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夕学レポート

2013年05月30日

困難を楽しむ 高島宏平さん

photo_instructor_667.jpg学歴エリート(東大生)ではあるけれど、勉強よりはお祭り好き、イベント好き。
みんなで集まってワイワイ騒ぎながら面白そうなこと、新しいことにチャレンジしたい。
世の中をどうこうしようという高邁な志はないけれど「世の中の役にたっている自分が好き!」という感情に素直。
1990年代後半の東大キャンパスに、高島宏平さんをリーダーとする、そんな仲間達が集まっていた。
好奇心と行動力旺盛な学生達が、サークル活動の延長で始めた学生ベンチャー。それがオイシックスの原点である。
2000年、3年間の実社会経験を積んだ高島達仲間が再び集まって、本格的なベンチャーを起ち上げた。
普通なら、学生時代特有の熱病は、瘧(おこり)のように冷めていくものだが、高島さん達の仲間は違った。根っからのベンチャー向き人間が集まっていたのかもしれない。
サークルの会議ように、ワイワイ・ガヤガヤと議論しながら考えたビジネスプランは、およそ彼らのバックボーンとは縁遠い「有機野菜のネット通販ビジネス」であった。


時はネットバブルの全盛時、渋谷ビットバレーに集った多くのITベンチャーが、ITそのものを事業ドメインにしていたのに対して、食品流通しかも有機野菜という極めてニッチな領域を選び取ったあたりが、ただ者ではない。
私は、12年前インスパイア社を起ち上げたばかりの成毛眞氏が夕学に登壇された時に言った言葉をよく憶えている。
「ITが産み出す効用は、ITと縁遠い世界(事業)でこそ効果が大きい」
有機野菜の食品流通というのは、まさにそういう世界であった。
プレイヤー数が過剰に多い流通構造で、非効率に満ちていた。
「農業を守りたい」という生産者の理念が強く出過ぎていて、消費者がそれに合わせている現状であった。(理解してくれる消費者だけを相手にしている)
しかも食の安全、健康に対しての不安感と現時点の解決策への不満が増加していた。
時代のニーズ、社会のニーズに乗っている。
また、当時はライバルがいなかった(後に続々と登場してきたけれども)
ところが、頭で考えるように現実は上手くはいかなかった。
食材を仕入れるのも、売るのも、さらには資本を集めるのも困難の連続であったようだ。
ただ、高島さんと仲間達には、その苦労を楽しもうという天性の明るさがあった。その一方で、山積する眼前の問題をひとつひとつ、コツコツと解決していける粘り強さもあった。
「困難を楽しむ」というマインドセットは、ベンチャーを成功に導く絶対的な条件のような気がする。
高島さんが語ってくれた「Oisixをやってみて気付いたこと」という話は印象深かった。
・食品というのは、たとえ数百円であっても、喜びや怒りが激しく表出する。
だから、人間のリアルな感情を理解することが出来た。
・お客さんが語る喜びの表現に「家族」という共通項がある。
「子供がおかわりした」「ダンナが褒めてくれた」といった表現が必ず出てくる。
・生産者と消費者の間で情報が断絶しており、互いのことがわかっていない。
職人肌の生産者ほど、消費者の声を聞こうとしない。
・「美味しい」という基準定義が曖昧である。
農家は決まって、「オレの○○は日本一だ」という。しかし、他の味を知っている人は少ない。だから、お客様の「美味しい」を一番集めた人を表彰する「農家オブザイヤー」を始めた。
生産者と消費者のマッチングが上手くいった時も、失敗した時も、そこには生身の「感情」が溢れ出す。けっして「理性」や「規範」ではない。
「感情」に素直に向き合い、理屈やあるべき論に逃げ込まずに、問題解決をしてきたこと、それがオイシックス社成功のKFSのようだ。

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