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夕学レポート

2014年02月01日

日本人は多元的である  篠田謙一さん

西洋文明に絶望し、親友ゴッホとも断絶した失意の画家ゴーギャンが、最後の楽園タヒチに移り住んだのは1891年のことである。
ゴーギャンはそこで畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。
photo_instructor_685.jpg篠田謙一先生に話を伺うと、ゴーギャンの発問に対する答えは、DNA解析によって科学的に解明されてきたようだ。
私たち人類(ホモ・サピエンス)は、いつ頃、どこで生まれ、どんな旅を経て、いまに至ったのか。おおよその旅路が分かってきた。
<ホモサピエンス世界拡散の図>
世界拡散.png
20万年前に東アフリカ(エチオピア辺り)で誕生した私たちの先祖は、6万年前にアフリカの大地を旅立った。最初に出発した集団は150人程度という見積りまで出されているというから驚きだ。
人類はやがて、4万年前には欧州、日本列島へ、1.5万年前にアメリカ大陸の南端へ 1000年~800年前には、ハワイ、ニュージーランドへと辿り着いて、現在にいたっている。
ゴーギャンが訪れたタヒチは、人類の旅の終焉地でもある。旅を逆から辿ろうとしたならば、彼は的確な選択をしたと言えるのかもしれない。
さて、篠田先生によれば、遺伝子コードを分析することにより解明された先祖を共有する集団グループを「ハプログループ」というらしい。
世界には、約100のハプログループがあるという。
日本人の遺伝子コードを分析すると、20近くのハプログループが存在していることがわかった。なんと日本人は世界でもっとも多元的な構造だったのだ。
アフリカ、中東地域を経て、海洋アジア沿岸を通って南から波状的にやってきた集団。
中東から中央アジアへ移り、モンゴルから中国東北部を経由して、北から渡ってきた集団。
それらが縄文以前の原日本人を構成していた。
3000年前に、中国南部で生まれた稲作技術を携えて、朝鮮半島をへて渡来した弥生人の集団が加わった。彼らは列島中に広がり日本人のマジョリティとなった。
やがて、オホーツク沿岸部から海獣を追って辿り着いた小さな集団が北海道から東北北部に住み着いた。
これらの移動が、一度ではなく、何度も波状的に発生し、列島内で交配して出来上がったのが日本人である。
日本文化を語る時に、その地理的特性が指摘される。
ユーラシア大陸の東端で、島国。東西の文化がそこに集積され、発酵して出来上がったのが日本文化である。複雑かつ豊潤な所以である。
日本人はDNA的にも、その多様性が確認されたということだ。
日本人は単一民族、同質集団、閉鎖的社会等々。
それらはすべて後天的な環境要因であって、生来的な特質ではない。
日本人は先天的には、多元的で多様な存在である。
篠田先生は言う。
「日本、韓国、中国東北部は、遺伝子的に極めて近い関係にある」
ホモサピエンス20万年の歴史からみれば、ほんのわずか前に分かれた近しい親戚筋である。
同じ遺伝子をもち、DNA的には親戚関係である東アジアの人々が、温暖化で海面が100Mも上昇すれば消えてしまう小さな島嶼を巡って争うことの、なんと小さなことか。
いま、私たち(日本人、中国人、韓国人)に必要なのは、DNA的世界観を共有することではないか。

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