夕学レポート
2016年11月07日
廣瀬俊朗キャプテンに聴く、「傍に立つ者」の覚悟
2015年9月19日、イングランド・ブライトン。ラグビー日本代表のワールドカップ本大会初戦の相手は世界ランク3位の強豪・南アフリカだった。賭け屋の倍率は日本の34倍に対し南アフリカは1倍というのだから、そもそも賭けにもならない。なにしろ日本がワールドカップの舞台で勝利を収めたのは24年前の一度きり。下馬評はそれほどあからさまだったが、グラウンドに立った代表選手たちの胸には秘めた思いがあった。
そしてその戦列に、グラウンドに立つことを誰よりも熱望していた男の姿はなかった。
元日本代表キャプテン、廣瀬俊朗氏。
高校日本代表、慶應義塾大学、東芝、そして日本代表。その錚々たるキャリアの、いずれのチームでもキャプテンを務めてきた、文字通り「日本ラグビーの牽引者」のひとりだ。
2012年、日本代表の再建を託されたエディー・ジョーンズ氏がヘッドコーチに就いた時、勤勉なハードワーカーとして知られる名匠が「自らの理念を理解しチームへ浸透させる力」を基準に選んだキャプテンが、廣瀬氏だった。
すでに2019年のワールドカップは日本で開催されることが決まっていた。なのに代表は2011年の大会でも惨敗し、世界はおろか国内ですら注目されてもいない。2015年大会で一定の成果を収められなければ、実力の伴わない開催国として嘲笑を浴びながら4年後を迎えることになる。
そんなことは決して許されない。いや、許さない。
ヘッドコーチとキャプテン、コンビを組んだ二人の闘いが始まった。
廣瀬キャプテンは、召集されたメンバーに対し、まず「大義」を説くことから始めた。
- 新しい歴史を作る
- 日本ラグビーを変える
- 憧れの存在へ
その「大義」を浸透させ、やりきる覚悟をメンバーに持たせるために、キャプテンはあるゆる機会を使って自らの正直な思いを語り、伝えた。
そしてヘッドコーチは「Vision」を掲げた。
- 2012 Top 10 Country
- 2014 World Cup Best 8
「届きそうで届かない、でも手を伸ばせば届くはずの、ぎりぎりの目標設定。エディーはこれがほんとうに上手かった」と廣瀬氏が述懐する。
日本中が憧れる存在になるには、強くなり、結果を出すしかない。強くなるために必要なのは、圧倒的な量の鍛錬によって自らの強みに磨きをかけること。日本の場合、フィジカルや経験では世界の強豪に敵わない。だが組織として価値観を共有できた時、その国民性も相俟って、日本は個人の総和を越える力を発揮しうる。
「Japan Way」。チームとしての価値観をその言葉の下に定めたとき、二人の闘いはチームの闘いへと進化していった。
華々しい試合は一瞬。それまでは、時に悪夢のような練習漬けの日々があるだけだ。その中で「キャプテンとしてやってきたこと」と言って廣瀬氏が紹介してくれたのは、例えば次のようなことだ。
- 名字でなくニックネームで呼ぶ
- 毎日、全員に一声掛ける
- いいところを見つけて、褒める
チーム作りのセオリーとして、取り立てて驚くべきものではない。言葉にして並べれば単純だ。だが、その単純なことを日々愚直に繰り返し実践できるかどうか、キャプテンの力量は偏にそこに掛かっている。「いっぺんに大きく変わることはできない。一日の中では、少しだけ変わることしかできない。でもその『少し』の変化をたくさん積み重ねることによって、チームは最後に大きく変わることができた」。毎日のわずかな変革の集積がもたらした成果を、廣瀬氏はそう総括した。
もちろん制度的な仕掛けはほかにもあった。
- ベテランと若手でBuddyを組ませ、日々をともに振り返ることで育成を図る。
- 168日間にも及ぶ合宿を通じてチームの意思統一を徹底する。
- 試合前夜には、輪になって各自のスパイクをピカピカに磨きあげる。
- 権限移譲をすすめ、自ら判断する組織文化を創る。
