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夕学レポート

2011年06月02日

夢の力 武田双雲さん

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武田大智少年(双雲さんの本名)の少年時代を想像してみる。
休み時間になると、いつも机の回りに友人達が集まり、輪ができる。
中心にいる、ひときわ身体の大きな大智少年は、やたらと大きな声でしゃべりながら、なにやら絵を描いている。
それは、先生や友人の似顔絵かもしれないし、昨日のテレビドラマの主人公かもしれない。
彼がひと言冗談を発するたびに、笑いが広がり、ひと筆鉛筆を走らせるたびに、驚嘆が起きる。
始業のベルが鳴っても大智少年の言葉と手の動きは止まらず、教室にやってきた先生は「またか!」という表情で、一喝する。
怒られながらも、大智少年の笑顔は消えることはない、叱りながらも、先生の口元は笑っている。
ちょっと調子もので叱られることも多いが、いざという時には目の色を変えて集中する。
クラスの中心で、誰からも好かれる。きっとそんな少年だったに違いない。
35歳になり、書道家武田双雲として、脚光を浴びるようになったいまも、天性の明るさと人懐っこさは変わらない。
身体中から正のエネルギーを発散し、周囲からも引き出すことができる人。”気の元”になる人である。


講演のテーマは「夢」であった。
「夢」について、ひたすら語り続けた90分であった。これまでの夕学でも、ここまで熱を持って、「夢」だけを語った話者はいなかった。
双雲さんのいう「夢」は、Dreamではなく、Visionである。
頭の中で描く絵空事、つらい現実から逃避する空想と類ではない。
自分を勇気づけ、具体的な行動につながるエネルギーとなるものである。
そして、自分と同じように、周囲を勇気づけ、元気にさせるものである。
私は、双雲さんの姿が、建築家の安藤忠雄さんに重なって見えた。
安藤さんも、35歳の頃は、きっとこんな感じの青年ではなかったのかと思う。
家庭の事情もあって大学進学をあきらめ、独学で建築の道に進もうと決意した10代の安藤さんは、徒手空虚のまま世界一周の旅に出た。
旅先で目にしたさまざまな建築や事象に「なぜか」「自分ならどうする」という問いを繰り返したことが安藤さんの原点だったと聞く。
頼まれもしないのに建築図面や模型を作って、手当たり次第に提案に行くことを繰り返したという。
武田双雲さんも25歳の時、さしたるあてもないままにNTTを辞め、書道家の道を歩み出した。3歳の頃から母堂の手ほどきを受けて育ったとはいえ、美大出身でもなければ、賞を取ったわけでもない。
街角で見かけたサックス奏者に惚れ込み、翌日には、並んで路上に出て、ストリート書道を始めた。相手が迷惑がっていようがお構いなし。天性の明るさと人懐っこさが武器になったのだろう。
無名時代の安藤さんは、「大阪駅前プロジェクト」なる建築プランを携え、大阪市役所の門を叩いた。大阪駅前の高層ビルの屋上を緑化し、相互のビルをスロープで自由に行き来できるようにしようという壮大な「大阪駅前再開発デザイン」であった。
けんもほろろに突き返された構想は、40年後に「表参道ヒルズ」に結実した。
講演の最後で、双雲さんが語った「私の夢」は、「世界感謝の日」を創設することだという。
世界中の人々が、この日だけは、絶対の他者を非難しない、叩かない、感謝をするというのが「世界感謝の日」である。
ご自身の誕生日でもある6月9日を、「世界感謝の日」にするべく、その働きかけの中心になろうというものだ。
双雲さんらしい、途方もない「夢」である。
感謝は、夢と同様に、すべての人にとって、”気の元”になるという確信があるからこその挑戦であろう。
けんもほろろに突き返された安藤さんの「夢」が、40年後に形になったように、きょうこの日の大言荘語が、いつの日か成就するのか、しないのか。それはわからない。
しかし、この「夢」を語ることが、いまの双雲さんの力になり、講演を聴いた多くの双雲ファンの力になったことは間違いはない。
最後に、双雲さんが書いてくれた「夢」をごらんください。
夢.JPG
この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/6月2日-武田-双雲/
こちらの講演で応募いただいた「感想レポート」はこちらです。
・『夢の叶え方』を受講して(Take a chance16/会社員/30代/女性)
・武田双雲『夢の叶え方』を聞いて(MT/会社員/20代/女性)

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