夕学レポート
2011年08月19日
感想レポートコンテスト 優秀賞が決まりました
今期の感想レポートコンテストは35名の皆様に応募をいただきました。
応募いただいた皆様、この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
感想レポートアーカイブ
毎期、応募者の中から一本最優秀作品を選ばせていただいていますが、今回は、「鞠小春」というペンネームで応募いただいた小菅真理子さんに決定を致しました。
おめでとうごさいます!!
「詩」を書き、読むということ。(鞠小春(まりこはる)
小菅さんは、夕学は、はじめての受講のようですが、かなりの佐野元春ファンでいらっしゃるようですね。
佐野さんが伝えようとしたメッセージに真っ正面から向き合い、自分の言葉と想いを使って、素敵な文章にまとめていただいたと思います。
お祝いの気持ちを込めて、ここに改めて全文を引用させていただきます。
感想レポートコンテストは、来期も実施する予定でおります。応募いただいた方には、もれなく夕学受講券を1枚、その期の最優秀作品には、翌期の「夕学パスポート」をお送り致します。
皆さんもふるってご応募いただければと思います。
<以下引用>
詩」を書き、読むということ。
(鞠小春(まりこはる)/会社員/42歳/女性)
2011/05/27 佐野 元春氏講演「共感伝達としての「音楽」と「言葉」」|
言葉や詩について考える時、いつも思い出す文章があった。確か池澤夏樹氏の著作にでてきた一文だったと思う。
-「私は詩こそが破滅の淵に向かいつつある人間の魂の抵抗の最後の砦だと思います。詩が世界を救えるといっているのではありません。ただ少なくとも人間の中にある人間性というものを救うことはできるはずです。」(ファン・ゴイティソーロ/Juan Goytisolo/スペインの小説家)-
『詩こそが、わたしたちの魂を救いあげる』といういわば軽い衝撃を覚える言葉だった。愛ではなく、富でもなく、ひとりひとりの魂を防御する砦となるのが『詩』であると言うのだから。そして私は、この『詩』という存在についてもうひとつ、強い言葉を手に入れた。なぜなら、この講演で佐野元春がこう言ったからだ。
「世界を友とするために。そして、世界と和解するためのツールだ。」
「詩とは」と前置いて佐野氏はこう言った。「共感伝達」というテーマを、もっともわかりやすく、もっとも美しく、もっとも詩的に表現した言葉ではないかとオートマティックに胸が高鳴った。私は心のなかで、(世界を友とするために。世界と和解するために。)と何度も反復した。
もし本当にそうであるならば、私は『詩』というものに近づいて、握手して、ハグをしたい。もし本当にそうであるならば、『詩』とは私たちの状況を切り開く、万能の道具になりうる。
さて、講演は『詩』について語りながら、日常や人生のヒントにも溢れ、かつユーモアがあり、そしてなんといってもクールだった。
日本の「定型詩」の代表例として俳句をあげ、「5・7・5」のリズムが「4拍・4拍・4拍・4拍」であると、指をリズミカルに鳴らしながら説明した。その際の彼の解説はこうだ。
「俳句の5・7・5をビートで解析すると【4拍・4拍・4拍・4拍】。最後の4拍は無音だ。この無音には、日本人らしい情緒という感受性が隠れている。」
私は俳句を”ビートで解析すると”と言い出した人を目の当たりにしたのは初めての体験だ。それにしても、最後の4拍についての解釈がクールだ。この韻律を秘めた無音のリズムに着目し、我々(日本人)が感じる「余韻」にたいする好ましさをさらりと解説したのだ。これがもし佐野元春のコンサートの最中であったならば、了解の拍手を贈るだろう。
次に『優れた詩とは』というテーマについて、佐野元春自身の詩作意識を9つ挙げた。いくつか割愛して、印象的な(さもすれば、人生のヒントになりそうな)ものを列記したい。
・ 「他者への優しいまなざしがあるか」
・ 「生存への意識があるか」
・ 「自己憐憫でないか」
