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夕学レポート

2016年05月12日

不自由なようで、本当は自由な言葉たち 東直子さん

photo_instructor_830.jpg五七五七七の三十一語で表現しなくてはいけない短歌といえば、私のようなど素人からしたら、とっても窮屈で不自由そうである。
しかし、今回、東直子さんにお話しいただくテーマは「こんなに自由な言葉たち」である。短歌のなかの自由っていったい何なのだろう?はてな、と講演がはじまる前から、「短歌のなかの自由さ」というものが気になっていた。
一人一枚ずつレジュメが配られ、プロが詠んだ短歌の穴埋めや下の句を選択する問題を解き、それに対して東さんがコメントする形式で講演は進められた。


まずは今回、実際に出題された問題を考えてもらいたい。
問 歌人の作った短歌作品を予想してください
a ゆうぞらに無音飛行機うかびおりどこか遠くへ行ってみたいな
b ゆうぞらに無音飛行機うかびおり白いチョークのまっすぐな線
c ゆうぞらに無音飛行機うかびおり泣いてすずしくなりしか人は
一つは歌人の吉川宏志さんが詠んだ短歌であるが、他の二つは東さんが教える早稲田大学の学生が考えたものだそうだ。
正解はcであり、答えを知るとやっぱりプロのものは洗練されているな、なんて思ってしまうのだが、aもbも風景が目に浮かぶようでなかなかいい。他の参加者たちの答えも偏ることなく割れていたので、読む人の感性なのかな、とまずそこで短歌の自由度を感じた。
東さんから教わった短歌の自由をいくつかピックアップしてまとめると次のような感じである。
メイキング・オブ・短歌の自由 其の一
「自分のことじゃなくてもOK」

そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売って暮らしています

(東直子)
「そうですかきれいでしたか」って一瞬わからない。
実はこれ、松田聖子が結婚した時に、レポーターが放った「聖子さんきれいでしたよ」の言葉に対する郷ひろみの返事らしい。まぁ、だいたい元カノの結婚に対して、こんなことぐらいしか言えないよなと、テレビを見ながら思った東さんがメモを取っておいた。
そして、まったく関係ないところから小鳥売りをつなげて詠んだら、小鳥を売りながら生計を立て、昔別れた元カノの幸せを願う人の短歌ができたという。
この五七五だけ先に決めておいて、とりあえずメモしておく。あとで全く違った場所から七七を付け加えてもいいのが短歌のなかの自由だそうだ。
メイキング・オブ・短歌の自由 其の二
「リズムを楽しむ」

あかさたな、ほもよろを、と紅葉散りわたしの靴を明るく濡らす(東直子) 
「あかさたな、ほもよろを」で、意味を考えてしまうと、ちょっと待って、ってなる。だが、音が楽しい。これは紅葉の散る様子をオノマトペで表したと東さんは言う。音は明るく聞こえるア行で紅葉の赤い様子を表し、暗く聞こえるオ行は、はかなく散りゆく紅葉を表現したそうだ。これは散文にはない自由さで、思わずはたと膝を打ちたくなった。
メイキング・オブ・短歌の自由 其の三
「人生を思う」

人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天(永田紅)
長い文章でだらだら書くより、短い言葉でバシッと人生を表すことって結構あるあるである。しかも、しみじみと人生を考えさせられる。そうだよなー、自分の人生で35歳って二度とないんだよなって、グサッとくる。短歌一つでも深いことを表せる。これもまた自由である。
そして、短歌の自由は表現だけではない。時代とともに増してくる。
例えば、昔、明治時代ぐらいの歌を紹介すると、
ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔ひながら死せ果てよいま(若山牧水) 
キスしたら死んでもいいって、重っ!重すぎる。
東さんによると、このテンションの高さが近代短歌の特徴である。同時代の歌人には与謝野晶子などがいる。
体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ (穂村弘)
東さん曰くバブル期の歌人はどことなく月9だそうだ。情景が目の前に浮かぶ感じ。
実際には平成二年に発表された歌だが、私にとってはどストライクな歌だ。ロンバケとかのワンシーンでありそうじゃないですか。山口智子が体温計くわえて「ゆひら」とか言ったら、キムタクが「えっ、なに?」とか言いながら、窓際まで来て、外を見て「なんだ雪かよ」とかありそうじゃないですか。
ふつうよりおいしかったしおしゃべりも上手くいったしコンクリを撮る (永井祐)
これは平成、現代の歌であり「ふつう」で「冷静」な感じが特徴だそうだ。しかし、このコンクリを撮るというのが面白い。昔、フィルムだった頃には無駄に写真なんて撮らなかった。だが携帯になってからは、すぐに削除できるし、なんてことないものを意味なく撮ってしまう。現代を象徴するような感じがいい。
このように、重い心情を詠んだものから、現代の冷ややかな感じを詠んだものまでの変化も自由であると東さんは言う。なるほど、三十一語という制限だけではなく、短歌とは時代の流れとともに変化する自由なものなのだと教わった。そして、ひとつ作ってみたい気が…がっつり創作意欲を刺激された講演であった。

ほり屋飯盛

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