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夕学レポート

2013年10月11日

「会所」という学習の場 桝野俊明さん

photo_instructor_688.jpg住職、作庭デザイナー、造園設計会社の経営、美大教授、文筆家。5つの仕事・役割を兼ねる桝野俊明氏。その活動の中心には「禅」がある。
桝野先生によれば、「禅」は日本的なるもの、特に中世以降の日本文化、に多大な影響を与えた思想であるとのこと。その影響力は日本古来の「カミ観念」以上といってよいだろう。
大人の学びをプロデュースすることを生業とする立場からみると、中世社会の学習システムを駆動させるエンジンのような役割を担っていたようだ。
禅というのは、「本来の自己」と出会うことだ、桝野先生はいう。
自己の内面世界を深く見つめ、自分の中にある真理をつかみ取ることだ。禅ではそれを「悟り」と呼ぶ。
何かをつかみ取った時、真理に気づいた時、人間はそれを他の人々に表現したくなる。目には見えないものを形に置き換えて表したくなる。
禅僧も同じであった。
絵が上手い人間は悟りの瞬間を絵に描いた。
文学的素養がある人は書に表した。
立体的な芸術に秀でた人は庭を造った。
雪舟(水墨画)夢窓疎石(作庭)も、そういう禅僧達のひとりであった。
自分のつかみ取ったものを他の人に表現したいと考えた禅僧達は、おのずと集まりサロンのような場ができていった。禅ではそれを「会所」と呼んだ。
彼らは、それぞれの表現を見せ合い、重ね合わせ、溶け込ませながら、静かな議論に花を咲かせたに違いない。
言い方は悪いけれど、「会所」というのは、表現欲求に突き動かされた禅僧達が作った知的梁山泊のような場所だったのかもしれない。私が思うには、これは素晴らしき「学習の場」である。
やがて「会所」には禅僧のみならず、武士や文化人も顔を出すようになった。
桝野先生が「一休文化学校」と呼ぶ、大徳寺の一休禅師のもとには、連歌の飯尾宗祇能の金春禅竹茶の湯の村田珠光が集い、禅の思想をそれぞれの表現芸術に移し替えていった。
俳諧、能、生け花、茶道、枯山水の庭、水墨画...この時代以降に完成をみた日本文化の多くは、禅の思想を根本の支えとしている。


では、禅の思想とは何か。
桝野先生は芸術家らしく「禅の美」の特徴として、次の七つを列挙してくれた。
「不均斉」「非対称」「不完全」
いうならば意図的に隙間、空間、空白、未完成部分を残すことで、人間が入り込む余地を残すことだろうか。
「簡素」
枯山水の庭には、石と砂利しかない。たったふたつの素材で宇宙を表現する。
松岡正剛氏が「梳いて、漉いて、鋤いて、最後に残ったもの」と表現する世界観である。
「枯高」
長い雨風、雪霜に耐え、枯れてもなお立残る一本の大木が放つ存在感のようなもの。
「自然(じねん)」
自然とは「自ずから然(しか)り」の意味。意図や作為を超越した天の意思を尊ぶ。
「幽玄」
世阿弥が「秘すれば花」と言い射たように、全部をみせない。おぼろげであることにこだわる。
「脱俗」
物事にこだわらない。執着しない。こだわらないことで手に入る自由奔放な世界を大切にする。
「静寂」
限りない静けさの中で、鳥のさえずり、枝葉の揺れ音に耳を済ます。
「禅の美」が作りなす世界観に対する強い関心は、海外の人々に広がっている。
スティーブ・ジョブズが禅に傾倒していたことはよく知られているが、桝野先生のもとにも、海外からの作庭依頼が数多く寄せられるという。
彼らが心惹かれているのは、かつては日本のそこかしこにあり、残念ながらいまは忘れられつつある「もうひとつの豊かさ」である。
物質と金銭では手に入らない「こころの豊かさ」である。
欲望に対して抑制的で、勤勉、真面目、質素倹約を美徳とした日本人の心性である。
禅を知ることは日本を知ることでもある。

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