・ 「共感を集めることに自覚的か」
・ 「良いユーモアの感覚があるか」
どうだろう。日々の過ごし方、他人への接し方にも通じる、人生のヒントのようにも響いてくる。私たちは言葉を発し、伝え、考え、歌い、繋がっていく。それこそ「人生」だ。
次に佐野氏は「ソングライティングとは何か」ということにテーマを置いた。こちらも印象的な言葉を列記する。
・ 「ソングライティングとは自分を知る作業だ。経験を引き金に構築する。」
・ 「詩の普遍性をいかに獲得していくかを自覚することも重要だ。」
・ 「心の眼で正確にスケッチする。」
・ 「映像・音・意味が3身一体となって作られる」
・ 「世界をより良く変革するための武器である」
この『世界をより良く変革するための武器』という言葉は、冒頭に書いたスペインの小説家の言葉と同列の意味を成すと私は思っている。
ここで言う「武器」とは人を傷つけるための刃物や銃ではない。防衛のための武器とも言えるかもしれない。
自己の衝動や、暴力的な心とたたかう為に自分の声(コトバ)と向き合う精神、それがここでいう「武器」であり「防衛」ではないのだろうか。そしてその意識こそを心の武器にし、ほとばしる言葉を連ね、創作し、声にすること、これがソングライティングではないのかと考えた。抵抗や変革や友愛の術(すべ)は「言葉(詩)」で獲得しようとする精神、これが私たちの「武器」なのだ。
講演本編のおわりに佐野元春はこう締めくくった。
「すべては想像力。僕がいいたいのは、『夢見る力をもっと』ということです。」
言葉も、人生も、詩も、世界をより良く変革するのも、生存を意識することも、そう、すべては想像力なのである。私は、なんともいいようのない「実感」で心を満たされていた。詩人であれば、一遍の詩でも綴ってしまうかのような。
映像上映後、講演会の最後は聴講者たちからの質問の時間であった。私がもっとも印象的だった、佐野元春の言葉を取り上げたい。
「3月13日に発表した『それを希望と名づけよう』(注釈*1)は、完成された詩ではない。911の時もそうだったが、今回のような緊急時に、僕ら表現者は何をしなければいけないのか、とまず考える。現実にナイフを突きつけたい。どうにか理不尽な過酷な現実を凌駕したい。 正しいか正しくないかは考えていない。それが表現だと、アートだと僕は思う。」
私は、この佐野氏の考えにおおいに了解したい。私たちが2011年3月、未曾有の事態に巻き込まれたのは事実だ。悲しみのなか、手探りで手繰り寄せるものは、過去の言葉や過去の詩や過去の歌ではなかった。この過酷な事態について真っ向から投げられる「まなざし」ではなかったのか。
その「まなざし」とは、富のある人なら富であり、知識のある人なら知識であり、愛のある人なら愛情であり、医術のある人なら治癒という名の「まなざし」だ。
そして音楽と言葉を生業(なりわい)とする人なら、そのまなざしこそ、「詩」なのである。1週間後や1ヶ月後、ましてや1年後ではなく、すぐさまこの詩が発信されたことに、私は感謝せずにいられない。「正しいか正しくないかは」この瞬間には無意味な言葉だと今でも思っている。
講演後、言葉にならない手応えのようなものを、なにか言葉にしなければとずっと考えていた。ふと、配られたレポート用紙に眼をやるとこう書いてあった。
【夕学五十講/クラスター:感性と身体知を磨く】
なるほど。確かにこの日の講演は、「詩の書き方講座」でも「あなたでも2時間で詩人になれる方法教えます」でもなかった。私は、間違いなく奥にしまってあった感性と、きっと持っているであろう身体知を磨かれたのだ。
巻末にて関係者のみなさんと講演者・佐野元春氏に感謝します。
ありがとうございました。
(注釈*1)東日本大震災の2日後に佐野元春自身のファンオフィシャルサイトで発表された、彼の詩作。閲覧はhttp://www.moto.co.jp/hope/
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