KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2014年01月14日

教養とは感じること、楽しむこと 川上さん・マリンバ奏者 塚越さん・声楽家 田幸さん

shinji_kawakami.jpgnoriko_tsukagoshi.jpgtiasa_takou.jpg
人材コンサルタントでご自身フルート演奏も楽しまれている川上真史先生。
世界トップのマリンバ奏者である、塚越(つかごし)慎子さん。
声楽家でフリーアナウンサーの、田幸(たこう)知有紗さん。
教養について、皆さんで考えてみましょう。それが今日のテーマでした。
ぜいたくにもお3方にご登壇いただいて。マリンバ、歌、フルートの演奏と解説つきで。音楽を例に。
教養とはなんでしょうか。グローバルで活躍できる人材に求められる教養、自分を魅力づけられる教養、教養とはなんでしょうか。
その前に教養にかんする誤解を解いておきましょうか。講演は冒頭、川上先生のミニ講義で始まりました。
皆さん、教養という言葉を聞いて、どんなことを思われますか。本を読むこと、いろいろなことを詳しく知っていること、知っているほど偉い、そんなふうに捉えてはいませんか。でもそれは勘違いです。どきり、としました。勘違いしていました私も。
あなたは、クラシック音楽はお好きですか、そう問われたらどう感じますか。クラシック音楽は背筋をぴんと伸ばして、かしこまって聴くもの、それがふさわしいもの、と思い込んではいませんか。残念ながら教育でそうすりこまれてしまってもいるようです。でもそれは間違いです。そうだなあ、思い当たりました私も。
教養とはなんでしょうか。感じてみましょう、体験してみましょう、楽しんでみましょう。今回の演奏つき講演会は、そんな川上先生と演奏家の皆さんからのメッセージでもありました。
守りの教養・攻めの教養
感覚、情動、感情


