夕学レポート
2010年06月30日
藝術は身近なものである 宮田亮平さん
いま慶應MCCのagoraで、受講生に混じって「老荘思想」を勉強している。
(こちらをご覧ください)
「太上は、下之有るを知るのみ」
『老子』の一節にある言葉だ。
優れたリーダーは、下の者からは何をやっているのかわからないほど存在感を消している、というような意味である。
「水のような人間であれ」
老子が繰り返し強調しているメッセージである。
水は何処にでも流れる。清流も、汚濁も、小川も、大河も、変わらずに流れる
水はだれにも合わせられる。相手の良いところを得て、何色にも染まる。
水は全てを洗い流す。汚辱、混乱、腐敗、あらゆるものを清める。
水は万物を育む、実りをもたらす。万物の母であり、父である。
宮田亮平先生は、まさに「水の如く」ある人ではないだろうか。
水のように学生達の中に入り込んでいる。きょうの講演も、いつのまにかステージを降りて、空いた席に腰掛けながら、聴衆と一緒になって話している。
芸術アカデミーの総本山 東京藝術大学学長という肩書きが持つステレオタイプのイメージとはほど遠い、明るくて、おもしろい、そして深い人格者である。
裃脱いで、車座になって話し込み、おもしろがる。
誰でも受け入れるが、、それでいて、しっかりと主張もする。
藝術への思い。藝術家であること、藝術家を育てることへの誇りがビンビンと伝わってくるのだ。
「藝術は身近なもの。感じたことを表現するもの
宮田先生は、そういう。
電車の中吊り、新聞広告、日常の何気ない暮らしの中に、いくらでも藝術を見いだすことが出来るという。
よい作品に出会ったら、真似をすることだって構わない。無から有は生まれない。学ぶより“まねぶ”。どんな大家だって、最初は模写から始めたのだ。
「重要なのは、そこに自分の色をだすことだ」
これは、私達の生き方にも言えることだろう。
どんな大学を出たか、どんな会社に勤めているか、どんな仕事をしているのか、それが重要なのではない。
どんな組織、どんな仕事にだって、必ず「おもしろみ」はあるはずだ。
物憂げで退屈そうに見えるものの中から、或いは、がんじがらめに縛られて身動き出来そうもない環境の中から、「おもしろみ」を見つけることができるか。自分の色を差して、仕事をおもしろく変えられるか。仕事を藝術に出来るか。
いわば、藝術的仕事術とでも呼ぶべきものであろう。
宮田先生は、藝術家という自由な立場と、国立大学の学長職というお堅い役割を行き来しながら、それを実践している。
学長職だって、大学改革だって、政府の審議会だって、工夫ひとつで楽しめる。アーティスティックな場に変えられる。
詳しくはこちらを
宮田先生のパフォーマンスは、他者へのサービス精神ではない(それもちょっとあるかもしれないけれど)。むしろ、自分が楽しむため、おもしろがるため、藝術的に生きるためのスキルではないだろうか。
多忙な中を駆けつけてくれたきょうの夕学も、そんな場のひとつとして存分に楽しんでもらえたことと思う。
最後に、宮田先生の個展のご案内です。
宮田亮平 金工展
平成22年7月14日~20日
日本橋三越本店 本館6階美術特選画廊
宮田先生は、この期間中はできるだけ顔をだされるそうです。
17日、18日の土日13:00からはギャラリートークもあります。
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