夕学レポート
2013年01月15日
「見立て」という学び 佐々木毅さん
私はどちらかといえば理屈っぽい人間である。
原理とか理念など抽象的な事柄をしつこく考え、議論するのが好きなタイプである。
MCCの創設に参画して12年、責任者という立場になって10年目を迎えようという今になってもなお、「大人の学びとは何か」などという青臭いテーマを考えてみたりする。
昨年の春、いつもの書店で『学ぶとはどういうことか』というタイトルの本を目にした。著者が高名な政治学者で、東大総長を務めた佐々木毅氏とあって、読まずにはいられない。
エッセイと言いながらも少し高尚な文体であったが、こころ惹かれる部分も多く、「この部分をもう少し掘り下げて聴いてみたい」という思いが実現して夕学にご登壇いただくことになった。
佐々木先生の「学び論」は大きく3つに分けられたように思う。
・「学び」という言葉の持つ多義的な意味を整理・分析した部分
・人はいったい何を「学ぶ」のかを整理し、あるべき学びの姿を提示した部分
・これからの時代に求められる新たな「学び」を示唆してくれた部分
の三つである。
・「学び」という言葉の持つ多義的な意味 = 四つの学び
学びは次の四段階に分けることができるという。
1)勉強すること
答えがある、手本があることに習熟すること。
高等学校までの教育はこの部分を請け負う
2)理解すること
答えがでるプロセスやロジックを知り、なるほどと納得すること。
大学の学びとはこれ。
ここまでは学校が舞台となる。この二つの「学び」を修了することをもって社会に出るが、学んだことがそのまま活かせるとは限らない。学びの効果性は時代に依存する。想定外変化の時代には、投資対効果の歩留まりが下がり続ける。
3)疑うこと
変化の激しい時代には、否応なしに、これまでの学びを疑うことが余儀なくされる。アンラーニングと呼ばれる学びのあり方である。
4)乗り越えること
疑うばかりでは前に進めない。自らの意思で山に登り、峠を越えなければならない。これもまた学びである。
後半二つの期間と長さが広がったのが現代の特徴になる。
人はいったい何を「学ぶ」のか 二つのあり方とそれを超克するもの
「人間は見たいものしか見えない」という名言を残したのはカエサルだというが、佐々木先生によれば、人は何を学ぶのかという問題もまったく同じ。
「人間は学ぼうと思うものを学ぶ」
これが、ひとつめのあり方である。
これは当たり前のようでいて、実は深い問題をはらむ。
何を学ぼうと思うかは、人によって異なるようでいて、実は驚くほど似てしまうから。
社会が安定すればするほど、学ぶべき事柄は社会的に共有され、人々はその枠組みの中で漂うに過ぎない。人間は、社会や時代という共通の色眼鏡をかけて学んでいる。何を学ぼうとするかが似通う所以である。
もうひとつのあり方は、その反作用である。
色眼鏡を振り払い、自分の目で真実を見定めようとする。自分を束縛するあらゆるものから逃れて「絶対自由の境地を目指そう」とすること。
これがもうひとつのあり方である。
佐々木先生は、両極にあるこの二つのあり方を踏まえたうえで、あえて第三の道を提示する。「可能性の束」というキーワードが使われた。
社会や時代という色眼鏡をかけた学びであろうが、絶対自由の境地を目指そうとする学びであろうが、正解や絶対を求めようとする点において同じではないか。必要なのは眼前に横たわる現実の多様性・複雑性を受け入れて、どれだけ多くの可能性を見いだせるかであり、「可能性の束」の中から、自らの意思と論理でもって選び取ることである。
それが第三のあり方である。
「可能性の束」として現実をつかまえることができるかどうか。つまり学びとは、現実との付き合い方・かかわり合い方の作法である。
現実に向き合い「これしかない」と進むべき道を狭く認識するのではなく、多様なものとして、選択肢を広げること、その中から選び取ることである。
・これからの時代に求められる新たな「学び」
「可能性の束」として現実をつかまえる際に必要になるのが三つめの論点、これからの時代に求められる新たな「学び」である。
佐々木先生は「見立て」の技法という表現をされた。
100%ではないこと、すべてが把握できない事であっても、急所をしっかりと掴んで、大きくははずさないこと。それが「見立て」である。
鷲田清一先生が
「ようわからんけどもこれは大事!という勘がはたらくか」
「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
と表現した「知的体力」と同じではないだろうか。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2011/07/post_452.html
では、どのようにして「見立て」を学べばよいのか。(ここからは、私見である)
世の中には「見立て」のプロと呼ばれる人達がいる。
骨董品店の店主、映画配給のプロデューサー、プロ野球のスカウト、ベンチャーキャピタリスト等々。
彼らは、どのようにして「見立て」を学んだのか。
聞いたわけではないが容易に想像できる。
それは、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し「見立て」た経験であろう。
「見立て」は見立てることでしか学べない。見立てて、失敗して、考えて、やり方を工夫する。
それが「見立て」を学ぶということではないだろうか。
いつだって、原理はシンプルである。
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