そのすべてが、チームの中に「メンバーの居場所をつくる」ことに連なっていった。居場所があれば、それが誇りにつながる。「お前にしかできない」と言われることが、モチベーションになる。「この人のようになりたい」という想いと「コイツを育ててやりたい」という想いが、互いに互いの存在を唯一無二のものにしていく。
1年目、そして2年目。「勝つ文化」をチームに浸透させることに廣瀬キャプテンが腐心し、それに成功しつつあったとき、皮肉なことにプレーヤーとしての廣瀬氏は実力面からレギュラーの座を確保することが難しくなっていた。そしてそのような廣瀬氏を、エディー氏は、キャプテンから外した。
メンバーに居場所を創る、そのことに誰よりもこだわっていた廣瀬氏が、自らの居場所を見失いかけた。
暫しの逡巡の後、廣瀬氏は、新キャプテンに任命されたリーチマイケル選手のサポートに全力を注ぐ覚悟を決めた。外国出身者でありながら日本代表のキャプテンに就くことになった彼の傍らに立ち、そこから出来る限りのアシストをした。
- 相手チームの対戦映像を分析しながら特徴をまとめ、戦術を提案する。
- 外国出身者も含め全員が国歌斉唱をできるように練習し、一体感を高める。
- 契約問題でエディー氏とチームの信頼関係が崩壊しかけた時は、間に入って繋ぎ止める。
いずれも、誰よりも代表を知り、代表に誇りを持ち、そこに存在意義を感じていた廣瀬氏だからこそできた、チームへの貢献だった。
講演で廣瀬氏は、数々の逸話や裏話に加えて、様々な映像や写真で我々の視覚を刺激してくれた。
チームを鼓舞し、またリラックスさせるために「南アフリカ戦の前夜にチーム全員で見た」という、代表のその日までの4年間の軌跡を集約したメッセージビデオ。
そして、「終了間際の劇的なトライで34-32の僅差ながらも歴史的勝利を収めた」その南アフリカ戦を含む、2015年ワールドカップでの足跡(3勝2敗で惜しくも一次リーグ敗退)を追った短いビデオ。
「JAPAN WAY」と書かれたジグソーパズル。そのひとつひとつのピースを個々の選手が持ち返り、試合の前に準備と覚悟ができた証として再び全員が持ち寄ってはめ込んだ、その写真。
しかし、そのような派手な映像よりも、私の心に刻まれてしまった一枚の写真がある。
南アフリカ戦の試合開始直前、グラウンドに立つ両国代表選手を、観客席の、それもかなり上段のほうから収めた写真。遠すぎて、選手の表情は見えない。最終的に出場登録から漏れた廣瀬氏の姿もない。画角の大半を占めるのはスタンド。その時点では、歴史を変える一戦を目撃することになるとはまだ思ってもいない観衆のざわめきや、十分な準備を積み上げてこの場に臨んだ代表選手たちの気持ちを代弁しながら、廣瀬氏がさりげなく呟く。「これ、撮ったのは僕です」
そうなのだ。
その瞬間、選手としてグラウンドに立てなかった廣瀬氏は、観客席の奥からチームを見ていた。
それは、目の前の相手に勝つことを最終目標とする、スクラムを組むメンバーの視線ではない。
勝てるはずのなかった相手を今日倒し、その伝説を出発点に「日本中を巻き込みながら、日本ラグビーを変える」という、自らの、これからの、永き闘いを見据えた視線。
日本代表メンバーとしてチームをここまで引っ張りながら、本大会では結局1秒も出場機会を与えられなかった元キャプテンの「次」に向かう覚悟が、この地味な一枚の写真の陰に写りこんでいた。
現役時代の廣瀬氏がもっとも慣れ親しんだポジションは、スタンドオフ。
直訳すれば「傍らに立つ者」。
その言葉の通り廣瀬氏は、引退後の今もひたすら選手たちの傍らに立っている。日本ラグビー史上初めての選手会を結成し、キャプテン会議を創設し、さらに自らMBA取得課程で学びながら、ラグビーの世界で培ったキャプテンシーをビジネスの世界へと展開する機会を狙っている。
ボールはひとりではつなげない。だからキャプテンはチームをつくる。
「進化を楽しむ」。その講演タイトル通り、廣瀬氏が楽しむ自らの進化の先に、日本ラグビーの次なる「歴史的瞬間」が待っている。
(白澤健志)
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