関係ではないのではないか。
昆虫少年が高じて生物学者になった福岡さんは、生命を精緻に描写したいという欲求から分子生物学の世界に分け入り、ハーバードや京大の研究室で、ひたすら顕微鏡を覗く日々を20年近くも送っていたという。
その研究者半生は、まさにアンサング・ヒーローそのものではなかったか。
10年ほど前、アンサング・ヒーローであった福岡さんに着目した、ちょっと変わった編集者が小黒一三さんであった。
福岡さんが翻訳した、ある科学者の伝記(当然ながらアンサング・ヒーロー)を読んで、福岡さんに「会いたい」と連絡してきたのだという。
小黒さんは、マガジンハウス社で「ブルータス」「クロワッサン」などの編集に携わり、数々の伝説を残した名物編集者であった。
独立後は、雑誌のみならず、テレビやイベントなど多分野で数多くのプロジェクトに関わる一方で、アフリカにのめり込み、ケニアのマサイ国立保護区にリゾートホテルを開設してしまった。
オンと遊びオフ、公と私、あなたのものと私のもの、そんな区分をスパッと取り去って、自由に、楽しく生きる。仕事と遊びを混然にして、同じように片付けてしまう。
アフリカの自由奔放な価値観に振り回されながらも、その混沌を楽しむ。そんな生き方を追究してきた。
スローフード、スローライフ、ロハスといった新しい価値観を日本に紹介してきた人物である。
福岡さんに声を掛けた頃、小黒さんは、月刊『ソトコト』を発刊したばかりであったという。
環境をオシャレとして語る「環境ファッションマガジン」と銘打った「ソトコト」は、環境ブームでひと儲けを狙った広告界や、肩に力が入りすぎて息切れしたNPOを尻目に、独自のポジションを確立してきた。
アフリカのホテルは、小黒さんにとって、ビジネスでもなく、社会貢献活動とも違う。今はやりのソーシャルアントレプレナーのような大上段に振りかぶった気負いもない。
自分が関心のあることを、楽しみながらやって、自然環境に無理な負荷をかけない。健康で持続可能なライフスタイルの実践に他ならない。
小黒さんが、福岡さんひいては「動的平衡」論に関心を持ったのも分かるような気がする。「絶え間なく動きながらバランスを取る」という概念は、小黒さんの生き方とよく似ているからだ。
アフリカでのホテル経営も、そこだけを切り取ったら、「もの好きなクリエイターの道楽」と見えなくもない。しかし小黒一三という人間の文脈の中で読み込めば、自らが提唱するロハスという価値観の実践活動になる。
「部分をいくら見ても、全体はみえない」
それは、小黒さんのやっていることに、そのままあてはまるのではないだろうか。
さて、きょうのセッションテーマは、「動的平衡」をキーワードに、日本人のいまとこれからを考えることであった。
小黒さんは、生物学者である福岡さんに問い掛けた。
20年前アフリカの大地から世界に旅立ったと言われる私達人類の祖先は、どのように進化してきたのか。そして、現代の「日本人」ははたして進化していると思うか
福岡さんは答えた。
いまの学生と話すと、「こんなことも知らないのか」とあきれることと「こんなことを知っているのか」と驚くことが相前後して起きる。彼らは、小林秀雄や三島由紀夫をまったく知らない。でもエヴァンゲリオンには、やたら詳しい。
しかしよく話を聞いてみると、彼らはエヴァを通して、「生命とは何か」「死とは何か」を実に深く考えている。かつての青年が小林や三島を通して、人生を思索したのと同じように。
人間は、必要な知識は絶え間なく入れ替えながら、同じ知的営みを繰り返しているのではないだろうか。
これもまた「動的平衡」であった。
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