夕学レポート
2016年01月25日
木村 幹教授に聴く、日韓の『越えていく』という在り方
日韓国交正常化50周年の記念すべき年も終わろうとしていた2015年12月、日韓両国政府は、長年の懸案であった従軍慰安婦問題で「最終的かつ不可逆的」な合意に達した。
「まさに現在進行形の話」と木村 幹教授自身が言うように、日韓関係が新たなステージを迎えたタイミングでの講演だった。
但し、表層の報道を追うだけでは、この日の演題である『日韓は歴史認識問題を越えられるのか』という問いへの正確な答えは得られない。あるいは、その問いかけが妥当なものかどうか、という疑問への答えも。
そして木村教授は、時計の針を少しだけ戻したところから話を始めた。
2005年、日韓関係は、小泉純一郎首相と廬武鉉大統領という二人の「特異な」指導者の間で悪化の途にあった。だが二人を取り巻く人々の間には、今よりもまだ「期待感」があった。
- 保守派「韓国に保守政権ができれば状況は元に戻る」
- 進歩派「両国間の交流は活発化しており長期的には改善に向かう」
- 韓国側「日本の良心的な政治家が政権を握れば問題は解決する」
しかし続く十年の間に、双方の期待は悉く裏切られた。両国とも政権が交代しながら関係は改善せず、交流は拡大しながらも両国の世論感情はむしろ悪化した。
そんな中で、しかもタカ派と目された安倍政権のもとで、日韓は慰安婦問題に関する合意に至った。
その背景を、木村教授は、学者らしい冷静な分析のもとに説明する。
「日韓はずっと揉め続けているわけではない。韓国内で慰安婦問題が報道されるようになったのは1990年代になってからのこと。もちろん元慰安婦の女性はそれ以前からずっと存在していたし、竹島もずっとそこにあった。しかしそれらは、両国間の問題になったり、ならなかったりした」。
木村教授は、日韓関係を構造的に変化させた要因が、よく挙げられるような「日本の右傾化」「歴史教育の変化」「日本の経済的低迷」あるいは「韓国の反日教育」によるものではないことを論証した。その上で、両国関係を規定するものが日韓の「外」にあることを示唆した。
論証のために持ち出されたのは、いくつかの貿易統計値であった。
「冷戦時代、韓国の貿易相手は日米が4割ずつで計8割を占め、中国はゼロだった。しかし直近では、日米は合わせて2割に減少している。その分を中国が取って代わったのかと言えば、中国も2割に過ぎない。過半は、日米中以外の国。韓国に限らず、グローバル化が進展すれば隣国の重要性は相対的に低下する。韓国が無条件に日本を重要としていた時代は過去のものであり、もう二度と来ない」。
スクリーンには、「歴史認識問題の紛争モデル」というグラフが示された。
横軸に時間、縦軸に重要性をとったこのグラフの上では、右下がりの直線と波打つ曲線が交わっている。
「領土問題や歴史認識問題の重要性は一貫して漸減している(直線)。一方、日本の重要性は時代により大きく上下する(曲線)。後者が前者より低位にある時、つまり日本の重要性が低下したときに、隠れていた紛争が噴出する」。
しかし、日韓関係のほんとうの背景を読み解くには、日韓だけを見ていては足りない。
改めて目を向けるべきは米国と中国、とりわけ韓国にとっての中国の存在感である。
朴槿恵政権発足時に韓国外交部が発信した外交政策方針文書。そこでは、米国と中国が意図的に同量で記述され、かつ中国に対し否定的な言辞は入っていない。一方、日本に関する記述は米中の半分であり、冒頭から歴史問題への厳しい姿勢が表明されている。
韓国にとっての中国。
まず、韓国の貿易依存度がGDP比で約100%であることを知らねばならない(約30%の日本とは大きく事情が異なる)。そして対中貿易額はGDP比で17.5%を占め、対日6.3%の3倍近い。つまり「貿易が日本の3倍重要な韓国で、日本より3倍大きい貿易相手が中国」なのである。重要でないわけがない。
そして、中国に対峙する米国。
米国が懸念するのは言わずもがな、この地域の覇権を窺おうとする中国の動きである。
軍事的には、一定の海洋軍事力を持つ日本との関係がより重要であり、韓国に期待するものはない。日韓の対米姿勢の差はここに顕在化する。即ち、米国内のソフトライナーたる外交部門の声しか聞こえてこない韓国と、ハードライナーたる軍事部門の声も良く伝わってくる日本とでは、米国の対中戦略への理解はおのずと異なってくる。
いずれにしろ日韓政府は、両国関係の悪化がこの地域の安全保障に悪影響を及ぼさないことを態度で示せという、米国からの大きなプレッシャーを感じていた。それが日韓をして、今回の慰安婦問題を合意へと導いた、最も大きな要因であったといえよう。
ところで、合意内容を見ると、韓国政府の大きな譲歩が目に付く。日本政府に法的賠償を求めない一方で、元慰安婦への対応など具体的な解決策の負担をほぼ引き受けている。日本側からすれば河野談話のラインまで認識を戻しただけ。専門家も、いや専門家ほど驚いたのが今回の合意だったという。それだけ韓国のほうがプレッシャーを強く感じていたということ、言い換えれば最近の韓国の対中接近姿勢に米国が不満を持っていたということだろう。
そしてもちろん、先述の通り、韓国は中国にも配慮せざるを得ない。防衛ミサイルTHAADの配備問題にしろ、AIIBとTPPへの参加・不参加問題にしろ、韓国は米中の間で難しい舵取りを強いられている。
ここまで詳細に解き明かしたところで、さて、と木村教授は「そもそも」論を始めた。
「今回の合意について、韓国世論の過半数は『破棄すべき』と言いながら、大統領支持率はさほど低下していない。また日本の側も、一部妥協を強いられたこの合意を、易々と受け入れている。
こうして見ると歴史認識問題は、日本にとっても韓国にとっても、それほどこだわりのある問題ではなかったのではないか。将来の日韓関係が重要だから合意した、のではなく、日韓関係の重要性が相対的に低下してきているからこそ合意できたのではないか」。
質疑応答の時間、更なる関係改善の処方箋を求める会場の問い掛けに、教授は次のように答えた。
「『お互いが相手を好きになり、歴史認識も共有する』。それができれば理想的かも知れない。が、それはほんとうに必要なことなのでしょうか。
例えば熟年夫婦であれば、必要なのは新婚時代のような情熱的な愛情ではなく、お互いを赦す度量であったり、そのためのささやかな努力であったりします(体験的に言って)。
どうも我々は、韓国や中国との間に、高すぎるハードルを課しているのではないでしょうか。
独仏だってナポレオン時代の歴史認識まで共有しているわけではない。
理想とは異なる、現実的な落としどころが、日韓の間にもあるのではないでしょうか」。
韓国(や中国)を「好き/嫌い」というところから入ると、ほんとうのところが見えなくなる。思想信条主義主張を問わず、自分のイイタイことやキキタイことが先にありきでいる限り、国家間の関係という、ただでさえ掴み難いものを正確に把握することはできない。
『解決する』でも『押し付ける』でもなく、ただ『越えていく』という在り方。
冷静な分析に基づく日韓関係の妥当な見方を示していただいたと同時に、主観や期待を排して見えない関係性を正しく捉えることの大切さをも教えていただいた、木村教授による、静かで熱い二時間であった。
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