夕学レポート
2013年05月24日
いけばなは「移ろい」の芸術 笹岡隆甫さん
笹岡隆甫さんは、華道 未生流笹岡の血筋に生まれ、3歳から祖父の指導を受けてきた。小さな子供が、ままごとやプラモデルで遊ぶように、いけばなと親しんで育ったという。
二代目家元の祖父は母方にあたる。父親は数学者で、ご自身も建築学者を夢見て京大大学院まで進んでいる。根っからの理系人間でもある。
25歳で、天命に身を委ね、華道に専念することになったが、理系的思考はいまも健在である。「いけばな」とは何かを、分かりやすく論理的に説明することに長けている。
「なぜ」「いつから」「どういう経緯で」という、素人の素朴な疑問に丁寧に答えることができる。
日本文化の伝承者には、この手の質問が苦手の人が多いようだ
ものごころついた頃から、当たり前のようにやってきたことゆえに、理由など気にしたことがないからだろう。
「昔からそうやっているから…」という答え方が多くなる。
笹岡さんの特性は、日本の伝統文化の伝道者として、新しい時代に不可欠な能力だと思う。
笹岡さんは、「いけばな」について、実にいろいろな話をしてくれた。
皆さんには、是非ご著書『いけばな 知性を愛でる日本の美』(新潮新書)を読んで欲しい。
このブログでは、印象に残ったことをひとつだけ紹介したい。
いけばなは「移ろい」の芸術
「移ろい」とは時間の経過、プロセスのことである。
いけばなとよく似た西洋芸術にフラワーアレンジメントがある。この両者は同じ花の芸術であっても、拠って立つ考え方が違うようだ。
フラワーアレンジメントは、花が美しく見える最高の一瞬を、スナップショットとして切り取ったようなもの。瞬間の芸術とも言える。
いけばなは違う。
例えば、意図的に配置したつぼみが、いつどうやって開いていくのか、葉の色はどう変わっていくのか、その変化を見届けること。「移ろい」を愛でていく芸術である。
はかなく、もろく、だからこそ深みのある世界なのかもしれない。
未生流という流派は、「未だ生まれず」という言葉に由来している。生まれてくる前段階の花を見ることを重んじている。
「見えないものを見る」日本文化に共通するキーワードである。
「見えないものを見る」という知的営みは、深みがある一方で、伝わりにくさ、はかなさという欠点を併せ持つ。
ロジカルに伝えにくい、先入観にとらわれやすい。
日本人でさえ、日本文化の特徴は語れない。
外国人は、わずかな知識・経験のフレームに頼って理解しがちである。
だからこそ、笹岡さんのような方が大切だと思う。
暮らしの中に日本の伝統文化を埋め込んだ環境で生まれ育った。
数学者の父をもち、建築学者を志したこともあるというとびっきりの理系人間でもある。
日本文化を世界に語る、論理と表現力を持っている。
これから10年後、いや30年後、40年後が楽しみな若き華道家である。
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