夕学レポート
2016年12月06日
異次元緩和と財政ファイナンス 池尾和人さん
「マネタリーベース(ベースマネー)という言葉は、本来、大学の経済学部で金融論の授業を取った人にしかわからない専門的用語のはずだ。それが、金融・財政政策の焦点として一般的に論じられるようになった・・・」
金融論の第一人者 池尾和人教授はそう言う。まさにその通り。だからこそ12年振りに夕学に登壇いただいた。
今年の6月7日、8日の日経新聞「経済教室」に、「ヘリコプターマネーの是非」と題して、日銀のマネタリーベース(ベースマネー)をテーマにした特集が組まれた。紙面上で、否定的な立場で登場した専門家が池尾先生であった。
マネタリーベース(ベースマネー)とは、日銀の現金と貯金準備高を意味する。これを裏付けに財政出動がなされることを「財政ファイナンス」と呼ぶ。
「財政ファイナンス」は、国債発行による財政出動に限界が見えてきた日本の財政政策の次の一手として、このところ急浮上してきた言葉である。
2013年以来政府・日銀の異次元金融緩和は、「財政ファイナンス」の領域に入っているのではないかという指摘もある。
たしかに「日銀が、輪転機をぐるぐる回して紙幣を発行すればよい(市場にお金が流れ、経済活動が活発になる)」という発言を総理就任前後の安倍首相もしていた。
すでに、日銀は、年80兆円のペースで市場から既発国債を買い上げており、その保有残高は400兆円を越えたといわれている。
今年9月の「総括的な検証」を転換点として、日銀は異次元緩和政策の誤りをはっきりと認めないままに静かに表舞台からフェードアウトした、との池尾先生の弁でもわかるように、6月時点とは金融政策への関心が少し様変わりしているが、基本的な状況は何ひとつ変わっていないであろう。
さて、「財政ファイナンス」についてだが、池尾先生によれば、かつてバーナンキ(前FRB議長)が日本の金融・財政政策の手詰まり感を危惧して提示した「6つの非伝統的政策」のひとつに挙げられているものだという。
非伝統的ということは、これまでにない(あるいは方向の異なる)思い切った政策ということであろう。わかりやすく言えば「禁じ手」とされてきた打ち手も含むということだと素人(筆者)は解釈する。
ちなみに6つの提案のうち、日銀による大胆な国債購入、円安誘導、長期金利ターゲット等4つまでは、すでに日銀によって取り組まれており、いよいよ5番目の財政ファイナンスが議論の俎上にのぼったということであろう。
池尾先生は、財政ファイナンスの定義がかなり幅広であることは認めつつも、国債の実質的な引き受けを民間金融機関が行うのか、日銀が行うのかということは、重要な問題ではなく、問われるべきは、財政赤字に民間の貯蓄の裏付けがあるかどうかである、とする。
この論に立てば、財政赤字(国の国債発行残高)1000兆円に対して、国民貯蓄残高は1400兆円であり、現時点では裏付けがあるので財政ファイナンスとはいえない、ということになる。
池尾先生は、上記のことを「統一銀行」という概念をと使って説明してくれた。
中央銀行である日銀と民間の銀行を合体して考えた、我が国の概念上の統一銀行部門である。 (池尾教授の講演資料(20161202)から引用)
2013年からの異次元緩和では、日銀が民間銀行の持つ既発国債を買い入れ、その代金を日銀の準備預金口座に計上してきた。言わば、B/S上の付け替え操作であって、市場に直接お金が流れたわけではない。当然の結果とも言えるが、民間銀行の貸出は増えてはいない。
確かに民間の国債保有高は減り、日銀のそれは増えた。いまでは国債発行残高の40%占める。しかもいまも増え続けている。2020年には民間金融機関の国債保有はゼロになるという試算もあるという。
しかし、日銀と民間の銀行を一体とした日本の「統一銀行」としてB/Sを見れば、貸出が増えない限り、債務としての国債の比率は変わらない。貸出は増えていない。つまり国債の保有者が変わった(民間→日銀)だけで、市場にお金が回り経済活動が活発になったわけではない。
「国債管理政策に日銀が組み込まれたに過ぎない」というのが池尾先生の評価である。
むしろ恐れるべきは、統一銀行のB/Sの右側の大半をしめる民間の貯蓄額が減少しはじめた時である。これが減るということは政府のB/S左側の国家債務の裏付けがなくなる=財政赤字の裏付けがなくなる、ことを意味するからだ。
2040年に高齢者人口の絶対数がピークアウトする。
この時に向けて、20年代~30年代には民間の貯金額は減少しはじめるだろうと言われている。貯蓄の大部分を保有する高齢者が取り崩しをはじめることが想定されるからだ。
この時に、日本の財政への信用が薄れ高インフレが起きることが危惧されている。インフレ抑制のために日銀が金融引き締め策を取れば、裏付けのない政府債務はデフォルトを起こす可能性がある。したがって日銀は引き締めができない。結果として何が起きるか。
政府・日銀は高インフレ状況を放置し、それによって財政赤字を実質的に解消しようとするかもしれない。それこそが本当の財政ファイナンスだと、池尾先生は言う。
第二次世界大戦での敗戦直後、戦時債務の返済と高インフレに直面した日本政府が実施した新円切り替えと同じ構造である。このインフレによって、膨大な戦時国債は実質的に帳消しになったと言われている。国の借金が消えたと同時に、戦前に国民がせっせと貯めていた貯金も事実上消滅した。
「高インフレは歴史的に常に財政的現象である」
紳士らしくセンセーショナルな物言いはしないが、池尾先生が警鐘として話した言葉は、これと同じことが起きる危険性を示唆しているのであろう。
池尾先生も言うように、異次元緩和は、経済の専門家からみれば、そもそも無理筋の政策であったようだ。実際に、これは多くの経済学者が口を揃えて指摘していたことだ。
しかしながら、少数ながら異次元緩和の有効性を主張する専門家もいた。黒田日銀総裁もその一人ということになる。
専門家の意見が割れたのは、しかも比較的政権に近い立場の専門家が異次元緩和を主張し、客観的な立ち位置にいる専門家の多くが批判的だったという事実は何を意味するのだろうか。
政策を担う立場(政権より)からすれば、それ以外の打ち手がない、手詰まり状況にあった、という理解をするのが理にかなうであろう。つまり非伝統的政策(禁じ手)に手を出すしかない追い込まれた状況にあった(いまもある)ということだ。
禁じ手に手を出しながら、思うような結果を出せずに、日銀は表舞台からフェードアウトしようとしている。足元では、意図せざるトランプ効果で円安が進行し、株価もあがっている。
私達が乗った船は、大きな滝に近づいていることに誰もが気づきながらも、つかのまの凪に包まれて安穏としている。
(慶應MCC城取一成)
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