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夕学レポート

2011年07月26日

いまは「のびやか」にはなれないけれど… 玄侑宗久さん

photo_instructor_572.jpgはじめにお詫びを言うべきであろう。
受講者の皆さんと講演者である玄侑宗久さんに対してである。
震災から四ヶ月、いまだ困難の中の渦中にある福島県人 玄侑さんに 「荘子」を語っていただくのは無理があったのかもしれない。
荘子は、超越的、脱世俗的を特徴とする思想である。あまりに雄大でスケールが大きい。いまの困難も俯瞰してみれば些細なこと、大きな流れの中で移ろいゆく、よしなし事のひとつに過ぎないと喝破する。
世俗の価値や基準から解き放たれて、自由に、のびやかに生きることを説く。
しかしながら、いまの福島には、玄侑さんを荘子から世俗の世界へ引き戻す強力な磁場が働いている。
のびやかに生きることを説こうと試みても、のびやかにはなれない自分がいる。
玄侑さんが、そんな苦しみの中、渾沌の中で、お話しせざるをえなかったことに、講演企画者として忸怩たる思いがある。
玄侑さんは、福島県三春町福聚寺の住職である。
ご自身も被災者のおひとり、地震でお寺の塀は倒れ、お墓も多くが倒壊した。檀家さんに死者はなかったとはいえ、親戚縁者には亡くなられた方も多いだろう。 お墓はいまだに修復しきれていないという。
玄侑さんは、政府の復興構想会議の委員でもあった。
苦しむ東北の庶民の声を届けるために、そして被災した宗教界の代表として、会議に臨んだという。 しかし徒労感も大きかったという。
玄侑さんは、純文学から、対談、エッセイまで幅広く手がける作家でもある。
いつの日か、今回の体験も文学作品に昇華して世に問わねばならない。
そんな複雑な思いを抱えたまま、荘子の世界を語ることは、玄侑さんにとっては、つらいことであったに違いない。聴く側にもそのつらさが伝わってきた。
いまの玄侑さんにとって、それほどに世俗の力は大きいのだろう。


荘子は、紀元前4世紀頃、中国南宋に生きた思想家である。
道教、道家思想、老荘思想と呼ばれる思想体系の中心を担う人物のひとりである。老荘思想のもう一人の雄「老子」と比べても、捉えどころにないスケールの大きさが特徴だと言われている。
インドで生まれた仏教は、中国大陸で老荘思想に出会い、禅仏教を産み出した。
禅僧である玄侑さんにとって荘子は、自らのルーツをなす思想でもある。
10年以上も荘子を読み込み、「仏教法話」という私的講座のテキストにも使ってきた玄侑さんは、『荘子と遊ぶ』という本を出している。
玄侑さんの荘子論については、是非、この本を読んでもらいたい。
この本では、今回の講演で本来語ろうとした「のびやかな生き方」が洒脱に語られている。
荘子の時代にも天変地異はあった。人災もあった。
地震、洪水、飢饉の被害はいま以上に甚大であったろうし、戦災、悪政による損害も大きかった。それでも、荘子は、「造化のなすがままに天命を受け入れる」ことを説いた。
しかし、荘子の生きた時代に、放射線という得体のしれない敵はいなかった。
福島の人を困惑させているのは「自分の感覚を信じて生きられないこと」だと玄侑さんは言う。
福島の空は、今年も青く澄み、水は清らかに流れる。しかも今年の桃はとびきりに美味い。ガレキの埋もれた被災地でさえ、路傍は緑に覆われはじめた。
自然は何ひとつ変わらずに、いまもそこにある...ように見える、感じられる。
しかし、福島の大地に固着した放射線セシウムは、これから何十年にも渡って、厳然とそこに在り続ける。
人々は、見えない敵、主張しない敵と長期の心理戦を戦わねばならない。
荘子には、「天鈞」という言葉があるという。
天から見ればすべては斉しい。そう見えないのは人間が自分を中心に据えた勝手な善悪是非を振りかざすからに過ぎない。
天からの平等、釣り合いを説く言葉である。
福島の山や海は汚れたけれど、不自由があるから秀でることもある。
福島にも、いや福島だからこそ、生まれる何かがあるかもしれない。いつの日か、凄い人材が福島から出るかもしれない。
それが文学なのか、放射線研究者なのか、政治家なのか、心理学者なのか、いまはわからない。
玄侑さんは、「天鈞」を信じて、渾沌を生きている。
この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/7月26日-玄侑-宗久/

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