KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2012年12月01日

死者は、その人を強く思う人がいることによって実在する  南直哉さん

「愛する人に会いたい。たとえその人が死んだ後でも...」
photo_instructor_637.jpgのサムネール画像この感覚は、洋の東西、時代の今昔を問わず、人間心理の本能のようなものらしい。
『古事記』のイザナギ・イザナミ神話では、子産みの只中に死んだ妻(イザナミ)を愛慕する夫(イザナギ)が黄泉の国を訪ねる。
ギリシャ神話のオルペウスは、毒蛇に噛まれて夭逝した花嫁エウリデュケを慕って、新郎のオルペウスが冥府の門を叩く物語である。
死者と出合う場として、日本で最も有名な場所、それが恐山であろう。
恐山院代を務める南直哉師によれば、東日本大震災の被災地(北は八戸、南は北茨城に至る一帯)は、恐山信仰の一大信者在住地であるという。
昨年は、地震の記憶も醒めやらぬ5月の開山と同時に、被災地から信者がやってきた。
夏には被災地ナンバーの車で、麓の駐車場は一杯になった。
彼らが語る話は、凄まじかったという。
多くの被災者は、眼前で家族が流されていくのを呆然と見つめるしかなかった。
「何で自分だけが生き残ってしまったのか」
誰もがこの思いを抱えている。
3.11の体験は、南直哉さんに、否、多くの日本人に「決定的な問い」を投げ掛けた。
「なぜ、あちら(被災地)はあれほど多くの方が亡くなり、こちら(自分)は無事なのか」
自分が無事でいること、生きていることに何の根拠もない。我々の生きている「生の土台」は、かくも脆く、はかないものであることを自覚せざるをえない。
自分もいつ同じような目にあうのかわからない感覚。
これを仏教は「無常」と呼んできた。
「自分もいつ同じような目にあうのかわからない」という感覚を共有できるのはなぜか。
人間は、感情・思考の根底で、このことを「知っていた」「当たり前のこと」として受け入れてきたからではないか。
南さんは、そう考える。
言い換えるならば、
「存在することの不安」
を知っていたからである。
人間は生まれてきた理由など知らない。なぜいま、ここで生きているのか、誰もわからない。「存在することの不安」を抱え続けて生きているのが人間である。
一方で、人間は意味や理由を欲しがる。それに応える宗教家、カウンセラー、商売とする人もいるのも事実である。
「私は違う」
南さんは厳然として言い放つ。


「存在の理由」が答えられないように、問いがあっても答えがないこともある。仮にあったとしても、いまは封じ込めておかねばならないこともある。
「存在することの不安」は、捨ててはいけない。死ぬことで逃れようとしてもいけない。
しっかりと胸に抱えて、七転八倒しつつも生き続けなければならない。
それが宗教家 南直哉さんの主張である。
答えの出ない問い(悲しみ)を抱え続けていれば、いつか問いの方から答えを出してくれることもある。
「死者に出合う」ことの意味があるとすれば、ここにある。
人間は他者に認知してもらうことで初めて実存を確かめられる。
「自分は存在する」という感覚を、いくら本人が持っていたとしても、透明人間のように、他者がその存在を認知してくれなければ、存在の確証を得ることが出来ない。
それと同じように、死者は、その人を強く思う人がいることによって実在する
そして、死者への「思い」とは、その人から受けた「こころの傷を痛む思い」でもありえるのだ。
人間は、時に不在になった人とも付き合うことがある。
人間は、死者とも出会い、関わり続けることがある。
津波で息子や娘を失った老父が死者を思う。
「なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか」
幼い頃に、いまは亡き母親の何気ないひと言に傷つき、ついにそれを消化できずに何十年も苦しんできた老女が死者を思う。
「おかあさん、あなたはなぜ、私にあんなことを言ったのか」
その時、死者は実在する。時に生きている人間よりも強いインパクトをもって...
死者との対話は、双方向ではない。
いくらこちらが思いを寄せても、声を掛けても、死者が応答してくれるかどうかはわからない。死者の方から、いつのときか、一方的に語りかけてくれるだけの関係である。
「希望とは、絶望が送り返してくれるもの。それを待てるかどうかだ」
南さんは、ひときわ大きな声で、そう喝破した。
その「いつのときか」を待って、人は毎年のように恐山を訪れる。
答えの出ない問い=悲しみを抱え続けていれば、いつか問いの方から答えを出してくれることもある。
そう信じて、人は死者に会いにくる。
南直哉さんの前回の夕学(2009年11月)の楽屋ブログも併せてご覧ください。
私」という困難

メルマガ
登録

メルマガ
登録