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夕学レポート

2014年07月04日

組織と個人の見えざる約束  服部泰宏さん

いわゆる「日本的経営」と言われる概念を言語化したのは、実は日本人ではない。
半世紀以上前に、米国の経営学者ジェームズ・アベグレンが『日本の経営』で分析してみせたのがその嚆矢だと言われている。
アベグレンは、戦後の日本企業の発展の理由を分析するうちに、日本企業と従業員の間に明文化した文書こそないが、互いに相手を信じて懸命に守ろうとしている「書かれざる約束」があることに気づいた。
彼は、その約束を「Life Long Commitment」と呼び日本的経営の中心概念に据えたという。
『日本の経営』の訳者占部都美氏(当時神戸大学教授)が「Life Long Commitment」を終身雇用と訳したことから、アベグレンは終身雇用という言葉の産みの親と言われている。
photo_instructor_717.jpg今夜の夕学講演者服部泰宏氏は、アベグレンの着眼点を占部氏とは異なる意味合いで理解しようとしている。経営学の泰斗で同門の大師匠にモノ申さんとする心意気やよし。これからの活躍が期待されるライジングスターである。
さて、服部先生が言わんとするのは、アベグレンが指摘したのは雇用形態ではなく、組織と個人が「書かれざる約束」に基づいて形成している関係性のことではないか、というものである。
「組織と個人の関係性」それが、服部先生の研究テーマである。


1990年代から2000年代初頭にかけて、日本企業の人事制度は大きな転換点を迎えた。
日本企業はアメリカ型の短期契約・業績主義へと変わるのではないかという喧伝が派手になされたが、そうはならなかった。
日本企業が選択したのは、長期雇用を守りつつ、業績評価・フラット化をすすめるという独自の道であった。
この変化を受けて、ハード(人事制度、組織形態)とソフト(社員の意識、行動)も変わらねばならないとされ、人事コンサルや社員研修もここにフォーカスされてきた。
成果主義人事制度の導入しかり、個人主導のキャリア開発しかり。
しかしながら、服部先生は、ここにすっぽり抜け落ちたミッシングリンクがあるという。
「組織と個人の関係」=「書かれざる約束」がどう変わるのかという視点である。
かつての「組織と個人の関係」は、“両者が強く結びつく”関係であった。それが双方のメリットがあった。また社会通念もそれを前提としていた。
会社は社員の一生に責任を持つことが基本、社員は一度入った会社で一生懸命がんばるのが理想、そういう社会がよい社会、というものであった。
しかもこの”両者が強く結びつく”関係は、明文化された約束どころか、無意識な価値前提のようなものであった。
服部先生はこれを、見えざる約束=「心理的契約」と呼ぶ。
「心理的契約」の中身だって、変わらねばならないのではないか。
「心理的契約」を結んでいるという認識そのものを、意識化しなければならないのではないか。

それが服部先生の指摘である。
「心理的契約」というのは、ある意味で当事者の思い込みである。そうなって欲しいという期待のバイアスがかかっている。個人は組織のメッセージを自分なりに解釈することで
契約を成立させているといえる。
もしこの解釈にズレが生じたとしたら、しかもそのズレが次第に大きくなっていったとしたら、どうなるか。
両者の信頼関係は少しずつ失われ「見えざる劣化現象」に陥る危険性がある。
これはかつて、守島基博氏が「組織の寒冷化」と名付けた現象とよく似ている。
日本が変われば社会も変わる。社会通念も変わる。会社も変われば、個人の意識も変わる。見えざる約束=「心理的契約」の解釈も変わって当然である。
だからこそ、常に修正と合意を繰り返して、アジャストする行為が双方にとって必要になる。「心理的契約」に敏感になることが求められている。
そのための鍵を握るのは、人事部門とマネジャーである。
社員は人事の発するメッセージややり方、マネジャーの言動に組織の意図を嗅ぎ取る。人事とマネジャーは、個人から見れば「心理的契約」の会社側インターフェースなのだ。
一方で、人事部やマネジャーは、社員の期待や心理の変化、「心理的契約」における解釈のズレをいち早く把握して、適切な手を打つことが求められる。
溝を小さいうちに埋める、火を小さいうちに消し止める。その当事者は、人事とマネジャーしか務まらない。
西洋が契約社会だと言われるが、契約という概念の根底には宗教がある。
キリスト教社会は数千年に渡って「神との契約」を個人に意識させてきた。見えざる契約に敏感であった。
私達に必要なのは、この感覚ではないだろうか。
スパッと綺麗な答えが出るわけではないけれど、その曖昧さも含めて丸ごと受け止めて、なお行く先に希望や可能性を抱きつつ考え、歩きつづけることしかない。

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