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夕学レポート

2015年04月16日

辺境(偏狭)のない生き方

photo_instructor_778.jpg私は『テルマエ・ロマエ』を読んでいない。映画も観ていない。
ヤマザキマリさんについては、なんの知識もないままで今回の講演を聴いた。
イタリア在住。テレビでもコメンテーターとしてご活躍中というので、もっと近寄りがたい感じの人かと思っていたが、壇上に現れたヤマザキさんは普段着だった。
一目で好感が持て、その講演内容も期待を裏切らない素晴らしいものであった。
本日の講演の主題は「辺境のない生き方」である。
シリア、イタリア、ポルトガル、アメリカなど様々な国で暮らしてきたヤマザキさんが語った内容の前半は「辺境のない=ボーダーレス」、後半は「偏狭のない=(世間の目という)狭苦しさのない」という意味で私は受け止めた。
ヤマザキさんの生い立ちや、『テルマエ・ロマエ』の話も非常に興味深く、楽しく聴かせてもらったが、それは他の場所にも書いてあるので、ここは後半の「偏狭のなさ」について自分が考えたことを交えながら書いていこうと思う。


「私たちが生きている世界では万国共通の常識など無い。国が変われば、価値観が変わる」
とヤマザキさんは言う。
ギリシアでは哲学。
ユダヤでは宗教。
古代ローマは神と法律。
と、国によって人間が進んで行くスタイルも違う。
日本は規制が無く、一瞬は大らかな民主主義国家に見えるが、イスラムや中国に引けをとらない縛りの中で生きているのではないかと、様々な国を見てきたヤマザキさんは問う。
その日本人が縛っているものとは何か。
世間の目である。
長いものに巻かれることで、物事を考えることを放棄しているのではないかと危惧している。
陸続きの国で、侵略されながら生きている人たちは個人主義で、自分と他人は別という考えがある。そこには、世間の目はない。
イタリア人というと、私たちは「明るく大らか」という勝手なイメージを持つが、ヤマザキさん曰く、非常に猜疑心の強い国民である。
メディアの言うことを鵜呑みにせず、常に自分の頭で考える。テレビの前でニュース番組に話し掛けている光景は当たり前だ。
私自身は、世間の目はほぼ気にならない。外に出かける時に、ズボンの前がちゃんと閉まっているか確認するぐらいである。
最近ではキチガイだと思われてもいいや、と思っている。
しかし、まわりには、ヤマザキさんの言う「世間の目を気にし、自分の頭で考えることを放棄している人」が多くいる。
そして、彼らは意外にも頑固だ。
一見、自分の考えをはっきり持っている人のほうが頑固そうだが違うのだ。
「自分の考え」というのは、自然に発生して浮かぶということはない。
言葉を覚えるように、人の考えを取り入れたり、排除したりしながら「自分の考え」が出来ていく。
その点で、「自分の考え」がある人は、非常に柔軟な頭を持ちながらも、様々な考えを取り入れ、疑問を持つという広い考え方が出来る人「辺境のない」人たちだなと、ヤマザキさんの言葉を聴きながら考えた。
他にも、規制が無い分、行動基準が「常に自分に原因がある」という考える日本人が多い。
「世間の目」とは少しずれるが、偏狭に関連することなので考えてみた。
何か起きた時に、明らかに相手がおかしい場合でも「信じた自分が悪い」とか「自分さえ我慢すれば」という考え方をする人がいる。
「自分で自分を規制すること」をまるで美徳のように考えているが、一見正しく見えるこの考え方も、違うのではと私は思っている。
様々な選択肢を考えることも、自分を主張して相手と争うことをも放棄していると感じるのだ。
そして、仲間と集まって愚痴を言い、自分を慰めているケースをよく見かける。
文句を言うことで、相手を崖から突き落とし、自分は高いところから見下ろしている。何の解決にもならないことが、偏狭に感じるのだ。
自分の考えを主張すると、傷つくこともあるし、恥をかくこともある。
しかし、「年齢を重ねることによって、知性も経験も成熟させること」が大事とヤマザキさんは言う。
現在は『スティーブ・ジョブズ』を連載中だ。彼の自伝的漫画である。
最初に依頼されたときは、人として共感を持てずに断ったが、息子さんの「お母さんはスティーブ・ジョブズのことをちゃんと理解してない」という一言で、改めて彼の自伝を読んでみたという。
今ではジョブズの虜だ。
彼も初めは認められない人であった。
しかし、認められない人を認めることで、少しずつの歩みにはなるが国民性が変わっていくとヤマザキさんは確信している。
なぜなら、それは古代ローマの時代で実証済みだからだ。
まさに「全ての道はローマに通ず」。
ヤマザキさんの言葉は、一つ一つ非常に説得力があった。
上っ面だけの人生論を話す有名人もいる。
その人たちは、必ずどこかで聞いた言葉を繰り返し話し、聴いているこちらとしては「またかよ」とうんざりするのだ。
しかし、ヤマザキさんの言葉は「辺境のない生き方」をしているご自身の言葉になっていた。
故に、今回の講演を聴いた私も刺激され、考えることが出来た。
会場で聴いていた人々にも、強く響いたと思う。
これからも、ヤマザキマリさんの言葉で「辺境のない生き方」を語り続けて欲しいと思った。

ほり屋飯盛
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