夕学レポート
2011年06月09日
「水を治める」ということ 中村哲さん
人々を飢えと洪水から救うこと
私の中国古典の師である田口佳史さんによれば、古代に中国の政治リーダーに求められた最大の仕事は、「治山・治水」であったという。
豊かな恵みをもたらす一方で、時に激しく荒れ狂う大黄河を、治めることが出来るかどうか、が指導者の最大の眼目であった。
豊潤で深淵な思想文化が花開いた古代中国に、唯一絶対の一神教が生まれなかった理由もここにあるという。
人間の救済は、人間のみが可能である。
「水を治める」ことが出来るのは、神でも仏でもない。治山・治水の技術に長けた現世のリーダーである。
それが、中国古典の底流に流れる合理的な精神にも通じるという。
中村哲さんのお話を聞くと、アフガンにも同じことが言えるようだ。
アフガンの地は、ヒマラヤの根雪を源流とするインダス河水系の河川が支える農耕の土地であった。気まぐれな河の流れとどう付き合うかに、人々は腐心をしてきた。しかも、地球温暖化の影響を受けて、渇水と洪水の厳しさは、年を追う事に振れ幅が大きくなり、深刻なものになっている。パキスタンのハンセン病治療のボランティアとして、彼の地に渡った中村さんは、病気の治療云々の前に、アフガンの地に厳然と屹立する「生きる」という問題に立ち向かわざるを得なかった。
アフガンの人々が「生きる」ということは、「水を治める」ことであった。
清潔な飲料水や生活用水がない土地には、井戸を掘る。飢えの根本原因を絶つために、農業用の大規模灌漑用水路を作る。聴診器や注射針を持つ手で、ツルハシやスコップを握り、自らユンボを操作して水路を掘削したという。コンクリートや鉄筋に頼る近代技術は使わなかった。現地の人々が、後々自分の手で修繕が出来るように、そして自分たちの力で新たな用水路を作ることが出来るように、ひたすら人力で、針金を編み、石を積み上げ、柳の根を張り巡らせたという。
すべての資金を日本からの募金で賄ったが、できるだけ公的資金は遠慮した。新たな挑戦に失敗はつきもの。失敗を許容できない公的資金に頼ると、失敗を成功と言いくるめる欺瞞が生まれてしまう。
そんなことに貴重な時間を費やす暇もなかった。
現地のスタッフに日本人はたったの二人しかいない。現場監督も兼ねる中村さんと会計・事務の責任者のみ。140人を越える現地職員と500人を越える作業員はすべてアフガンの人々である。
日本人が増えれば、それだけ身の安全に配慮が必要になる。万が一のことがあれば、それで肝心の作業も止まってしまう。目の前の問題を解決することに集中するための、合理的な選択であるという。
中村さんの活動を見るときに、私たちは、どうしても自分たちの物差しをあててしまう。
中村さんも65歳、後継者は育成しているのだろうかと心配になる。
会場からの質問もあったが、私も同じ質問を控え室でしていた。
中村さんの答えは、会場での抑制の効いた答え方よりも、もっとはっきりとしていた。
「ペシャワール会が続くことが目的ではないのです」
「後継者のことに頭を悩ますより、私たちの活動が種まきになることの方が重要です」
「そうすれば、ペシャワール会がなくなっても、必ず誰かが、水路を作り、修繕をするようになるのですから」
「水を治める」ことに力を尽くした古代中国には、水に学ぶ思想が育まれた。
全ては水が教えてくれる、水の如くに生きるべし。
という考え方だ。
水は何処にでも流れる。清流も、汚濁も、小川も、大河も、変わらずに流れる。
水はだれにも合わせられる。相手の良いところを得て、何色にも染まる。
水は全てを洗い流す。汚辱、混乱、腐敗、あらゆるものを清める。
水は万物を育む、実りをもたらす。万物の母であり、父である。
水は時に怒る。洪水となって、あらゆるものを一瞬で押し流す。
水は必要な時、必要な所に流れ込み。やがて跡形もなく消えていく。
全ては水が教えてくれる。水の如くに生きるべし。
アフガンの地で「水を治める」ことに生涯をかけた中村さんの生き方そのものである。
(城取一成)
・この講演に寄せられた「明日への一言」
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