いくつかあった話題のなかから2つ、私の特に印象に残ったことを紹介したいと思います。
守りの教養・攻めの教養
教養は、「攻めの教養」と「守りの教養」に、大きく領域で分けられます。
「守りの教養」とは、たとえば歴史、宗教、政治のこと。自国のこと、相手国のこと。内容は実に、多様。積極的に話題にする必要はないけれど、知っていたほうがよし、知っているべきであるし、知らないと失敗やリスクのある教養といえます。
「攻めの教養」とは、たとえば科学、スポーツ、芸術(文学、美術、音楽)のこと。生き生きと生活していくために、また、魅力ある個人となるために、プラスになる教養です。
こちらは世界共通です。美しいものは美しい。とはよく言いますね。感じ方や好みの差の個人差は当然ありますが、言語や民族や背景が違っても不思議と共有できる感じ方やイメージもあるものです。講演では音階を例にご紹介いただきました。
とすると「守りの教養」は、自身とかかわりのあることについて、自国について、知っていたい教養といえましょう。「攻めの教養」は、なんでもひととおりとか、なんでも深く徹底的に、ではなくてよいけれど、何かしらあったほうが楽しいですし、魅力ある個人となるためのコツ、ですね。
感覚、情動、感情
難しくてかしこまったもの、眠くなる肩のこるもの、そんな思い込みから解放されてクラシック音楽を楽しむコツが、後半の話題でした。たとえばなぜ眠くなるのか?指揮者は必要なのか?お腹から声を出すことはできるのか?なるほど、でした。ここでは私が印象にのこった感覚、情動、感情から振り返り、ご紹介したいと思います。
塚越さんがマリンバで、「さくらさくら」やバッハの「無伴奏パルティータ第2番シャコンヌ」を演奏してくださいました。音色を聴きました。振動を感じました。短い時間ながら音楽を静かに味わったひとときでした。このプロセスが感覚、情動、感情でした。
マリンバの本格的な演奏を、生で、それも間近で、聴いたのが、私は今回がはじめてでした。
演奏前からとても楽しみで、ステージをずっと見入ってしまいました。
塚越さんの凛とした立ち姿。
パイプと音盤からなるけっこう大きな楽器と華奢な姿の対比もきれい。
マレット(撥)を華麗にさばく手首はなんてしなやか。
やわらかく深く甘い音、太鼓そのものの力強い音、きらきらした粒のトレモロ。
やわらかさと強さ、強弱、幅広くて、予想していたよりもカラフルな感じでした。
懐の深い楽器なんだな、と思いました。
パイプの共鳴とリズムが振動となり、壁や天上に伝わって返ってきました。
会場の皆さんと緊張感を共有しているのも感じました。
肌に、感じました。感覚を集中させてし、聴き入りました。
世界トップの実力である塚越さんの演奏が、見事であったのはもちろん、マリンバという楽器に私は衝撃を受けました。
響きに、なんて立体感があるんだろう。ソロで歌うことも、他パートを引き立て伴奏することも、オーケストラに変容することもできる、なんて器用な楽器なんだろう。懐の深い楽器だ、と思いました。特にシャコンヌは衝撃的でした。ヴァイオリン演奏で親しまれる、重層感のある曲ですがその方向性が弦とはまったく違うのです。こんなシャコンヌがあるのか、と思いました。長くなりましたが感想です。
感覚を集中させて演奏に聴き入ったのが、感覚です。感覚器官を通して状況を観察し正確にとらえることです。ひらめきを意味する直感と混同されることが多いのですが、正確性や事実性を問えることにおいて、感覚と直感はむしろ対にあります。
演奏を聴いて体の内で動くもの、感じたものが情動です。ある事象を経験して発生するものです。
この情動をきっかけに、経験や紐づけられた感情が奮起されて、二次的に起こるのが感情です。情動には方向性はなく、感じたものを方向づけるのが感情です。
感情には正解はありません。どんな感想をもつかは自由です。どんなところを美しいと感じるか。どんなところが自分は好きか。他の音や楽器や演奏など他と比べてどう思うか。リズムのあり方、作曲家の個性、理屈っぽくなることも含めて。自分なりの楽しみ方、が感情。
これらはお話と解説の一部ながら、また田幸さんの歌やお3方のアンサンブル演奏も楽しませていただいたのですが、ここではエッセンスだなと私が特に感じたこの部分をご紹介させていただきました。
教養とはなにか
川上先生、塚越さん、田幸さんのメッセージでもありました。教養とは何か。
・教養とは、何かの目的を達成するためではなく、より深く知ることそのもの、が目的なのです。
・教養とは、興味・関心に基づくものです。知っていることが本人も周囲も楽しいのです。
・高いレベルではなくても十分によいし十分に楽しいのが教養です。プロフェッショナルではないのですから。ただ、知識として記憶し理解しているレベルから、その知識について自分の思いや解釈を加えて解説できるところに、一歩、高めることができると。もっともっと楽しいのです。
・自分の感情に、素直になりましょう。感覚で楽しんで、情動で楽しんで、自分の感情に素直になって、楽しみましょう。
今日は、音楽を例に。そして、川上先生はご自身のフルートを例に。
プロのフルート奏者ではないけれどその音色を披露できるほどに本格的に演奏でき、演奏を続けられていて、そして何より、楽しまれていることがわかりました。音楽に関する知識をお持ちであるだけではなく、ご自身の思いや解釈を交え、専門の心理学や人材育成とも関連させて、解説しお話くださいました。川上先生のフルートはまさに教養とはなにか、その例でした。
今日は音楽を例でした。自分にとっての攻めの教養、自身の魅力となる教養は何かしら。もっともっと知って、もっともっと感じて、自分なりに感じて、もっともっと教養を楽しもう。私もそう、思いました。
(お話と素晴らしい演奏を披露くださった、塚越さん、田幸さん、川上先生ありがとうございました!)
(湯川真理)

メルマガ
登録

メルマガ
登録